「勝浦川」その12.疳の虫
ゆきえは、英雄をおぶって山道を歩いていた。
町から一里以上離れた山寺に向かっていた。
英雄は生まれながらにして身体が弱かった。病気に罹っているわけではないが虚弱だった。そしてよく泣く。困るのは夜泣きをすることだが、一度泣きはじめると火が点いたように泣くのだった。
早朝暗いうちには起きて家を出る舅や夫のことを考えると、なんとかしなけばならないとゆきえは思った。
山寺に着くと、住職が経を唱えてから英雄の手を取って筆で掌になにかを書いた。そしてまた経を上げて疳の虫(かんのむし)を封じ込めてくれたのだった。
疳の虫を封じは寺の住職だけではなかった。
ゆきえの家から三十間ほど下に勝浦川に架かる橋が在ったが、川向うから橋を渡って日に何人も四国八十八ヶ所を巡礼するお遍路が歩いて来る。小松島の十九番札所立江寺から来て横瀬の町を一巡りして二十番札所の鶴林寺を目指すお遍路や托鉢僧たちであった。
お遍路は、梵字が書かれた菅笠を被り、背に「南無大師遍照金剛」とご宝号が書かれている白衣を着て、首からは輪袈裟を掛け頭陀袋を下げ、持鈴と念珠を持ち金剛杖を突いている。
お遍路や托鉢僧は、町の一軒一軒を回り家の前で鈴を鳴らせて門付けをする。迎える家の者は一つまみの米や麦や豆などを鉢に入れて施しをするのだが、こういった慣わしをお接待と言った。
そんな托鉢僧のなかには、「疳の虫はおらんで?」と疳の虫封じを謳い文句にする者がいた。
ゆきえが英雄の疳の虫封じを頼むと、僧は被っていた網代笠と謂われる編み笠をとって、笠の表面を英雄の掌で擦った。そうして手を握らせる。しばらく経を唱えたあとおもむろに掌を開かせる。その掌を陽にかざして見ると英雄の掌から疳の虫が湧き出していた。すると、僧は疳の虫をフッと一息で吹き飛ばしてしまった。
疳の虫を封じてもらったゆきえは、些少だが銭と米などを僧に渡した。
長い巡礼の旅路で風雨から僧を護ってきた編み笠は、傷んで柿渋は剝がれて素材の竹ひごも毛羽立ってしまっている。その笠を掌で擦れば細かい毛羽が掌に付着する。その掌をかざして見れば、掌から“疳の虫が湧いている”のである。毛筆の場合も同様のことなのである。
だが、ゆきえにとっては、それはどうでもよいことだった。