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「勝浦川」その9.伐倒

喜平は山の土地を買ってよかったと思っていた。
丈三郎に子も生まれた。妻を亡くしたが孫のために余生を活かそうと思った。
 
喜平は手持ちの金で一町歩程度は買えると思っていたようだが、一町三反ほど買うことが出来た。但し、喜平が幾らで山の土地を買ったか判らない。
 
そのかわり、買った山の土地までの道は無かった。
家から歩いて山の麓まで約四十分、麓から道なき山を優に一時間は登る。
喜平が買った山は原生林だった。
 
喜平は山を買ったときに丈三郎にこう言った。
「炭焼きと石積みしよってな山拓くんじょ、いけるで?」
 
これからは炭焼きと土工をやりながら山の開墾をすることになるが大丈夫かと訊いたのだった。喜平が生きている間に山の開墾が終わるのか判らない。もし喜平が開墾の途中で倒れたら、丈三郎とゆきえが開墾をつづけなければならないのだ。
 
丈三郎は、勿論大丈夫だと応えた。還暦を過ぎた父が一人でやれる事業ではない。家のことを考えたら、むしろ自分が率先してやらなければならない事だろうと思ったのだ。
 
こうして、喜平と丈三郎の山の開墾が始まったが、ゆきえも開墾作業に加わるようになっていた。
 
山の急傾斜地を下の方から木を伐ってゆく。
伐った木が倒れて他の木に引っかからないように倒れる方向や立地を見定めて伐倒する。
喜平と丈三郎の二人がかりでも、一日に二本三本の木を伐倒して枝払い出来るかどうかという難作業だった。
 
徳島弁で云うなら「あずってあずってしょった」となる。“手こずった”という意味だ。
 
伐った木は枝払いして、運びやすい長さに分割する玉切りをして山から曳いて川に落とした。川に落ちた木は、筏師たちが筏に編んで川を運んでくれる。
枝打ちした太めの枝は山に積んで置いた。炭焼きに使う原材料になった。
その他の枝は山に積み上げて乾燥させてから適当な長さに切って焚き木として背負って家に運んだ。
 
喜平と丈三郎は、背負子を空荷で山を登ることも山を下ることも決してなかった。
 
 
喜平と丈三郎が、背丈より高く焚き木を背負って暗くなった道を家に戻ってきた。
ゆきえは、明るいうちに家に戻って夕餉の支度をしているはずだった。
 
丈三郎は、背負ってきた二人分の薪を家の裏に降ろしに行った。
喜平が家のなかに向かって声をかける。「もんたじょ」
返事がなかった。
 
喜平が家に入ると、末っ子のつね子が台所の三和土で半べそをかきながら突っ立っている。中学生の有(たもつ)は板の間でうつむいて座っている。
 
奥を見ると、ゆきえが背中を丸くして肩を震わせていた。
喜平は、ゆきえの前に寝ている孫の顔に白い布が乗っていることに気づいた。

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