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「勝浦川」その19.渓水

敏雄は、製材所に就職して木炭トラックの運転手の助手になった。
朝早く起きて、トラックの木炭に火を起こしタンクに水を汲んで注入してすぐ始動出来るよう準備をするのが助手の仕事だった。

トラックが筏流しや馬車に代わって木材を運搬するようになり、筏師や御者からトラックの運転手に職業が代替しはじめたのだった。


敏雄は働きながらも、この先どう生きていったらよいのか思案していた。
いっそブラジルにでも行こうか・・・。

子ども心にも、敵と戦って死ぬことが当たり前だと思っていたし、この国の正義を信じていたのに、その正義の戦いで敗けたのだ。では、どう生きたらよいのか、なにを信じて生きたらよいのか解らなかった。


そんな若者たちが集まって話すうちに「読書会や勉強会でもやらんで」ということになった。
古今東西の書籍のなかに真理を見出そうとしたのだった。敏雄が言い出しっぺだった。会の名前は勝浦川をイメージして「渓水(けいすい)倶楽部」とした。

だが、若者たちが持ち寄った本のほとんどは大衆小説や講談本だった。社会主義をはじめ思想的な著作は世の中から消えてしまっていたし、ロシア文学やドイツ文学もほとんどなかった。敏雄が持っていた本も子供の頃に叔父たちが買ってくれた江戸川乱歩の探偵小説や、三角寛の怪奇幻想的な山窩小説吉川英治の「宮本武蔵」などであった。

そこで、敏雄と仲間の一人が代表して、東京神田の古本街まで本の買い出しに行くことになった。皆からのカンパ金と本の元手を持った敏雄たちは東京の神田に向かった。


東海道線上りの列車の窓から見える沿線都市のほとんどが戦災に遭い灰燼に帰していた。
東京に着いたが東京も焼け野原だった。
敏雄たちは西郷さんを観ようと上野に行ったのだが、上野駅の周りには闇市が立ち街中に浮浪児たちが屯していたし、地下道には生きているのか死んで転がっているのか判別できないほど真っ黒な人々が横たわっていた。

「あれもこれも、この国が敗けたからだ」と敏雄は思った。
元志願兵だった者の一人として、自責の念堪えがたく煩悶した。

だが、そのときに敏雄が神田で買って持ち帰った一冊の本が、敏雄の生き方を方向づけることになる。

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