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「勝浦川」その7.山の値段

江戸時代に各藩が所有していた領地や藩有林は明治2年(1869年)の版籍奉還、寺社が所有していた所領や寺社有林は明治4年(1871年)の社寺上地により、明治政府に編入された。

明治6年(1873年)には、地租改正の一環として定められた「山林原野等官民区分処分法」により明治9年(1876年)から山林所有の区分が明確化され、明治14年(1881年)には農商務省山林局の所管となった。

明治政府は、明治32年(1899年)から大正10年(1921年)にかけて、国有林を民間に払い下げ、その資金で国有森林を整備する国有林野特別経営事業を行った。

これは、払い下げ資金により国有林を保護するためでもあったのだろうが、日清戦争日露戦争を背景として、軍需用材でもある木材を安定的に確保し山林鉄道などのインフラを整備する必要もあったのだろう。

こうして、国として管理する必要のない、または管理が困難な山林を民間に払い下げて財源としたのである。

ところが徳島県の場合は、明治維新時に徳島藩士の井上高格の裁断により藩有林野を全て民間に払い下げ処分してしまった。その販売代金は全て蜂須賀家に献上されたと言われている。

喜平が山主たちを回って調べたところでは、里から離れれば離れるほど、遠くて不便で標高が高いほど安いことが分かった。

喜平は貯めた金を数えながら、「一町歩くらいならいけるでぇだ」と呟いた。

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