ユース育成は何故論理的・科学的でなければいけないのか? 2
前回は論理的・科学的アプローチはユースの”才能”を無駄にしないためにも必要であると書きました。では、ここでユース育成の現場においてばぜ論理的・科学的にする更なる旨味を紹介したい。
世界王者達を支えたS&Cから学ぶ
それは選手をいい意味でえこひいき出来るということです。まぁこんなことを言ったら色々な所から苦情が来そうですが、このブログを読んでからでお願いします。この考えは自分がよく聞くPacey Performance Podcastで2019年のラグビーW杯を制した南アフリカのヘッドS&Cコーチのインタビューを聞いていた時のことだ。インタビューの中でウェイトトレーニングに関して彼はこんなことを言っていた。
"選手達の中にはウェイトが嫌い、ウェイトよりももっと違うことをしたいという選手達もいる。だからまず最初に測定などからのデータと彼らとの対話を通して、W杯を優勝するという我々のゴールを達成すために必要なことを一緒に決めていく。この決めたことは基本的に個人に沿ったものとなるので、`あいつはこれやっていないのに、なんで俺はこれをしないといけないんだ?`みたいな不満はでなかった"
この趣旨の言葉を聞いたときに、自分は”これだ!”と思いました。日本人はいい意味で和を大切にする。悪い意味で場の雰囲気に流されやすい。なのでチームのみんながしていれば、自分の必要ではないことに関しても何となくやらざるを得ない。もちろんチームでやらなければいけないことはチームでやれば結構ですが、必要以上までチームよりに過ぎてしまうのもどうかと思います。個人スポーツであろうとチームである認識は大事であるし、チームスポーツであろうと個人の認識は大事です。では、何を根拠にこのチームでやることと、個人でやることの線引きをしていくのか?
データを駆使して、チームを理解する
それはデータです。フィジカルの測定、試合中のスタッツ、そして試合中に指導者が書き留めたメモなどをチェックし総合的に判断する。チームプレーができないのは指導者自身の統率がないからなのか?(はい、勝てないのはリーダー・指導者であるあなたの責任であることも認識しておきましょう。)もしくは選手個人の身体能力や技術が足らずに歯車が噛み合わないのか?はたまたチームメート同士がただ単に嫌っているのか?個人競技であれば個人の技術やフィジカルはもちろんのこと、試合のない選手や別の階級や種目の選手達からのアドバイスや応援も必須になります。個人であろうとチームスポーツであろうと”勝つ”ためには様々な要因をクリアしなければならない、と言うことです。(かつて私はアメリカでアマチュアのケージファイトに出たことがあります。この時に自分のチームメートが如何にありがたかったかを覚えています。)
ふるいにかけるためではなく、育成するためのデータ
だからデータは大事なんだと思います。
また選手達から”あいつはよくて、何で自分はこれをしないといけないんですか?”と言ってくる選手達は今も昔も沢山います。今までの”ふるいにかける”やり方では必ずそう言った選手達は指導者と反りが合わずにスポーツをやめてしまう、それどころかスポーツ自体を嫌いになってしまいかねません。我々指導者は時代に合わせて指導・コーチングの方法を変えていかなければいけません。特に今の少子高齢化でチーム間で有望な若い選手達の取り合いをしているような時分ではそうです。
では、上記のような質問の時にどう答えるのか?”あいつがお前のやっていることをやらなくていいのはA+B+Cだからだ。その代わりあいつはD+E+Fが出来ないから、今違うことをしているだろう?お前はD+E+Fが簡単に出来るから、あいつのやっていることを何にもしていなように見えるだろうがちゃんと理由があるんだ。”
コーチングに関して何度も出てきているEddie Jonesのインタビュー。是非どうぞ!
まぁこんな教科書通りの答えを自分も言えるかどうか自信はありませんが、少なくともこれに近いことを言えれば質問者も全部理解は出来ずともある程度納得はしてくれる。更に上手くすれば”自分は意味のあることをしている”、”あいつも弱点や長所を克服・延ばそうとしているんだから頑張ろう”という風に持っていけるといいですね。今の若い子は”自分のやっていることに意味を見出さなければ動かない”世代です。自分もそうです。意味も見出せないのに、”それが人生だ”と言われたら正直その人への信頼はなくします。人生の意味がどれだけ大事か?それはナチスドイツによって強制収容場に連れて行かれた多くのユダヤ人の1人Dr. Victor Frankleの著書"Man's Search for Meaning(邦題:夜と霧)"を読めばわかります。
もちろん意味を見だせれば、とことんやる素晴らしい世代でもあります。昔のように指導者や先輩に言われた事をただ単にやっていた我々やそれ以前の世代の方々には全くもって奇異な感じでしょうが、それが現実です。ただし、昔からある美徳と現代の美徳を合わせていくのが今の我々の仕事だと思います。
以上