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話が違うぞ
英語圏では二歳児のことをTerrible Twoなんて呼んだりする。
二歳児といえばイヤイヤ期。ということで、子どもが二歳の頃はTerrible = 酷い、と表現している。
娘が二歳だった頃は人から「三歳になって喋ったりするようになってきたら、少しは楽になるよ」なんて言われたりもした。だから僕は娘が三歳くらいになって言語能力が発達してきたら、コミュニケーションも取れるようなって、少しずつ子育てが楽になるんだろうなあ、と考えていた。けれど。
おい、話が違うぞ。
全然、楽にならない。むしろ三歳になってからの方が酷い。喋れるようになってからの方がワガママ。
騙された。世の中に騙された。Terrible Twoなんて言い出した人間は子育て経験がないに決まっている。大ウソつきだ。
いやはや。このごろは娘に振り回されてばかりである。
ひたすらワガママ。まっすぐにワガママ。そして感情の波も台風直撃の日本海。大荒れ。娘はまだ自分の感情について理解できていないから、感情が高まるとどうしていいのか分からなくなっている。そして泣き叫ぶ。
まだ三歳半だから、成長の過程だから、許している部分は多々ある。でも、もし大人がこんな振る舞いをしていたら、最低の人間だと思う。友達にはなりたくない。
自分のやりたいこと。自分の行きたい場所。自分の食べたいもの。自分の観たいもの。自分。じぶん。ジブン。JIBUN。どんな時分でも、自分がセンター。自己中心。とにかくセンターで注目を集めるために必死。アイドルがセンターステージを争うのと似ている。なりふり構わない。
最近は、これも成長の過程だからしょうがないと思うようにして、ゆるりと付き合うように心がけている。三歳児の機嫌にガチンコで向き合っていたらこっちがダメになってしまう。
こうやって書くと諦めて育児を放棄しているように思われるかもしれないが、決してそういうわけでは無い。ある程度のメンタルスペースを保ちながら娘と付き合っていくということであって、全て投げやりに甘やかすわけではない。
ダメなことはダメと言うように心がけている。そのなかで寛容でも良いところを見極めようと思っている。この線引きが極めてグレーだけれど。何事も白黒ハッキリなんてしていないんだから(持論)、見極めようと努めることが大事なんだろう、ということにしている。
それに僕らがダメになってしまったら日常生活に支障が出てしまう。だから娘からの精神的ダメージをくらいすぎてしまうのはマズイ。
自分の精神衛生面を健康に保つために、目をつむる部分をつくるようにしている。昼寝しないとか、野菜食べないとか、テレビ観たいとか、お菓子食べたいとか。娘の行動をコントロールすることに精神を擦り減らしまくってストレスまみれになるくらいなら、やりたいことをやらせてあげようと思う。ただ、大事な部分だけは譲らない。ダメ、絶対はなくてはならない。
このバランス感をもっとスマートにできるようになりたい。娘に対してイライラしたり。怒ったり。悪態ついてみたり。適当にながしてみたり。無視してみたり。そんな罪悪感を産むような行動をせずに、スマートに子育てをしてみたいもんです。
と、書いてみたものの、子どもに対してイライラしないのは子育てではないよな、と理解している自分もいるわけで。
ともかく、「3歳になったらもう少し楽になるよ」というアドバイスには騙されないようにしましょう。