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「なーんか」を「ある」ことにする

心の中に、あるような、無いような感情

私にとっては、
「もやもや」ってやつに近いかもしれない

なーんか違和感なんだよなーーー

なーんか嫌だ

なーんか引っかかる

なーんかきしょくわるい

なーんか胸くそ

そんなやつを、かつての私は
結構「無い」ことにしてきた。

もやったまま何も言わないで、うわべをやる羽目になっても自分自身でそれがうわべなことにも気付かなかったり。

「まあいっか!」と、考えることとかぶつかることから逃げて、スカッとストレス発散でもして忘れようとしたり。

でも最近の私は、
どっちかというと、「ある」ことにしちゃう。

ちょっとなんか引っかかったら、
「んん!?あるね、なんかあるねぇ!?」
掘って、見つけて、結構人にもぶつけちゃったり。

これは結構厄介です。
夫との話し合い回数が増えてます。笑
上司にも本音を言っちゃいました。
母にもモヤりをしっかり言葉にしてぶつけちゃいました。

あらためて思い返してみるとほんとにやってんなぁ。笑
もう、ある意味周りの皆さんすみませんってことになってるかもしれない

でも、その代わり
自分の中での対立は減った

対立というか、
あの、延々続く
「でもさぁ...」
「だけど...」
「どうする...?」
「あーーー」
みたいな堂々巡りのやつ。

そして私の外側でも
周りの人に迷惑かけてるのかというと
迷惑がらないでくれる人たちに囲まれてる
幸せだな

こやって出せるようになったのは、
感情と向き合いもがくコーチ仲間たちや
クライアントさんたちと出会う中で、
「昨日ああ思ってたからって、今日は違ってたっていい。なんなら1分前と矛盾してたっていいんだよな。」と思えるようになったから。

人間は矛盾する生き物。
理論だけで説明がつかない思いも、なんかあるって感じるならやっぱり確かにある。
昨日と違ってても、さっきと違ってても、消さなくていい。


前は、決めたことは守らなきゃって頑なだったように思うし、
感情なんていう不安定なものに振り回されちゃだめだ、いかに感情を波立たせず一定に保つか、を考えていた。
感情を、信じていいものだと知らなかった。
だいぶん軽視していたな。
ごめんなぁ感情。


今日さっきも感情を伝えたよ。
重い空気になるかもしれなくて躊躇したけど、
無いことにして放置して
後から腐って見つかることの方が怖かったから

空気は確かに濁してしまった。
伝えられた側は、あれが無い方が
穏やかな夜だっただろうな。

でもそれを放置し合ったまま共に居たくないんだよ
伝えるのは大事な人だから

...いや今綺麗事っぽくしようとしたな。
でも放置し合って隠し合って
うわべ同士で付き合うんじゃなく
ちゃんと繋がりたいから。

繋がりたい人には、伝えたいことがあるならこちらからトライする。
やってみずに100年仲良しっぽくいられるより
やってみて失敗するなら諦めるしかないって思うかも。
諦めたくないなら失敗しても諦めないんだろうし。

ちゃんと繋がり合う人生をやって生きたいんです


THE COACH仲間でつなぐ、夏のnoteアドベントカレンダー。

かげろう?...ってなんだっけ?

テーマを見たときはそう思った

私の詩的でない人生では歌詞でしかお目にかかったことのない言葉だった

意味を調べたけど蜃気楼との違いが未だにちゃんとわかってない

だけど、あるような無いような、そんな揺らぎのあるものなんだってことはわかった

書こうとすれば何かが湧いてくる気がして、
初めて参加させてもらいました

企画をしてくださったまほさん、みどりん、ありがとうございます!

このテーマを握りながら、
私より前の順番の方々の紡ぐ言葉を読みながら過ごす中で、
私にも予想してもみなかった書きたいことが湧きました

自分で読み返してみてもう一個気づいたのは、
私が「ある」をぶつけれてるのは
ぶつけても簡単にはどこかに行かないって
安心できている人だな。
そんな人たちと関係性を紡げること
うれしい。

あともう一個、
ぶつけてるものがしょうもないもんじゃないって自信持ててるからだな。
感情は理屈と同等くらい、いやそれ以上にも大事なもの。

ここまで読んでくださった方、
ありがとうございました🙂‍↕️🧡

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