案外身近に潜んでる「自分を無意識にしばっている思考」
noteに久々に帰ってきました。
今年4月から、去年と比べて大幅にペースを落として生活してきました。この半年間、上がったり下がったりしながらも、自分を見つめなおす作業をしてきて、改めて気づいたことがたくさんありすぎて。この場を借りて、また少しずつ綴っていきたいなと思います。
ゆる~りお付き合いいただけたら嬉しいです。
「自分を無意識にしばっているもの」
私の場合、本当に些細なことの中に「自分を無意識にしばっているもの」がたくさん隠れてました。
例えば、ジャーナリングを始めてから気づいたのは、ノートをひとつとっても、
「ノートにこんなにお金をかけちゃいけない」
「ノートにお金をかけるなんて、もったいない」
と、制限をかけていたこと。
※「もったいない」に関してはまた違う記事で書こうと思ってるのでここでは割愛しますが、これは親から受け継いだ考え方でもあり、とにかく、私の中で知らない間に大事な基準になっていました。「もったいない」には長年とらわれてきたなぁ。
そして、ノートに書き出すときには、
「ノートに書き出す内容は、整理されてなきゃいけない」
「ブラックなことは書いちゃいけない」
と無意識に自分に制限をかけていたこと。
こうやって文字にしてみるとすっごく些細なことなんだけど、「ノートには整理されたものを書かなきゃいけない」と思っていたから、”頭の中で考えてることや浮かんだ感情をただただ書き出す”という作業自体、私には最初ハードルが高かった。。
それに「ブラックなことは書いちゃいけない」と思っていたから、イライラやモヤモヤした感情、いわゆる負の感情とよばれるものを感じても、最初はノートに書けなくて。いや、書こうと思えなくて。
私以外は誰~も見ることのないノートに書き出すことすらそう感じてたんですよね。めちゃくちゃ縛られてたなー💦 安心して吐き出せる場所がなくて、もしかしてしんどかったんじゃないかなぁ。
「自分はいい人間にならなくてはいけない」
根底の無意識レベルできっとこう感じていたし、「いい人間であるべきだ」と信じてきた過去も少しずつ見えてきました。
「いい人間」って?
「いい人間」って、そもそもどんな人間なんでしょう??
私の中では、いつも正しくて高潔なイメージ。人の悪口を言ったりしない。感情に振り回されない。聖人、みたいな…?
うーん… なんか違う気がする。
本当にそれ目指してたのかな?
「いつも正しい」って具体的にどういうことだろ?
そもそもいつも正しいって、何を基準に?
高潔ってナンだ?
悪口って何だろう?
聖人ってどういう人のこと?
こうやって突き詰めて考えていくと、かな~りぼや~~っとした「いい人間であるべき」をずっと持ち続けてきたんだなぁと思わずにはいられません。
誰に対していい人間なのか?も気になるところ。
もしも、自分が感じてる感情に蓋をして体裁を整えてたとしたら、それって自分に対しては「いい人間」では居られてない気がする。蓋したり無視したり否定したりして紛らわしてるなら、自分に対して正直になれてないもんね。
…と、「いい人間」についてはもっと掘り下げられそうです。
ここまで読んでくださった皆さんには、読みながら「自分はどんな思考の縛りを無意識にもってそうだろう?」って考えていただけたかなぁ。
まずはどんな些細なことでもいいので、身近なことで探してみると、案外色んな発見があるかもしれません。大切にしてきた価値観やワードに気づくかもしれないし、さらに迷宮入りするかもしれないけれど、自分にとって大事なキーワードにきっと出会えるはず。