
悪気のない頑張っているアピールの功罪があるとしたら。
「頑張る」
頑張れることはすごいことだし、
意識していなくっても
集中してとりくんでいるうちに
自然と頑張ってる自分に出会う、
なんてことも、人間あると思うんですね。
そうそう。
私自身は、どちらかというと
気づいたら夢中になってたり
気づいたら一生懸命になっていることがおおくて、
人からは「頑張ってるね」と言われることが多く、
そんな自分を
いい意味でも悪い意味でも
この一年、セルフコーチングしながら
自覚を積み重ねてきたかんじです。
でね、
コーチという仕事をしていくうえで
自分から発信していくことって
やっぱり人に知ってもらうために必要で、
私もコーチとなった時から
SNSで発信することを
自分のペースで重ねてきたのだけれど、
そんななかでね、
本人には悪気がない
「わたし頑張ってます」的な記事だったり
時には "アピール" だったりは、
もちろんその記事をみてさらに応援してくれる人もいれば
一方で、失っているものもありそうだなぁ、
と感じたことを
今日は書いてみようって思います。
*
記事を書くときでも
何か意見を発信するときでも、
「これを発信することで、
これを表明することで、
無意識のうちに
誰かを傷つけてしまっていないだろうか?」
ということは意識してたいなって思っていて。
これは、
コーチとなった初期の頃から
私の所属するスクールでも大切にされてきた考え方で(今もね)、
これまでも意識してきたつもり、でした。
そう、意識してなかったわけじゃない。
これまでも気を付けてきた部分だった。
でもね、今年気づいたことがあって、
それが、今回タイトルにした
「悪気の無い頑張ってるアピールの功罪」でした。
*
たとえば、
「私、こんな大変な状況でこんなこと頑張りました。
こんな結果が得られました。達成しました。頑張って良かった。」
と、いっさいの悪気はなく、真正面から感じたことを書いたとする。
もしも、
同じような状況で頑張っている人がいたとすると
そこに共感がうまれることもあったりするし、
頑張ってる背景を知ってくださった方が
「もっと応援したい!」と
力をかしてくださったり
協力してくれる方が現れたりもする。
実際にそんなありがたいこともあったし、
それが悪いことだ、
なんて言うつもりはないのです。
ただね、一方で、
「功罪」の「罪」の側面にはどんなものがありそうか?と考えたとき、
一番に頭に浮かんだのが、
同じように "頑張りたい!" と思っている受け手(読み手)がいたとして、
受け手(読み手)の心や思考の状態によっては、
【発信を受け取ってくれた受け手(読み手)の心のなかで・・・】
(この人はこんな大変な状況なのに頑張れてるんだ…)
(すごいな…)
↓ ↓ ↓
(それと比べて、私は全然進めていないじゃない…)
↓ ↓ ↓
(私なんて、ダメだ…)
(なんで私はこうも動けないんだろう…)
と、
受け手が自身を責めるきっかけになりやすい側面がありそう、
ということ、でした。
これって、
もちろん
書いた方に悪気はないのだし
正真正銘、大変な状況の中で頑張ったのは本当のことだし
ほんとうに素晴らしく誇らしいこと!なのだけれど、
受け手側の状態によっては
もしかしたら一緒に喜べない状況もあるよなぁ、
と思うんですね。
そこを「いやいや、一緒に喜んでよ!」というのは
発信側のちょっとした押し付けにもなっちゃう。
発信されたものをどう捉えるかは
受け手側がにぎってるから。
自分のことでせいいっぱいなときは、
もしかすると「頑張ったよ!こんなことできたよ!」なアピールをするような文章に(ほんとうに無意識のうちに)なっちゃってることが多いのかもしれないな、って思うのですね。
(これは、ほんとうにほんとうに、自戒を込めて。。。)
でも、受け手側のいろーんな状態を想像できたら、
書き方や発信の仕方が
想像しなかったときと比べて
違ってくるんじゃないかな、って感じています。
もちろんね、受け手がどう捉えるかは
私たちがコントロールできるものではないのだけれど、
でも、
できるかぎりやさしく届けられるかたちにできたら
きっと、単純に、発信側の心も
じんわりあたたかくなれるんだろうなって思ったりしてます。
*
数年前の自分の投稿を読み返すと、
言い訳を作り出してなかなか挑戦できなかったけれど
一歩踏み込んでみたら
自信は要らなかったのかもしれない。
とりあえず「やってみる」が大事だったみたい。
とか、
何人もこどもがいて大変な状況なママさん仲間が
早朝4時に起きて
自分時間を作って起業準備をしてる姿をおもうと
私も言い訳できないなって奮い立たされる
と、
自分を奮い立たせるようなまぶしい投稿がありました。
当時は、
「奮い立たせる」
「言い訳せずに、やる」
というマインドを大切にしていたし
ガンガン進んでいけるように、
自分を自分で応援したかったのかもしれないし、
こんなに走れている自分!
って、
文章にしながら
私自身が感じたかったのかもしれないんですよね。
今年は特に、
「動けない自分」
「気持ちだけが焦るばかりで、身動きのとれない自分」
を知りました。
そこから、
自分が体感したからこそ
なにかを発信するときの『視点』が増えたなぁ
必要な体験だったなぁ、良かったなぁ
って、思っています。
そうはいっても、私も、もちろん日々修行中の身で^^
だからこそ、
たどたどしくても、一瞬失敗したとしても、
noteに綴っていくことは
これからも続けていきたいなって思っています。
今日もおつきあいくださり、ありがとうございます。
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