未経験の僕が仕事を辞めて学習塾を開校する話その30―未経験の僕が相談にのる意義
僕は,僕という一人称を好んで使っています。
これはたぶん悪いことなのだろうなと思いながらも社会人なら「私」と言うべき場合の多くでも「僕」を用います。
よっぽど格式の高い会議なんかで話をしなくてはいけないときはやむを得ず「私」を使うのですが可能な限り僕は僕でありたいと思っています。
理由はたくさんありますが,どれも他のひとにとっては取るに足りないことなので理由にはならないのだろうなと思う反面,それで悪い評価や低い評価をもらうなら仕方がないと割り切ってもいるので,僕にとっては割と強いこだわりというか,価値観が眠っているところなのだろうなと。
ま。そんなどうでもいい話は置いておいて今日のお話。
僕はまだ学習塾を始めて3年目ですから,未成熟も未成熟の塾長です。まして塾業界に身を置いたことはこれまでなかったのですから,言ってみたら異端というか,紛れというか,勘違い野郎というか,まぁとにかく教えを乞うような人物ではないのです。
丸2年で,年収はだいたい500万弱になりました。
(第3期は600万ぐらいまではいけそうかなと見通しております)
僕としては実のところいったん満足してますが,これから学習塾を始めようと考えている人たちにもっと夢を与えなくてはなりませんから,可能なら5年以内に2店舗,3店舗ぐらいで年商3000万を夢見ておきましょう。
2店舗目がうまく軌道にのれば,たぶん3店舗目以降はスムーズに廻せるのでは?と淡い期待を抱いていますが,まぁそれはちょっと先の話です。
さて,そんな僕がどうしてコンサルまがいというか,これから開業したいと思っているひとたちの相談にのりたいと思ったのかというと,そもそも僕はコーチングを10年以上学び実践してきたり,キャリアコンサルタントの有資格者だったり,国立大学で学生支援の仕事を20年以上やってきたりと,いわゆる「対人支援」畑で育ってきていることが大きいです。
簡単に言えば対人支援スキルを活かして「誰かの役に立ちたい」という気持ちです。1対1支援という意味では相応の自信がありますから,コンサルは難しくても相談業務は任せとけ,という気持ちです。
とは言え,というところはあります。
けれどもnoteを書き出した頃,あるコーチのコーチングを受けた際,「ゼロから学習塾をつくってそれなりにスタートアップできたのだからこの経験を他のひとにシェアできるんじゃないの?」という言葉をいただいて,いやでも僕なんてまだ駆け出しなのに誰かに何かを教えるなんて…と尻込みしたことを覚えていますが,そのときにいただいた言葉が,
「未経験で仕事を辞めて起業をしてみようかと思うことと,実際にやってみて,紆余曲折を経て現在に至ることは,全然別物。その経験は,未経験のひとにとってはお金を払う価値のあるものだよ。」
というものでした。
ありがたいことに実体験はナニモノにも代えがたいというか,説得力があるというお言葉です。そのひと固有のエピソードや考え方もさることながら,実際にその体験をしてきて得たものは,未体験のひとからみたらとても重要なことが多いとおっしゃってくれたのです。
実際のところたとえば「未経験の学習塾業界に,仕事を辞めて飛び込んでみよう」と思う人が100人いたとして,実際にやってみようと決断していろいろと動き出せるひとがそのうち10人。実際に仕事(まして安定した職業ならなおさら)を辞めてスタートアップするのはさらに減って1人だそうですから,まぁホントにやっちゃった強みはあるのかなとそのとき思った次第です。
もちろん未経験での独立開業が正しい行動かというと一概には言えないので絶対やるべき!と断定はできませんし,必ずしもオススメはしません。いえ,だからこそ相談にものれるのかなと思っています。
GOかSTOPかの判断材料にもなる自信はありますし,失敗を積み重ねた分,失敗回避する材料になる自信もあります。
先にやっといた方が良いこと,後回しにした方が良いこと,要するにもう一度自分がゼロベースに戻ったとしたら今度はこうやろうと思っていることなどお伝えできる点でも有効かなという自負はあります。
でもだったらもっと熟練のコンサルに相談した方がいいじゃん。
と思いますよね。
僕もそう思います。
ただいくつかの点で,僕にしかできないことはあります。
未成熟な学習塾コンサルというか,「僕」に相談するメリットは
つまるところ僕は僕しかいないという点で,僕に相談する価値を見て欲しいと思っています。
あるいは「寄り添う」みたいな曖昧なことにお金を払う価値があるのか?と問われれば「ある」と即答します。ひとはどんなに自立していても,新しい道を歩くときは不安や心配はつきまといます。
誰かの協力を仰ぐとき,ビジネスパートナーとしてはもちろん,その道を共に歩み,他人事ではなく自分事として責任を持つ者として,そしてひとりの人間として,側に誰かがいてくれるというのは本当に心強いものです。
早く行きたいならひとりで行け。
遠くまで行きたいならみんなで行け。
というアフリカのことわざがあるそうですが,誰かと相談しながら,確認しながら,評価しながら,少しずつ進んでいけるというのは本当にありがたいことです。
そのパートナーとして,誰を選ぶのか?という点で,僕という人間を相談相手に選ぶ価値をどのように提供していくのかということを僕は追求していかなくてはならないわけです。
《つづく》