ポン太 虹の橋を渡る チップとポン太と4匹の子どもたち
うちには、3匹のチワワがいた。
最初の子は、東京お台場のペットショプで子供たちから
「どうしても犬が飼いたい」とせがまれて買い求めたチップ♀だった。
僕も、妻も、子供時代に犬を飼っていた。
だから犬との暮らしが代えるものがないほど楽しいことは体験として知っていた。
子供を持った時から、いつか子供達が「犬を飼いたい」と言い出すであろうことは想定済みだった。
だって、自分たちが子供の頃、そう言って親にねだっていたのだから。
そして、幸いにも一戸建てに住んでいたので、犬を迎えることには何の障害もなかった。
ただ、私は子供たちに
「犬を飼うということは、生涯面倒をみるということで、おもちゃのように、もういらないとか興味がなくなった」
などということは許されてはいないのだということをショップで買う前に伝えたかった。お店で売ってはいるけれど、これは命なんだということだけはきちんと伝えなくてはと思っていた。
飼えなくなった犬は、殺処分が行われていることも、飼う前に知らせなくてはならないと思っていた。
犬を飼うというのは、これまで飼っていためだかやハムスターを飼うのとは訳が違う。君らがこれまで生きてきた時間より遥かに先の未来に渡るまで、命に責任を持つということなのだ、ということをわかってから飼わなくてはならないと考えていた。
その思いが伝わって、家族として犬を迎える決断をした。
我が家の生活は一変した。
超小型犬のチワワの子犬は、信じられないほど小さくて可憐だった。
散歩に行けば、誰彼なく「可愛いですね!」と声をかけてきた。
子供を連れていても、時々「可愛いですね」と言ってくれる人はいたけれど、チワワの子犬を連れて歩く時の比ではなかった。
だが、子犬の時代はあったいう間に終わってしまった。
子犬特有の可愛らしさは日に日に薄らいでいった。
そうやって僕たちの華やぎきった暮らしは日常の落ち着きを取りもどしていった。
そのまま、平和で穏やかな日が続いていくのだと思っていた。
だがある時、妻が携帯電話の画面で真っ白な子犬の写真を見せてくれた。
「この子可愛くない?」
最近、群馬県のブリーダーさんのところで生まれたチワワの赤ちゃんだという。
そこには、少し驚いたような表情をしたあどけない顔の真っ白な赤ちゃん犬が写っていた。
一も二もなく、家族4人で群馬のブリーダーさん宅を訪ねた。
そして、その犬に会った瞬間、一緒に暮らすことを疑う家族はいなかった。
こうして僕たちは、当然のことのように2匹目のチワワを迎えることになった。
その時、僕はまだ妻の深謀遠慮には気付いてすらいなかった。
いや、気付かなければならなかった。
去年ペットショップから迎えたチップちゃんがメスで、
ブリーダーさんの家で一目惚れしてしまったポン太がオスだということに。
うちには、一年の間に再びチワワの子犬という、抗いようもないほど可愛い子犬と暮らす時間が戻ってきたのだ。
だけれど、ポン太もチップの時と同じように、あっという間に成犬になってしまった。
そして、ポン太は1歳でチップを妊娠させた。
これが妻の深謀遠慮だった。
こうして、うちでは3年連続で子犬を迎えるという、盆と正月が一緒に来たような華やぎと喧騒がやって来た。しかもチップの生んだ子犬は4匹だった。(続く)