デザインの力 メルボルンが世界一住みやすい街と呼ばれるわけ
オーストラリア、ビクトリア州メルボルン
なぜこの街が「世界一住みやすい街」と呼ばれるのか、
理由を探してみたくて街を歩き回りあれこれ考えるうちに、
それは「デザインの力」なのではなかろうかとの考えが思い浮かんだ。
この調査は、英誌エコノミストの調査部門エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)がまとめた「世界で最も住みやすい都市」のランキングで、メルボルンが2011年から7年連続で1位となったことから、メルボルンの枕詞のように語られるようになった(2024年はウィーンが4年連続1位)。
この調査は、世界140都市を対象に、安定性、医療、文化、環境、教育、インフラなどの項目を基に「住みやすさ」を数値化したものだそうだが、旅行者には実感しずらい。
実際に訪ねてみると、旅行者にも感じられる住みやすさは
①気候がいいこと(温暖で穏やか。夏は死人が出るほど暑い東京とは大違い)
②治安がいいこと(夜でも女性の独り歩きが可能)
③足の便がいいこと(空港が近い、トラムが無料)
④景観が美しいこと(ヤラ川を中心に都心も郊外も緑が多く美しい)
⑤食事が美味しい(移民が多いため多様性が高い)
ことなどが作用しているような気がした。
確かにメルボルンは、これらの①〜⑤の要件はどれも満たしている。
それに加えて「デザインの力」があるような気がして、検証してみたくなった。
例えば、シドニーには世界的に知られるオペラハウスがあって、それ自体が観光スポットになっている。ハーバーブリッジがかかり、世界3大美港に数えられる港があり、港湾の美しさは群を抜く。
メルボルンも海に面した街で、港はあるものの、シドニーほどの特徴はない。
むしろ、湾にそそぐヤラ川周辺の美しさの方が際立っている。
では、メルボルンでデザインの力を感じた 7つのポイントを観ていこう。
デザインの力(1) メルボルンのシンボル ヤラ川
デザインの力(2) ストリートアート
テーマは、ヤラ川からビル街へ。
ビルの壁面に、自由に作品を描くことができるホージア・レーン。
ひっきりなしに上書きされていくことが前提となっている。
市が管理しており、ストリートアートを公認する見識に敬服する。
文化的なものへの許容範囲が広く、描く人も、見る人も楽しんでいる。
これを落書きではなくアートと定義付ける懐の深さが、バンクシーのような芸術を育んでゆく素地になるのだろう。イギリス文化の系譜を受け継いでいると思われる。
デザインの力(3) 伝統建築
ヨーロッパの街の風格を形作っているのは、何と言っても歴史的建造物だろう。
そもそもがイギリスの植民地なのだから、イギリス風の建物ばかりだったはずだ。
とはいえ、ローマやフィレンツェ、パリ、ロンドンといったヨーロッパの歴史ある街の建造物ほどの歴史はない。
だが、東京のようにほぼ全てが戦後の建物、といった浅さでもない。
数は少なくなったとはいえ、イギリス風の建築物はメルボルンに風格を与えている。
メルボルンで最初に挙げなければならないのはフリンダースストリート駅だろう。ガイドブックに真っ先に紹介されるのが、この駅舎の写真である。
駅舎が建築として優れているだけでなく、なんと言ってもメルボルンの観光の出発点になる場所だ。日本で言ったら渋谷に当たる役回りかもしれない。
オーストラリアは1901年に連邦国家として独立しているから、ビクトリア女王時代(1837〜1901年)が、まさにイギリス植民地時代ということになる。
街に残るビクトリア調の建築や装飾は、当時の面影を残していて格調高い。なにせ、ここはビクトリア州の州都メルボルンだ。
ビクトリア州立図書館
観光名所になる図書館。
4階分を吹き抜けるように作られた閲覧室に度肝を抜かれた。
これを目にした瞬間、
「あー、日本だったら一階ごとに4層の閲覧室を作り、収容人数を4倍にしただろうな」とうなだれた。
この閲覧室の設計図を上司に見せた途端、
「平米あたりの収容人数は何人になるのかね?」
と聞かれただろうな。
などなどの思いがよぎってしまった。
効率だけが求められる日本とは違って、デザインの力によって今までなかった価値を生み出そうとしたのだろうな、という強いリスペクト感情が湧きおこった。
目指したのは閲覧者の開放感か、見るものを圧倒する空間の贅沢さか。
知の殿堂たる図書館を比類なきものにすることで、知の価値を高らかに謳い上げたかったのではないか。
いずれにせよ、このデザインが構想され、承認を得て建築物としてここにこうして存在しているという現実に圧倒された。
世界遺産「カールトン庭園と王立展示館」
1880年のメルボルン万国博覧会会場となった王立展示館は、この森を抜けたところにそびえ立つ。
建物に行き着くまでに、緑のアプローチを作るという考え方に魅了される。
戦争慰霊館
王立展示館へのアプローチになっているカールトン庭園のように、戦争慰霊館へのアプローチも素晴らしい。
建物を建てるだけでなく、そこが見上げる位置にあること、直線的な緑に囲まれたアプローチが慰霊館の神秘性と尊厳を高めている。
セントパトリック大聖堂
やはり教会建築は外せない。ゴシックリバイバル様式というそう。
第2次世界大戦が勃発した年の完成だから、決して古いとは言えないが、ステンドグラスなど内部の荘厳さはヨーロッパの教会にも引けを取らない。
ヨーロッパでは大聖堂がないと市(シティ)とは認められないらしい。
デザインの力(4) 現代建築
メルボルンの建物は、ものすごい勢いで建て替わっている。
イギリス植民地時代は、イギリス風の建物ばかりだったのだろうが、21世紀になってメルボルンは、500万都市としてその姿をどんどん変えている。
長らくシドニーに次ぐオーストラリア第2の都市だったが、周辺市を吸収合併したため、シドニーの人口を抜きオーストラリア最大の都市となった。
デザインの力(5) 伝統ある大学キャンパス
メルボルン大学
オーストラリアの大学は英語圏ということもあってか、世界大学ランキングで軒並み高評価である。
同国最古の大学はまだイギリスの植民地だった1850年に創立されたシドニー大学。
それに遅れること3年、1853年にメルボルン大学が創立されている。
100豪ドル札(約1万円)の肖像になっているモナッシュ将軍が1958年に設立したモナッシュ大学などが、いわゆるグループオブ8(オーストラリア8大大学)。
ちなみに、日本の旧一万円札の肖像である福沢諭吉が創立した慶應義塾大学はモナッシュ大学に先立つことちょうど100年前、1858年蘭学塾としてスタートしている。
メルボルン大学のメインキャンパスは王立展示館の西北にあり、イギリス風の重厚な建築で知られる。ハリーポッターに出て来そうだと観光バスが横付けするような名所になっている。
今回は、メルボルン東部にあるバーンリーキャンパスの大学植物園を訪ねた。
モナッシュ大学
1958年にモナッシュ将軍によって創立された。
ジョン・モナッシュは豪ドルの100ドル札の肖像になっている偉人。校内はもちろん市内の公園にも銅像が建てられ市民の尊敬を集めている。
話は逸れるが、今回の旅は、両替を一切しなかった初めての海外旅行になった。
大学内も完全キャッシュレスで、モナッシュ大でモナッシュ将軍の肖像の入ったお札を使うという願いは叶わなかった。笑
ちなみに、慶應義塾大学でも「福沢諭吉」の出番はなかった。
学食で「夏目漱石」と「野口英世」しか使ったことがない。笑
いくつかの大学が統合されて現在に至るため、市内に6キャンパスがある。
クレイトンの本部キャンパスを訪ねた。
メルボルン大学とは対照的に現代建築の粋が集められたようなキャンパスだった。
バスが斜めに停められるのもユニークだし、
屋根が左右対称でないのにも痺れる。右側はベンチと一体化している。
ただのバス停なのに、美しすぎる。
左右に置かれた水色のどこにでもあるバス停をここに置いてもよかったのに、敢えてここに別なデザインのバス停をしつらえ、機能一辺倒に陥りそうなバス停という場を見事に新しい大学をシンボライズさせている。
エントランスでバス停を使って「We are Monash University」と語らせているデザインの力に、もう唸るしかない。
「畏れ入りました」
我々が何者なのか、このバス停を見れば分かるでしょ!
只者じゃないよ、というわけだ。
デザインの力(6) 商業施設
クイーンビクトリア・マーケット
店舗ディスプレイ
デザインの力(7) 劇場
その街の経済的豊かさを測る指標の一つに、劇場があると考えている。
コロナ禍で明らかになった事だが、劇場は不要不急な存在だからだ。
誤解を恐れずに言えば、なくても生きていける施設だから。
なくても生きていけるものがたくさんある。豊かな証拠だ。
メルボルンのイーストエンドには歴史ある劇場が6軒集積している。
その中のリージェントシアターで「Wicked」を観劇。
おめかししたカップルやリムジンで乗り付けるリッチファミリーなどなど
席は満席。ロビーは華やかな雰囲気で満たされていた。
6軒の劇場がそれぞれに、得意の演目で観客を集める。
そうした劇場街があることをみても、この街が経済的に豊かで、文化的にも高い水準を保っていることが分かる。
以上、7つの観点から、世界一住みやすい街メルボルンの持つデザインの力を探ってきました。お読みいただき、ありがとうございました。
追補
デザインではないので、本編では取り上げていませんが、自然環境の豊かさもこの街を住みやすくしている理由の一つだろうと思いました。
丸一日かけて足を伸ばした「世界で一番美しい海岸線」グレートオーシャンロードでは南極からの風を感じました。
海は、ひと波ごとに陸を削り、荒々しい景観を生み出します。
そして、人々はそれを12使徒に見立てました。
そこに至る道々、あまりに美しいビーチや手付かずの雨林、野生のコアラなどを見ることができた。
開墾された広々とした牧場で放牧されているアルパカや牛たちも、ここならではの風景を作り出していた。
デザインの力に、共感いただけたでしょうか?
デザインが優れているって、どういう事なのか?
デザイン力が優れているということの前に、そこをどんな場所にしたいのかというビジョンがあって、それを制約の中であるいは制約を乗り越えようと呻吟し実現する意志こそが、まずはじめに必要なのだと思いました。
実現したいもののために、無駄をどれだけ許容できるか、社会的制約、経済的制約、美観的制約、宗教的制約などなど 降り注いでくる諸々の制約とどれほど真剣にせめぎ合ったか、その結果として街に出現するデザインがあるのだと思います。
その結果として、メルボルンは美しいし、住みやすいのだと。
ここ、メルボルンはイギリス的なものから出発しながら、そこに安住せず、世界に開かれて行った街なのだと思います。
シドニーに比べてもはるかにアジア系の顔が多い印象です。
それを見事に表現しているのが、移住博物館(移民博物館と訳すことも)だと思います。
この博物館がメルボルンにあるのは象徴的だし、
「オーストラリアは開かれた国として生きることに決めた」
という決意の表れだと感じました。
思い込みや、旅の勢いもあるかもしれません。
オーストラリア在住の方やメルボルンを旅された方からのご意見をいただけたら幸いです。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。