
木に抱きついた事はありますか?
森の麓で育った。
その森は市の風致地区に指定されており、保全されているものと思われた。
しかしある時帰省してみると、その森で一番背が高い木が切り倒され、そこに住宅が建っていた。
「どうしてこんなことをするのか?」
「ここは風致地区だったんじゃないのか?」
その森の頂上には神社が祀られ、僕が子供の頃は祭祀も執り行われていた。
神社に至る参道だけは石の階段が整備されていて、老若男女誰でもが登ってお参りすることができた。社の両脇には狛犬もいたし、賽銭箱もあった。
たかだか110m程度の森(ちなみに東京都庁は243mある)だが、中腹には公園も整備され、子供の頃は文字通り野山を駆け巡っていたのだ。
山頂の西側に、子供にはお誂え向きの岩があって、腕白坊主たちは競って登り、雄叫びをあげた。
神社に向かう参道の途中にも長次郎狐という狐を祀った岩があり、誰がお参りしたのか分からないが、油揚げと水が供えられてあった。
信心していた訳でもないのに自然と手を合わせていた。
もちろん、近所の腕白坊主達はこの森に「秘密基地」を作っては集まり、肩寄せあって密談をした。
冬になれば、参道とは別の獣道のような細い道で、そり遊びを楽しんだ。
みんなお手製のソリを作って、ビニールホースを切って打ち付け、滑りをよくする工夫をした。ビニールに蝋燭のろうを塗り付けスピードを競った。
天然のボブスレー場で、服がびしょ濡れになるのも構わず、日が暮れるまで遊んだものだ。
その森は、その後も開発が進み中腹には数軒の家が軒を連ねたり、崖になっていたところは緑で覆われ、裾野にも家が立ち並んでいた。
そんな幼少期を送ったせいか、木が大好きで仕方ない。
神社に行っても、御神木には手を合わせる。
木の作り出す、それも樹齢を積み重ねた木々が作り出す雰囲気は、なんとも言えず人を落ち着かせるものがある。
今でも、木が生えているところが大好きだ。
東京の中心部、神宮の森には、国立競技場、秩父宮ラグビー 場、神宮球場などがあり、スポーツを観戦に行ったほか、けやきの紅葉を見に行ったり、親しみが深いエリアだ。
東京オリンピック2020のために国立競技場は一足早く建て替えられたが、これから神宮球場と秩父宮ラグビー 場の建て替えが始まる。
どういうわけか、場所を入れ替えるのだそうだ。
そのために、神宮の森の木をほとんど伐採してしまう計画だという。
「なんてことをしてくれるんだ!」
と計画を聞いただけで腹が立った。
幸いなことに、高校生たちが反対の声を上げてくれていて、今生えている樹木を残して欲しいと陳情をしている。
木を切ることができるのは、管理している人だけである。
国有地であれば国が伐採主体になるし、都の施設なら東京都が伐採主体となる。
ただでさえ公園面積が少ない東京都なのに、この上まだ木を切ろうというのだから訳がわからない。
おそらく、建て替え計画を練る人の頭には建物を建て替えることだけが課題として存在しているのだろう。
老朽化した建物を安全のために建て替えなくてはならない、と。
そこに決定的に欠けているのはランドスケープという視点だと思う。
東京に暮らす人や、外国から東京を訪れた人が、そのエリアをみてどんな気持ちを抱くのか?
都市景観や生活の質、はたまた環境への負荷、温暖化対策など、考慮に入れて欲しい要素はたくさんある。
建物を建て替えるんじゃない。
景観を作り直すのだ!そんな発想を持ってもらいたいと切に願う。
辛いことがあった時、木に抱きついて癒してもらったり、木からエネルギーをもらったりしたことのある人なら、そんなに簡単に木は切れないんじゃないかと思う。