渋谷スクランブル交差点の 何が面白いのかを直接イギリス人に聞いてみた話
【シーン1】
メルボルンの街中。
見通しの悪い四つ角でそれは起きた。
石造りのビルの角、狭い歩道。出会い頭に僕たちはぶつかりそうになった。
「おっと」という感じで、僕が立ち止まった瞬間、僕にぶつかりそうになった若い男性も立ち止まり、なんと握手を求めて来た。
英語で何か言っていたけど、早口過ぎて分からなかった。
想像するに「ぶつかるところだったね、あぶないあぶない」
とでも言ったような落ち着いた表情で僕の手をグッと握りしめた。
どうして、街角でぶつかりそうになっただけで握手をするんだろう?と思いながらも、相手の表情が友好的で礼儀正しい感じだったので、ついこちらも手を握り返した。
こういう場合、握手を断る方が勇気が要るだろう。
イケメンで礼儀正しい彼は、3秒後には何事もなかったかのように私が来た方向に角を曲がって歩いて行った。
僕は、この出来事がとても強く印象に残った。
男と男がぶつかり合ってしまってからでは
「エクスキューズミー」では済まされないということなのだろうか。
瞬時のリスクを友好的に握手で回避して行った彼の行動が、とてもスマートに見えた。
日本では、道を歩いている時にぶつかりそうになったからといって、見ず知らずの他人と握手をすることはまずないから、とても印象に残った。
【シーン2】
それは、メルボルンのサザンクロス駅前のコンビニのレジ待ちの列で起きた。
コンビニは勝手知ったるセブンイレブンだ。
売られている商品はオーストラリア製の食品が中心で、セブンイレブンだからと言って日本と同じというわけではないけれど、アウェー感はゼロだった。
経験あるでしょ! 海外で見慣れた看板見つけた時の安心感。笑
日本のコンビニでもそうするように、商品を手に持って大人しく行列に並んでいた。
駅前という場所柄なのか、混む時間帯だったのか、列には10人近くの人が並んでいた。
僕は待つ間に、誰かが買ったあと開けっぱなしになっていたドーナツの観音開きのガラス戸をそっと指で押して閉めた。
しかし力が弱かったのか、カチっとは閉まらず、押した反動で再び開いて来た。
きっとドーナツを買った人も、ガラス戸を閉めたのだけれど反動で開いて来たのかもしれない。
その時だ。
反動でゆっくりと開いて来たガラス戸を、僕の前に並んでいた高校生らしいオーストラリア人の男の子がカチっというまで閉めて、僕に目配せをして来た。
「開けた扉は閉めないとね」
という感じの目配せだった。
「ぼくと君とで、ガラス戸を閉められた。これでドーナツが渇いてしまわないように出来たね」
という″力を合わせた感″が2人の間に漂った。
高校生たちは学校帰りなのだろう。コンビニに寄り道して、買い食いをするところらしかった。
僕にも、記憶がある。
体育会系の高校生だった僕も、やたらと腹が減っていつも食い物のことばかり考えていたものだ。学校帰りの買い食いは楽しい記憶のひとつだった。
高校生たちは、連れの友達全員が会計を済ませるまで狭い店内でたむろしていた。
そして、僕がお会計を済ませると、さっきの高校生が、右手で拳を作ってぼくの前まで歩み出て来た。
僕は、にっこり笑って、ガラス戸を閉めてくれたことに改めて礼を言いながらグータッチに応じて店を出た。
なんとも言えない、爽やかな気持ちになっていた。
【シーン3】
僕は、世界一美しい海岸線と呼ばれるグレートオーシャンロードに向かう日帰りバスツアーにひとりで参加していた。
高速道路を降りてすぐの美しいビーチで、紅茶とマフィン付きの休憩時間があった。
1人のイケメン青年が笑顔をたたえながら僕に声を掛けて来た。
「どこから来たんですか?」
と定番のあいさつ。
「日本からだよ。東京に住んでる」
ロンドン在住のイギリス人だという青年は
「オーストラリアに来る前は日本を旅してたんですよ」
僕をみて、日本人かもしれないと思って声をかけて来てくれたようだった。
「日本では、どこに行ったの?」
と聞くと
「新宿に、渋谷。」
という答え。外国人観光客をよく見かける場所だ。
「へー渋谷に行ったんだ。ハチ公の銅像は見たかい?」
「見た、見た。ハチ公はイギリスでも有名ですよ。笑 それとスクランブル交差点が面白かった」
僕は、ゲラゲラと笑いながら尋ねた。
「スクランブル交差点では動画を撮りながら渡る人なんかもいて、外国人観光客がすごく多い。僕たち日本人には不思議でしょうがないんだ。交差点がない国なんてないのに、なぜわざわざ渋谷まで交差点を見に来るのかって?」
積年の疑問を晴らすチャンスだと思い、ダイレクトな質問をしてみた。
彼は、
「渋谷のスクランブル交差点は、うわさ通りアメージングでした。
だって、あんなにたくさんの人が一斉に渡って来るのに、誰ひとりぶつかる人がいないんですよ!」
まるで世界の7不思議の一つを見たとでも言わんばかりに興奮しながら教えてくれた。
どうして交差点で人がぶつかるのか、よく分からなかったので、再び彼に聞いてみた。
「ロンドンでは交差点で人がぶつかるの?」
彼は、スクランブル交差点を渡る人数が尋常でない多さなのにぶつからないことに奇跡を見ているようだった。
「だって、一斉に四方からバラバラな方向に人が歩いているのに、だれひとりとしてぶつからない。すごく不思議ですよ」
なんでそんなことが不思議なのか、むしろ交差点で人がぶつかる方が不思議だろ、と思いながら話はそこで終わった。
バスに戻った私は、こんな想像をしていた。
水族館の、決して広くはない水槽の中で、魚は自由に泳ぎまわりながらも決してぶつかることはない。
僕たちは、そのことを不思議に思うことはないけれど、互いにすいすい相手を交わしながら泳ぐ魚たちを飽くことなく見詰めることがある。
外国人観光客には、僕たち日本人が水槽の魚のように見えているのかもしれないと。
僕たちは、その後も休憩のたびに言葉を交わして、ビーチで記念写真を撮った(サムネの写真がそれ)。
そして、【シーン1】で登場した握手を求めて来たイケメンくんを思いだした。
僕は、メルボルンの交差点で人とぶつかりそうになっても、きっとぶつからないと思う。渋谷のスクランブル交差点でもぶつからないように。
しかしあのイケメン君は、ぶつかりそうになったこと自体、まずいことだと思ったのだろう。
だから、「危なかったね、敵意はないよ」という意味を込めて握手を求めてきたのではないか。
わざとぶつかった訳じゃありません。
といちいち言葉にしなくちゃいけない文化も面倒臭いなぁと思わないこともなかった。
けど、いちいち言葉や態度で友好を確認しあう文化っていうのも悪くないなと思う。
それが証拠に、僕は【シーン1】で出会ったイケメン君にも、【シーン2】で出会った男子高校生にも、いまだにとても良い印象を持ち続けている。
僕たち日本人の、人がどう動くのかを瞬時に忖度してしまう癖は、世界的には超レアな能力なのかもしれない。
渋谷のスクランブル交差点は、日本らしさを感じることができる、意外と奥深い観光スポットなのかもしれない。