結婚指輪が戻って来た!
古巣の職場から電話があった。
受話器、いやスマホから、退職時に同じ部署で働いていた人物の懐かしい声が聞こえてきた。ワトソン君である。
質問は単刀直入だった。
Q「長谷川さん、結婚指輪どうされてます?」
A「えっ? してないよ。ずっーと前から」
Q「落とされたとか?」
A「覚えてないなあ」
デスクとデスクの間を清掃した際、床下から配線が顔を出す小さな隙間にキラリと光るものがあったという。
よく見ると指輪だったので、みんなの目に付くように、手指消毒用のポンプの横に置いておいたのだという。
大きな会社ではないので、指輪をなくした人がいたら名乗り出るだろうと考えての事だ。
しかし、何ヶ月経っても一向に名乗り出る人がいない。
ものがモノだけに捨てるわけにもいかない。サイズが大きいので男性用の結婚指輪だろうとあたりをつけていたらしい。
そこに、放置された問題を解決しようと思い立った人物が現れた。ホームズ君である。
ホームズ君は、消えかかってはいるものの指輪の裏に文字が刻印されていることに気付く。すり減っていて判読するのは簡単ではなかったという。
しかしホームズ君は諦めない。メガネを斜めにして凝視し、微かな刻印は
「5th anniversary 2004」
と書かれているのではないか?と推理する。
ということは、落とし主は1999年に結婚した男性なのでは?
ホームズ君は自分の推理をワトソン君に告げると、裏を取りに動いた。
1999年の社内報をめくってみると、既に退職している私の名があったそうだ。
「どうりで名乗り出る人がいないはずだ」
ジグソーパズルのラストピースを見つけて、架電の労を取ってくれたのはワトソン君だ。それが冒頭で紹介した会話だ。
自分が結婚指輪をしていない理由も経緯もすっかり失念している私は、一度会って現物を見せてもらうことにした。
某月某日、都内某所
会社の封筒からワトソン君が取り出した指輪を見た瞬間、芋づる式に記憶が蘇って来た。
薬指に嵌めてみるとサイズもぴったりだった。
1999年6月、僕と妻が結婚式で薬指にはめ合った指輪は、正式な物ではなく渋谷の歩道でビロードの布に並べられていた1,000円の安物だった。
式のわずか1週間前に「そろそろ買っておかないと式に間に合わないよね」と渋谷のデパートに行ったら、
「お客さん、指輪は1週間では納品できませんよ」
と言われ、それではセレモニーが成立しない!というので間に合わせに買い求めた品だった。
「俺たちらしいじゃないか」
物語を楽しめばいいんだよ!という僕の主張を、妻は理解してくれた(渋々だったかどうかは記憶にない)。僕たちは数年間、1,000円の指輪を結婚指輪として身に付けていた。
とは言え「それじゃあ奥さんがかわいそうでしょ!」という声もあった。そんな声に押されて「結婚5周年を祝う」という名目で指輪を作ることにしたのだった。
こうしてアニバーサリーリングを新調したのに、物語はハッピーエンドとはならなかった。
今度はその数年後、妻はその指輪を子供を連れて行った公園の砂場で無くしてしまう。砂まみれの服をパンパンしている時にスルリと抜け落ち砂の彼方に行方をくらましてしまったという。
妻がしていないのに、一人で指輪しててもなあ~。
私はもともと面倒くさがりで腕時計以外のものを身につけた事がなかった。
窮屈に思っていた指輪を外したのはそんなタイミングだった。
「長谷川さんは結婚指輪とかしない人かと思ってました」
無頼派を気取っていた私にそんなことを言う人もいた。
私は、指輪を外しはしたが、どこかにしまい忘れているのだとばかり思っていた。
それが辞めた会社の床に落ちていたとは!
不徳の致すところと言うしかない。
2021年の師走。思いがけず昔を振り返る機会を得た。
そんな時をプレゼントしてくれたホームズ、ワトソン両君には感謝しかない。