見出し画像

ポン太 虹の橋を渡る          3家族14年の物語

チワワは骨盤が小さいせいもあって犬の割には難産だった。
妊婦用品のブランドに「犬印」という名称があるように、犬は安産の象徴だ。
しかし、チワワの出産はそう簡単にはいかなかった。

温暖化の影響で、10月というのにちっとも秋めかない暖かい日だった。
子犬が寒がらないように、朝から床暖房を入れてチップの出産に備えた。

最初に出て来たのは長女の華(はな)ちゃんだ。
しかし、次の子がなかなか出てこない。
初産のチップのいきみが足りないのか、自分でお腹かから出てくる力が弱いのか、二番目の子は難産だった。
そして、生まれ落ちてからも目が開かなかった。結局チャビと名付けられた男の子は数日で亡くなってしまった。
三番目が、マッシュルームみたいな模様にくっきりとした毛足が特徴的でマッシュと呼ばれた。

そこまでいってもチップの出産は終わりにはならなかった。
朝から、順番に生まれ落ちて来た子犬たち。でも、最後の1匹がなかなか出てこなかった。
なんか、チップも落ち着いた感じになってしまっていて、僕たちはチップを動物病院に連れて行くことにした。
先生の見立ては
「もう少しだけ様子を見ましょう。それで生まれ落ちてこなかったら、帝王切開を行いましょう」
その病院からの帰り道、チップは車の中で息子の膝の上に、するりとムックを産み落とした。

こうして、チップの出産は丸一日かけて、4匹を産み落としたのだ。

子犬たちのあまりの可愛さに、妻の実家と義妹の家とうちの3家族で育てることになった。
長女の華ちゃんは義父と義母が暮らす妻の実家に貰われていった。
三番目のマッシュルーム似のマッシュは義妹のマンションに。
そして、難産の末にやっと生まれて来た末っ子ムックはうちの3匹目のワンコとなったのだ。

うちは子供を連れて毎年、海外旅行に出かけるていたのだけれど、それは実家のおじいちゃんが3匹の犬を預かっていてくれたから可能な事だった。

新年会やら、クリスマス会やらで、ことあるごとに実家に勢ぞろいしていたワンコたちは、そこはよその家ではなくて、実家なのだと認識していたようだった。
置いて帰っても、寂しがる風もなく兄弟そろっての合宿のような日々を楽しんでくれた。

こうして10数年という月日が、当たり前の日常として過ぎていった。

二家族計4人の子供達も、順に成人するだけの時間が流れた。

3家族と5匹の物語に、最初の変化が訪れたのは、実家だった。

義父が他界したのだ。90歳を超していたから大往生と言えるだろう。

もっぱら華ちゃんの世話をしていた義父が亡くなった翌年のことだ。
1周忌の法要を終え、実家に集まってほっとしていた時、庭で走り回っていた華ちゃんが、居間に戻ってきた時、忽然と倒れてしまったのだ。
突然のことに、何が起きたか理解するのに時間がかかった。
看護師をしている姪が叫ぶ「息をしてない!」

これはまずい。
最も近い動物病院に電話をして、車で運び込む。
初見だった獣医さんは、結構な時間心配蘇生を試みてくれたが、華ちゃんの鼓動は戻ることはなかった。
うちのワンコは薬を飲んでいたから、それを華ちゃんが誤って食べてしまったのではないか?
などなど、いろいろな憶測をしてみたが、他の犬の薬を飲んだからといって突然死してしまうことはない、と獣医さんにも否定された。

結局、1周忌でこの世に戻って来た義父が、自分ひとりだけ先に旅立ったのが寂しくて、華ちゃんを連れていってしまったに違いない、ということで落ち着いた。
それほど、華ちゃんの死は唐突で、あっけないものだった。

こんな事件もあって、義母は
「何かあっても私1人では対応しきれないから」
と、犬を預かってくれなくなってしまったのだ。

実は、これは華ちゃんの死後に始まったことではなく、義母はこれまでのように犬は預かれないと言うようになっていた。

最初のチャレンジは、息子の留学に伴って僕と妻がマレーシアに出かけることになった時に起きた。
学校の都合もあって自宅で留守番をすることになった娘は、毎晩、ポン太が夜中吠え続けるので困った、と言っていた。
「きっと、パパを探してるんだよ」
と。
僕とポン太の間には、他のワンコたちとは違う特別な絆ができていた。
外から帰って真っ先に僕を出迎えてくれるのは、いつも決まってポン太だったし、僕が最初に抱っこをするのもいつも決まってポン太だった。

それまでも、僕が家を空ける時などにポン太が玄関で待っていてくれることは何度かあった。しかし、夜通し吠え続けることはなかった。

そして、妻と僕が帰国した日、家で出迎えてくれたワンコたちは、盛大に尻尾を振りながら、飛びついて来てくれるものとばかり思っていたのに、ポン太は玄関に僕の姿を認めるや
「なんだよ、ずっと呼んでたのに。来てくれなかったじゃないか」
と拗ねて目を伏せてしまったのだ。

てっきり、尻尾を千切れんばかりに振って歓迎してくれるとばかり思っていたので、僕はこの出来事が強く印象に残っていた。


次にオーストラリアに行くことになった時は、預かってくれる人がいないので、最初の1週間を娘が留守番をして、妻が先に帰国し、入れ違いに娘がオーストラリアに来るという変則的なスケジュールを組むことになった。
この時は、ポン太は夜、吠え続けることはなかった。
だから、てっきり僕は何日か不在にしても必ず家に帰ってくることをポン太が理解してくれたのだと勝手に解釈していた。

そして、今回の韓国出張。

妻も娘も家にいるし、いないのは僕だけだから、てっきり大丈夫だと思っていた。
娘によれば、ポン太はやはり夜通し吠え続けたらしかった。

そして、昼間ハアハアしながら横たわっていたポン太はそのまま逝ってしまったのだ。(続く)