戯曲をダンスにする意味と意義〜前編〜
◆三東瑠璃(振付家、ダンサー、Co. Ruri Mito主宰)
1982年東京生まれ。5歳からモダンダンスを始める。2004年日本女子体育大学舞踊学専攻卒業。2004‒2010年ダンスカンパニー所属、その後フリーランスとして活動。スウェーデン王立バレエ団にてゲストダンサーとしてWim Vandekeybus『PUUR』、Sasha Waltz『Körper』に出演。またDamien Jaletと名和晃平による『VESSEL』に出演等国内外で、ダンサーとして活躍。2017年に土方巽記念賞を受賞。同年、としてグループ活動を開始。2020年に文化庁芸術祭新人賞を受賞。2021年には石川慶監督映画『Arc』で振付を担当。2020年度より公益財団法人セゾン文化財団セゾン・フェローII。
◆唐津絵理(愛知県芸術劇場エグゼクティブプロデューサー、Dance Base Yokohama(DaBY)アーティスティックディレクター)
お茶の水女子大学大学院人文科学研究科修了。舞台活動を経て、日本初の舞踊学芸員として愛知芸術文化センター勤務。2014年より愛知県芸術劇場プロデュ―サー。2000年第一回アサヒビール芸術賞受賞。2010年~16年あいちトリエンナーレのキュレーター。文化庁文化審議会文化政策部会委員、様々な劇場、プロジェクトのコーディネーター、企業の文化財団理事、大学の非常勤講師、審査員等を務める。パフォーミングアーツの幅広い分野で、実験的作品から国際共同製作まで多数のプロジェクトを企画プロデュース。2020年に立ち上げたダンスハウスDaBYでは舞台芸術環境の整備のための様々な実験と提言を行う。ディレクションしたDaBYが2021年度グッドデザイン賞受賞。
『ヘッダ・ガーブレル』との出会い
――2021年3月の初演から、時を置かずに再演が実現した『ヘッダ・ガーブレル』。そもそも、この題材とどのように出会ったのですか。
《三東》もともとは、ドラマトゥルクとして参加してくださっている杉山剛志さん(一般社団法人 壁なき演劇センター代表理事)からいただいたお話で、「イプセンの『ヘッダ~』を用いて創作・上演する」という枠組みが最初から決まっていたんです。私はこれまで戯曲や小説など既存の作品を使った創作をしたことがなく、最初はかなり不安だったのですが、そもそも原作を観たり読んだりした経験がなかったので、ネットであらすじを読むことが全ての始まりでした。
《唐津》 イプセンの戯曲では『人形の家』を観たことはありましたが、私も『ヘッダ~』は未見で。三東さんの公演後に興味が湧いて、戯曲を手に取ったクチです。
《三東》 そう言っていただけると嬉しいです。ネットで読んだあらすじの、具体的な内容は今はもう忘れてしまったのですが、読んだ直後は「コレ、私のこと?」と思うくらい直観的に響くところがあって。「じゃあ、しっかり読んでみよう」と戯曲を購入したところ、書籍の帯にお勧めコメントがあり、そこに「ヘッダは普遍的な女性像」という主旨のことが書かれていたんです。私に響いただけでなく、この戯曲とヘッダという女性は時代や国境を越えた普遍性を持っているんだと腑に落ち、そこから少しずつ作品に近づいていった感覚です。
三東さんがつくった『ヘッダ~』は、その理解や思考の部分をダンスで巧みに表現している
――唐津さんは愛知県芸術劇場での公演に今作を招聘してくださったプロデューサーでいらっしゃいますが、三東さんとの接点はどこに遡るのでしょうか。
《唐津》 三東さんを最初に拝見したのはソロの作品でした。六本木ストライプハウスギャラリーで観た『住処solo ver,』という作品で、動きのオリジナリティが高く、作品における身体の在り方がユニークな方だという印象は記憶に残っていたんです。その後、スケジュールのことなどもありなかなかご一緒できなかったのですが、『ヘッダ~』に取り組まれると聞き、非常に興味をそそられました。
コンテンポラリーダンスにおいて動きのオリジナリティはとても重要なことですが、それを抽象的な作品として見せるだけではなく、「物語がある中で(動きのオリジナリティを)いかに活かせるか」ということを、私自身もちょうど考えていたんです。ダンス作品で物語を使用する場合、ストーリーをなぞった説明的なものになりがちで、「なぜこの小説、戯曲をダンスにする必要があるのか?」という疑問を感じることも経験上多かった。文学は読むことで完結しているし、戯曲は演劇として上演されることが大前提ですから、ダンスにすることで演劇を超える面白さに到達する可能性は低いのではないかとも思っていたんです。だから、三東さんがどう取り組み、何を見せてくださるかに非常に興味が募りました。
《三東》 仰ることはよくわかります。私など、そもそも文章を読むこと自体が苦手。例えばこの戯曲は冒頭にヘッダが暮らす屋敷の間取りや家具などの描写があるのですが、読みながらそれらを具体的に想像すると、頭の中の情景に気を取られて読み進めなくなってしまうので(苦笑)。
《唐津》 先にお話しした通り、あらすじを頭に入れた程度で作品を拝見し、その後で戯曲を読んだわけですが、リアリズムで書かれたものなので細かい心理描写などはほとんどなく、「言葉しかない戯曲」というのが私の印象でした。自分で台詞と台詞の間にあるもの、行間を読む必要がある、というか。
《三東》 そうなんです。だから最初の作業は杉山さんと一緒に、2か月くらいかけて戯曲を読みながら解釈や作品の本質を探っていく、というものでした。
《唐津》 そんなつくり手とは異なる距離感で観客は、鑑賞しながら同時進行で自身の経験や想像を総動員しつつ作品を受け止め、理解するための思考を巡らせている。三東さんがつくった『ヘッダ~』は、その理解や思考の部分をダンスで巧みに表現していると私には感じられました。つくり手の勝手な解釈を加えるのではなく、観客が本来の台詞やドラマから受け取るであろう「こと」や「もの」、それらからイマジネーションを広げるためのサポートをダンスが果たし、三東さんを含む舞台上の踊る身体の物質性が、作品世界と非常にマッチしていて面白く拝見しました。
インタビュアー:大堀久美子
対談全文は公演ご鑑賞後のアンケート回答特典として公開いたします。
『ヘッダ・ガーブレル』公演の詳細・チケット購入は以下のリンクへ
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