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2024年12月25日:結婚7周年をむかえて、日越夫婦生活を振り返ってみる。
TOP画像は紅葉の時期に登別温泉にいったときの妻です。
妻が満足いく写真が撮れるまで、カメラマンがんばりました。
夫婦生活7年目に突入しました。うちは12月25日が結婚記念日なので、記念日を忘れるということはありません。世界中がうちの結婚記念日を祝福し、リマインドしてくれるのでありがたいです。元々は12月20日くらいにベトナムの役所に出したのですが、なんやかんや文句言われて書類の出し直しとかしてたら、偶然クリスマスが結婚記念日になりました。
せっかくの結婚記念日なので、結婚生活について振り返りながら、家族のことを綴ってみます。
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ベトナムに行って3か月目で出会って付き合い、付き合って3か月で結婚したけど、その後うまくいってるの?
うちは出会ってかなりのスピードで結婚まで行きました。
そのあたりの記事はこちら。
ベトナムに行って半年後には結婚というスピード感で人生を送ったのですが、7年経っても仲良くやってます。
今でもいろんな新鮮な驚きがあり、たぶんこれからもそんな感じで続いていく様な予感はしています。
きっと、上の記事みたいな楽しむ気持ちを持ち続けることが大事なのでしょう。相性や価値観がどれだけマッチするかということもパートナーとして大切でしょうが、一緒になった以上楽しくすごしていこうぜっていう、そういうテンションが私にはもっと必要なんだろうなと思います。どんな人と出会うかってことよりも、出会って結婚した以上それを続けていこうよってことですね。結婚生活は、えいっと進んであとは流れで!
結局言語のコミュニケーションは、伝わらないってことを前提にして、にこやかに諦めたほうがいい。
持論なのですが、誰かに何かが伝わるということを、過度に期待しないほうがいいのかなぁと思っています。ただ、これが母国語同士の会話で、日本人同士のバックボーンだと結構難しいなぁと思います。なまじ言葉が通じてしまうし、伝わって当たり前だと思うわけです。その結果、伝わらなかったらイライラします。例えば小学校生活を振り返ったときに、同じ小学校ではなかったとしても共通している部分が多いので、なんとなく同じだろうという前提がうまれています。
我が家の夫婦だと、幼少期の生活スタイルとか全く違うし、信じている風習とか全然違うので、前提がかみ合いません。かみ合わないので、もう諦めるしかないんですよね。この場合の諦めるというのは、絶望とはまた違った意味です。にこやかに諦める。息子が生まれたばかりのときに、外から帰るたびに妻が紙を燃やして魔除けをするところとか、もうにこにこ見てるしかないわけですよ。
この境地にいたると、些細なすれ違いとかは全く気にならなくなるので、たぶん一緒にいることがうまくいくようになります。おそらくですが、妻も僕の何かに諦めているんだと思います。ある日いきなり突然-10℃になる北海道に連れてこられて、家族みんなで生活することになることとかね。妻からすると「この人何やってんだろう」って思ってると思いますね。
子育てはやっぱり難しいし大変。でも、子どもがいなかった頃に戻りたいとは別に思わない。
子育てについての観は、こんな感じかなぁと思います。一応私が教育を専門にしてお仕事をしているので、山田家の基本的な教育方針は、妻が私に譲ってくれている形になっているかな。
自分の子育てをしていてね、やっぱり子育ては難しいし大変だなぁと思います。ずっと教育にかかわり、教育を考えて、仕事にしてきてもなお、それはそうです。
ただ、妻がもっている信念で、子どもにいつもいっていてこれはいいなぁと思うのは「どんなときでも、家族が大事ということはしっかり子どもたちに伝えていかなきゃいけない」ってことです。なんか最近の風潮だと、こういう昔ながらの価値観を一生懸命言うことって、なんか前時代的で抵抗ある気もするんですが、ストレートに妻はいつも子どもに言っているので、そこはベトナム文化でOKって思いながら見守っています。
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大変じゃない人生に、自分で自分の意味を見出して、充実感を感じることができるような自信が無い。
子どもがいなかった頃に戻りたいわけではない大きな理由が、これかなぁと思います。なんというか自分が自分の人生だけを生きる毎日を過ごし続けたときに、自分の人生に意味を見出しにくくなっていくような気がしています。
そこに妻と子どもがいると、自分の今に意味があることを信じることができるというか、そんな気持ちになってきます。大変だからなおさらかもしれません。そう信じたいだけなのかもしれません。とにかく子どもがいることで、自分が存在することの意味を深く考えなくても感じられるって気持ちになってます。
たぶん今独身で、今までと同じだけ仕事してお金稼いでいたら、時間的にもお金的にも自由で、楽しい時間はすごせるのだろうけれど。まっすぐに終わりに向かって行く人生の矢印に、だんだん虚無感を感じるようになっていくんじゃないかなって、そんなふうに思います。
人と違うということが、価値になるよっていう考え方。
これは妻からの又聞きなのでふわっとした話なのですが、先日息子が誰かに「お母さんが外国人」ということを言われたそうで、かつ「お母さんが外国人なのは嫌だ」と言われたということがあったようです。
それについて息子が傷ついているかどうかもよくわからないのですが、とにかく息子はそれを妻に伝えたようです。そんな息子に対して妻は
「普通は、お母さんが外国人になってほしいと思っても、そういうふうにはなれないんだから、あなたはラッキー。よかったね。」と回答したそうです。
ポジティブ!
うちの子たちにとって、「両親の国籍が違う」ってことはもう動かしようのない事実なので、それを良いこととしてとらえて、珍しい=価値としてポジティブに生きていってほしいなぁと思っています。
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2年前の自分に「2年後は北海道でまちづくりの文脈で仕事しているよ」とか言っても「はぁ?」ってなる人生を送ってきたので、未来のことはあんまり考えない。
またこの1年どんなイベントがまっているかはわかりませんが、自分でも予測不可能なキャリアデザインをしているので、未来のことはもうあんまり考えないようにしています。その中で、家族は大切にして、そのときそのときに、幸せの量が増えるような選択をしていきたいなと思っています。これからも仲良くやっていきましょう。