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2017年9月~12月:ベトナムハノイで、ごみ拾いのボランティア活動に遅刻していったら、かわいい女性に出会って付き合いはじめ、実家に挨拶しにいったら透明でピンク色した地酒をしこたま飲んで、その流れでフワッと婚約し、祈祷師の家で謎の布を被せられて四方から呪文を浴びせられた話

今回は、国際結婚に至った経緯について紹介していきます!
妻アインとは、結婚して6年になりますが、今も仲良く過ごしています。出会いとか、どんな流れで結婚に至ったのかなど質問されることも多いテーマです。結婚までには、中々レアな体験させてもらいました!


交友関係を広げたくて、ハノイ在住の日本人コミュニティに参加

もろもろ紆余曲折ありながら、2017年6月からベトナムに住んでいたわけです。
▼ベトナムに住む経緯はこちら▼

現地採用でインターナショナルスクールに勤務していたので、そこまで周囲に日本人がいるわけでもなくて、自分で開拓しようとしなければ、学校の中の人としか話さないという状況になってしまっていました。

日本人の交友関係は比較的簡単に広げることができました。ハノイともなれば駐在、現地採用、個人で進出している人まで多種多様な日本人がいて、その人たちが「愛知県人会」とか「87会(1987年生まれの会)」とか「空手同好会」とか、いろんな集まりを作っていました。
ハノイに住んでいるというだけで、それなりにある程度は共通項があるし、遠く海外に住んでいる日本人同士協力しあいましょうという雰囲気があるので、日本で交友関係を広げるよりスムーズに日本人の仲間はできました。
最初はそういった日本人の集まりにまずは顔をだして、ベトナム在住の先輩方にいろんなことを教えてもらっていたわけです。
ただ、せっかくベトナムに行ったので、日本人だけじゃなくベトナム人とも仲良くしたいし、それは必ずしも学校の同僚だけでなくて、いろんな人と会いたいなぁと思っていました。

そんな折、「ベトナム人と仲良くなりたいのであれば、毎週日曜日にごみ拾いのボランティア活動があるよ。」とある日本人の先輩に教えてもらいました。ボランティア活動を通して、日本語を勉強したいベトナム人と、ベトナム人と仲良くなりたい日本人が集まって交流するという素敵な会でした。
早速、来週行ってみようと思いました。

カフェで出会ったかわいいあの子

結局当日、寝坊をするわけですが、遅れて行ったら、ボランティアの後の交流会のカフェにおいでよ的な流れになりました。
で、カフェに行ってベトナム人の皆さんと交流をしました。ただ、多くのベトナム人の参加者がまだ日本語学校で日本語を学んでいる段階で、そんなに日本語が上手ではなかったわけです。その結果、1人の日人に対して、通訳ができるベトナム人がついてくれたんですが、それが将来のやまだの妻アインってわけです。

5人くらいベトナム人の人々が話してくれるんですが、全部アインを通して話をするわけですね。そして、私はアインに話して回答するということが起きるわけです。まぁ、芽生えますよね。愛がね。コミュニケーション量が5倍ですからね。5倍の速度で芽生えました。その流れで連絡先を聞いて、次の週くらいにデートをして、付き合い始めました。これが、9月くらいの話です。

実家に行ってみませんか?イベントの発生と、フラグに気が付かなかった、やまだしょう

付き合いはじめて3か月くらいしたところでしょうか。
「一回実家に遊びにいってみますか?」とアインに誘われて、「いいよー」と軽い気持ちで行ってみることになりました。
それがどのような意味をもっているのか、当時の私はあんまりわかっていませんでした。
ハノイからバイクで1時間ほど。距離的なイメージでいうと東京に対して千葉的な位置づけのアインの実家にたどりつきました。

実家では、村のおじさんたちが待ち構えていました。
あとで知ったのですが、
「ハノイにある、富裕層が通う日本式インターナショナルスクールの日本人先生が、わが村の『LE』さんとこの『ANH』の家に来る。これは大変だ。」
的なイベントが発生していたようで、親族一同+村の人々みたいな感じだったっぽいです。
私としては「(よくわからんけど)ご家族が多いんですねー」状態です。

そこで、鳥をまるごと蒸したやつとか、アヒルの卵が孵化しかかったやつとか、謎にピンク色のウォッカみたいなその辺ベトナム人が作った地酒とかをしこたま飲み食いし、言われるがまま、なされるがまま、まな板の鯉状態の宴会が発生しました。
全員ベトナム語しか話さないし、アインもなんか家事手伝いに忙しそうなので通訳はありません。英語も通じません。
皆さんが何をいっているかは一切わからないのですが、「シンチャオ シンチャオ(こんにちは こんにちは)」「カムオン カムオン(ありがとう ありがとう)」と3カ月で覚えた精一杯のベトナム語を駆使しながら、ひたすらつがれる酒を飲み、皿に盛られる料理を食べていました。
まぁ、この辺の言語の通じないおじさんたちとの国際交流は大学院生のときに韓国留学で既に履修済みなので、慣れたものです。「あ!これ進研ゼミでやったところだ!」状態です。余裕ですね。

ベトナムの家族たち。手前の小さなショットグラスにこの後ピンクの酒が注がれることになります(笑)

彼女の通訳でお母さんと話した話。そうか!!これがベトナムか!!

そこまで酒が強いわけではないので、アルコール度数がやたら高いピンクのウォッカにつぶれそうになった私は、盛り上がったおじさんたちから少し離れて、別の椅子に座って緑茶を飲んでいました。
するとアインとアインのお母さんがフルーツをもってきてくれました。
そのまま私の前に座ると、アインが「お母さんから話があります」と言い、そのままお母さんの言葉の通訳が始まりました。

私の娘は今22歳だ。ベトナムではもう結婚が遅い。早く結婚しなければならない。長く付き合って、これ以上結婚が遅れるわけにはいかない。結婚しないなら、すぐに別れてほしい。結婚するかどうか決めてほしい。
繰り返しますが、これを外国人の彼女の通訳で聞いてる感じです。
すげぇ状況ですよね。

目の前には真剣な母。通訳する外国人彼女アイン。
遠めにピンクの地酒で酔っぱらう親族のおじさんと、村の人々。
ハノイから1時間離れた、未知の地。
やまだの体内でまわるピンクの酒、目の前のマンゴー。
あぁ、これがベトナムか…と。
すげぇな、想像を超えてきたな…と。
韓国留学でこれは履修してこなかったな…と。
進研ゼミでやってこなかったところがいきなり本番で出てきちゃいました。
新見ゼミで真剣ゼミで親権ゼミです。

そこで、がーっと考えるわけですよ。
「結婚しないなら別れてくれと言われたけど、結婚しない理由、ある?」
まぁ、特におもいつかないわけですね。つきあってて楽しいし、日本に特に何にも無いし、そもそもベトナムに住みたいと思ってハノイに働きにきてるし。

逆に「結婚する理由」は今できたわけですよ。
「してくれ」って言われたのでね。それが理由ですよ。アインちゃんかわいいし。
ということで「結婚します!」って答えました。これがプロポーズですね。
義母に彼女の通訳で迫られてプロポーズという、中々珍しい体験をさせてもらいました。
その結果、「結婚だー!!」ってなって、またおじさんたちの輪の中に戻されて、今度は結婚祝いのパーティーが始まり、ピンクの地酒で乾杯しました。「もうピンクの酒いいって…」というベトナム語は、残念ながら未履修でしたので、「カムオン カムオン(ありがとう ありがとう)」と言って飲みました。

そこから、善は急げ的な動きで一気に書類がだされ、12月末には結婚が受理されました。ベトナムにいったのが6月なので、約半年で結婚です。
両親に報告すると「ベトナムに行くと言ってから、そのうちそんな感じになるだろうと思ってました。結婚式とかいかなきゃいけないと思うから、スケジュールが決まったら早めに教えてください」とLINEが来ました。

謎の占い+祈祷とか、ベトナムでのウエディング写真とか、たぶん多くの人が経験していないことが流れで次々と起きた話。起きたイベントを、全て笑いながら受け止めていく無敵モード。

結婚に向けて、占いとか祈祷的なイベントが発生し、ただでさえわからないベトナム語の中でも、さらに輪をかけてわからない呪文を20分くらい布をかぶって浴び続けるという貴重な体験もしました。この衝撃は文章では伝えきれないので、画像でどうぞ。

村の占い師的な人の家で発生した祈祷のイベントです。朝、お母さんに連れられて行ったら、いきなりこれが発生しました。背景にある紙でできた馬とか家とかの張りぼてが、計100個くらいあって、この祈祷の後この張りぼてをガンガン燃やしていくという儀式がありました。理由は知りません。
やまだに布をかぶせる人も、日本人に布をかぶせるのははじめてみたいで、笑顔がステキです。相変わらず全員何言っているかわかんないけど、布をかぶされました。その後四方から呪文を浴びせられました。布をかぶっている間、楽しく結婚できますように的なことを祈っていたような気がします。たぶん。
同じように、布をかぶった妻です、頭の上に謎の紙が乗っています。布をかぶった妻もかわいいですね。
錆びたお金をナイフで切るふりをした後、目の前の桶に入った水の中にドボンする儀式です。理由は知りません。やった後に、なんか結果が良かったらしくてすごく褒められました。私には違いがわかりませんでした(笑)

こうした儀式的なことを終え、さらにウエディング写真の準備です。ベトナム人にとってウエディング写真をFacebookに載せることは、結婚においてものすごく優先順位が高いもののようです。
ディズニーランドから、アトラクションを引いたような施設がハノイ郊外にあり、そこにメイクさんとカメラマンを連れて1日撮影ツアーをするというイベントが発生しました。
行くと、ありとあらゆる新郎新婦が、それぞれメイクさんとカメラマンを連れて写真を撮りに来ているという感じです。控室は、異世界転生して、パーティ毎にクエストを受注するギルドに来ているようなそんな様相でした。

撮影まちしている妻と、軍服を着てるっぽい別の新郎新婦がいる状態
歴戦のカメラマンと新郎新婦が待合場所で集っている状態。冒険の始まりを感じさせます。
そう、結婚とは冒険なのです。
そんな感じで撮った写真。こんな感じの背景の設備が50個くらいありました。
そしてやたらめったら混んでいて、順番待ちの時間が大変でした。
アオザイバージョン。私はアオザイが好きです。


そんなこんなで結婚式をむかえました。
結婚式は18:00から始まり、翌日の20:00に終わりました。つまり、夜通し26時間あったってことです。
結婚式のために、実家は一旦畑をつぶし、野外にステージを作り、司会者を雇って、結婚式が始まりました。村のおじさんたちが順番に、ずっとベトナム語でカラオケをしていました。
自分の結婚式で、知らんおじさんが、ずっと異国の言葉でカラオケをしている姿を見るのは、「異文化だなぁ」と感じて笑えました。
やまだは、呼ばれるごとに例のピンク色の酒を注がれ、飲める範囲で飲み、つぶれたら寝て、起きたらまた呼ばれて、なんかどうやら偉いっぽい村の人と挨拶をするという祭でした。
入れ替わりたちかわり人が来て、合計300人くらいきたっぽいけど、ご祝儀が盗まれたり、今から山羊を絞めるというイベントが始まったり、お義父さんのスマホが盗まれたりしました。起きること全てが想像を超えていて、ずっと笑っていました。

実家の横の畑をつぶしたステージでライトアップして、ベトナム語で紹介を受けているところ
実家の庭に出現したパーティ会場。これが26時間続きます。それぞれ勝手に来て、勝手に帰っていきます。招待状とかありません。雨が降ったらどうなってたんだろう(笑)

幸せに生きてます!

そんなこんなで、無事結婚をして、その後6年ほど仲良く妻アインと家族をしています。子どもも二人産まれました。
とりあえずこの教訓から言えることは、「未来のことをいくら考えてもどうなるかわかんないので、今起きることを全力で受け止めて笑い飛ばしていこう」ということですね。それで我が家はいまのところ、楽しくうまくいっています。

異文化にふれることはおもしろいですねー。

ここまで読んでくださってありがとうございました!
最後にスキを押していっていただけるととっても嬉しいです!
よろしくお願いいたします!

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