beautiful world #8
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で、どうして開店早々この人がいるのだろうか。
「はい、じゃあ僕はあんまり飲めないからさぁ、生搾りがいいなぁ〜」
なんて言いながら、テーブルの上のグレープフルーツを器用に投げていた。
はいはい、と渋々返事をすると、僕一応お客様だからね?なんて極上の笑みを見せた。
「翠ちゃ〜ん」
次は何?と思いながら、はい、と返事をすると
「そろそろ僕の名前ちゃんと覚えて?」
話したよね、僕の名前のこと、と距離を縮めてきた。
「彗星のスイに心をつけて、慧」
「よくできました」
「この間話してくれました」
いい名前ですね、とポツリとこぼした私に
「翠ちゃんは、翡翠の翠。」
「名前負けしていますけどね」
「そんなことないよ。それに自己肯定低すぎ。」
美しい石とは縁遠い、私はそのあたりに転がっている石と同じくらいの価値に値する。
「翠ちゃんは知らないんだね」
何を?と不思議そうに問いかけ、その手に持たられていたグレープフルーツを受け取った。
「ダイヤモンドは最高の硬度を持っているけれど、ある特定の角度から衝撃を与えると、簡単に割れるんだよ。
でもね、翡翠は細かな結晶の集まりだから、衝撃に弱い方向というものが存在しないんだ」
だから、キミは名前になんか負けていないし、名前以上に素敵な子だよ、と。
取ってつけたように説明してきたけれど、それでも少しだけ自分の今を認められたような気がした。
「ありがとうございます」
グラス片手にそういう私に
「やっぱり笑っている翠ちゃんが可愛いよ」
今までだって歯の浮くようなセリフを並べていたのに、少しだけ照れたような笑みを溢したこのひとはグレープフルーツのフレッシュジュースを飲み干して、今日はもう帰るね、と言って店を出た。
✳︎✳︎✳︎
やっと帰った・・・か・・・
「翠ちゃん、何もされなかった?」
「大丈夫です」
「何かあったらすぐ報告して?」
リョウさん優しいですね、とニコッとしてくれるから勘違いしそうになる。
「翠ちゃん、ごめん」
え?何がですか?なんていう彼女の手を引いて、僕は裏のカーテンへ彼女を引っ張った。
言葉よりも先に手が出てしまった。
軽く、本当に軽く胸元に引き寄せて。
回した両手が、まるで壊れそうなその彼女の体をどうしていいのかわからないような迷いがあって。
「ごめん」
ぎゅっとできなかったのは、ここがお店だったから。
ぎゅっと抱きしめたかったのにできなかったのは、また優しい、で片付けて欲しくなかったから。
「リョウさん?」
状況に追いつかない彼女に俺はいうんだ。
「後で話がしたい」
そういって、カーテンを手でかき分けてホールへ出た。