beautiful world #11
「そう、なるべく早く、うん・・・そうだね、そのあたりは任せるよ」
そう言って通話終了のボタンを軽くタッチした。
運転席からミラー越しにみえた心配そうな顔。
「大丈夫だって」
「ですが、慧さま・・・これではあまりにも・・・」
「人の優しさは時にうざったくもあるだろう?」
渋った顔をした運転手の羽山は、あんまりです、と言いながらハンドルを握る手に力を込めた。
「じゃあ、病院よってくれる?」
「かしこまりました」
ーーーーーー
「・・・こんにちは」
あらぁ、と太陽のようにパッと顔を明るくして僕を出迎えてくれた。
「元気そう」
「そうね、今日は調子がいいの」
「よかった」
おばさんの症状はあまり良くない。
一刻も早く最先端治療を受けるべきなのに、これ以上を望まない。
「おばさん・・・」
私は、もうこんなによくしてもらってるから、とチャーミングに笑ってみせた。
その笑みは翠ちゃんにそっくりだ。
「後のことは、よろしくね。」
「ご心配なく」
「もう、翠とはあったの?」
何も答えない僕に、おばさんの手がそっと僕の手に重なった。
「主人は、あなたを翠の許嫁にって古臭いこと言ってたけど、
私は、できたら翠にはちゃんと好きになった人と結ばれてほしい。
慧くんが、その相手であっても、そうでなくても、それは運命だから」
「翠ちゃんは、僕のこと覚えてはいないようです」
「そう」
「知ることで、悲しくなるようならば知ってほしくないと思っています」
「どうして?」
慧くんは、昔からそうよね、なんて言われた。
おじさんが亡くなった時、あの張り詰めた空気の中で涙を流さなかった彼女を強いと思った。
父さんが、あの子は強くはない、悲しみを怒りや恨みに変えているだけだと教えてくれた。
でも火葬場の煙突の雲が流れていくそのいっときだけ、涙を流した姿を見て僕は決めた。
「父さん」
「なんだ?」
「僕はあの子の一番近くで、見守っていたい」
父さんが、初めてみせた戸惑いの顔と、それならばしっかりお前が生きることだよと教えてくれた。
「慧くん、あなたの時間はあなたのものよ。誰のものでもないわ」
そう言ってくれたおばさんは、静かに目を閉じた。
それが最期の会話になってしまった。
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「翠さま、こちらはお母様からの遺言状です。
生前、立ち会いの元、お作りになられたものです」
初七日を迎えた日。
私は許嫁であるという家の使用人に呼ばれ、近所の喫茶店で会うことにした。
リョウさんは隣で静かに見守ってくれている。
「母は、どうしてこんな大事なことをよそ様にお願いしたのでしょうか?」
「翠さま、それは・・・」
「それは、翠ちゃんを苦しみで縛りたくないからだよ」
背後から聞こえる声に、背中をビクッとさせてしまった。
どうして、あなたがここに?
母のこと知ってるの?
「翠ちゃん、よく聞いて」
「あなたには関係ない」
「関係あるんだよ」
どうしてこういつも、いつも肝心な時にチャラチャラと出てくるのかな、なんて怒りさえ滲んでくる。
「君のお父様もお母様もよく知っているんだ」
頭が一瞬考えるのを辞めたような気がする。
何を言ってるんだろう、この人・・・
リョウさんが、お前テキトーなこと言ってんじゃねーよ、もっとわかりやすく言えよ、っていう言葉すら、耳にクリアには届かない。
「翠ちゃんの許嫁は僕だよ」
泣きたいのは私なのに、私より先に大きな瞳を潤ませながら罪でも犯したかのように懺悔するように、言葉にした。
「翠ちゃん、今までよく生きていてくれてありがとう」
そう言って、今日はこれ以上のことは何を伝えても難しいだろうからと言って、羽山、帰るよ、と目の前の男性に声をかけ喫茶店を後にした。
目の前のアイスティーはすっかり汗をかいていた。
ただ、ただ私の中に吸い込まれていくのを待っているだけのぬるい液体と化した。