Breath story 3
世の中には手を出していいものと、駄目なものがある。
それは小学生でも習ったし、幼稚園の時にも習った。
”人のものはとっちゃだめだよ”
って。
簡単なこと。道徳的なことだから、当たり前なこと。
人は皆、持ち物に名前を書いて、それが誰に属するかを示す。
そして大人になった今、記名することなんてほぼなくなったけれど、どこかで線引きされたその道徳心の元で、日常が成り立っていく。
あのヒトは誰かのものだった。
どこかでわかっていたような気もするし、そうであろうという予測も簡単にたてられるのに、どうしてか体の中のどこかに隙間風のようなものが吹いて、痛みではない何かを伴って僕の体を駆け巡る。
あの毎朝の、頑張りましょうね、的な誰に向かって言っているのか分からない言葉に励まされ続けたのは、紛れもなく僕自身だったのだろう。
そんな小さな心のオアシスがなくなった、いやなくなったのではない、ただ、それは僕に向けてじゃない、と言う事実の発覚、それだけなんだ。
***
眠れない夜が朝になる。
あぁ雨が降ってんのか・・・どうりで暗いわけだ。
こんな日は傘で、あのヒトを探すこともできない。
神様はきっと僕に、いい加減にしなさい、と警告をしてきているのだ。
カフェオレをつくる元気がないのは雨のせい。
ベランダへ濡れない程度に身を乗り出すのはただの習性。
そして
あぁ、あれだろうな、って簡単に探し当てるのは、僕の鋭い観察力の賜物。
なんだ、この空虚感。
はらりと、紅色の傘が傘の役目を果たさないで、地面に落ちた。
僕を探すかのように見上げて、頭を下げるその姿を見て、間違いなくこれは僕にだと勝手な勘違いをした。
なんて言っているのか口元すら読めない。でも、何かを呟いていたから、勘違いでもいい、と思った僕は、手を振る。
大きく、身を乗り出して、手を振る。
**
あぁ、あの人はわかってくれたんだ、そう感じた。
昨日、立ちくらみがした私に親切にしてくれたのに、こんなご時世だから娘が気を遣ってすぐに引き離した。
「ダメだよ、ママ。知らない人なんだから。感染してしまったら私一人になっちゃう」
「大丈夫よ。きっとみんな正しい一定のモラルで生活してるんだから」
「それならいいけどさ・・・怖くないの?」
娘は遠慮がちに聞いてきた。
「そうね・・・怖い、怖くないの二つに分けられるこの毎日がいやね・・・」
そう伝えた。
誰かの優しさも怖い。
誰かを信じるのも怖い。
でも大きく手を振ってくれたあの人に、ありがとうございました、と頭を下げた。
そして私の毎日がまた始まる。
過去と、今と、そして未来までも不安に感じる今日が。