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子ども産みたくない=もっと愛して欲しかった
今日、Xで「子ども産みたくない」というポストを目にした。
そのポストを見た時、きっとこの人は、親からもっと愛してほしかったんだろうと思い、切なくなった。
親から十分な愛を受けたと感じている人は、わざわざこんなことを世に発信したりしないだろうと思う。このポストの根底には、親からの愛への渇望があるのではないかと思った。
その仮定があっていることを前提にして話を進めると、このポストをした気持ちは私にもよくわかる。かつての私も、同じような考えを持っていたからだ。かなり最近になってようやく、自分の中に「親にもっと愛してもらいたかった」という切実な思いがあったことに思い至った。
「子供を産みたくない」と言ってみせるのは、親への復讐なのだと思う。これまで自分に十分な愛情を注いでくれなかった親に向けた「お前たちが私をこんな風にした」という、精一杯の告発。その言葉によって親が罪悪感を抱いてくれることで、復讐は達成されると思い込んでいるのだろう。
でも、そんなことは叶わない。そうやっていくら親に罪悪感を植えつけたところで、自分の中のモヤモヤは一切晴れない。むしろ、相手を傷つけた自分を、より一層嫌悪するようになる。特に、今まで人の顔色を窺って生きてきた人ほど、その自己嫌悪は強くなると思う。
親への復讐心は、実は強い執着の裏返しだ。なぜなら、親に対して「お母さん!お父さん!今の私をみて!」と叫び続けているようなものだから。
でも、自分をこんな風にした、最も憎いはずの親に執着しているという事実に正面から向き合うのは、あまりにも辛すぎる。況してや、そんな親に対して「もっと愛して欲しかった」と思っていることを認めるなんて、吐き気がするほどの忌避感を覚えるだろう。
かと言って、その吐き気がするような事実から目を背ければ、憎むべき親への執着も永遠に続く。そうやって自分の幸せを犠牲にしながら、親に執着し続けて一生を終える人も少なくないだろうと思う。
普通に考えてみれば、自分が不幸になることで親に復讐するというのは根本が間違っている。親との関係を完全に断ち切った上で、自分の「幸せ」を掴むことこそが、真の復讐ではないだろか。
その「幸せ」が愛する人と家族を作ることなのか、一人で悠々自適に好きなことをして生きていくことなのかはわからない。けれど、親といる時にはあんなに不幸だった自分が、親と縁を切ったことで幸せになれた……それこそが復讐の達成と言えるだろう。
幸せを犠牲にしてまで、自分を苦しめてきた親への復讐を選ぶなんて馬鹿馬鹿しい。むしろ、そんな関係を断ち切って自分の幸せを追い求める方が、よっぽど賢い生き方だと思う。
私は、親への憎しみに支配されていた時期から、「愛してもらいたかった」という本音に気づくまでに、2年以上かかった。でもまだ完全に受け入れ切れてはいない。今でもときどき、泣きながら両親を罵倒する夢をみる。
本当の意味で親への執着を断ち切るには、もっと自分の向き合いたくない部分に目を向けないといけないのだと思う。それには激しい痛みを伴うから、なかなか前に進むことができないけれど、いつか本当の幸せを手に入れられたらと思う。
親への復讐で終わる人生なんてクソだ。親への執着で苦しんでいる全員が、自分の幸せを追求できるようになることを祈っている。
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