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虚しさつのる秋の夜明け
朝といっても、まだ闇に包まれている。今、ゴミ出しに行って来たけど外は真っ暗、夫はいびきをかいて寝ている。
わたしは、なんだか動悸がして一晩眠れなかった。
眠れないと、考えるのは相変わらずマイナーなことばかりで、今も愚痴をノートに吐き出そうとしている。
今回は育児について…
わたしは子供が自立して家を出て行くまで働いたことがない。
経済的に余裕があったわけではないが、わたしの母も働いてなかったし、何より学校から帰った時、台所にいる母が、おかえりと言ってくれると学校でイヤなことがあってもなんとなくホッとしたことを覚えていて、お母さんは家にいるもの、という固定概念が染みついていた。
わたしが、子供の頃は専業主婦が殆どで、働いているお母さんはクラスにいるかいないか、という程度であった。
だから必然的に自分も働きながら子供を育てるなんて微塵も思わなかった、が世の中は進んでいた。子供を保育園や、幼稚園のちびっこクラスに預けてパートで働いてるお母さんの多いこと。
わたしも、子供が小さい頃、うたや、合唱団の伴奏にこえがかかったが夫がいい顔をしなかった。
自分のお母さんが、音楽やピアノの先生として、働いていて、いつも派手に着飾り、自分はおばあちゃんに育てられて寂しかったという気持ちもあったろうか。わたしには家にいてほしいと言うので、まぁ知らない土地で3人子供預けて働かなくてもいいか、と思い、家にいた。
自分で言うのもなんだが、良妻賢母の鏡みたいなお母さんであったと思う。
子供をきちんと躾、勉強を教え、遊び、栄養を考えた食事をだした。
特に、食べ物には気を配り、小さい頃からお菓子を手作りしたり、簡単なものは一緒に作ったり。
朝、昼はかんなものですましても、夕飯は手を抜かず一汁三菜しっかり作って食べさせた。
きちんと愛情のこもったゴハンを食べていれば良い子に育つと思ってた。
だけど、現実は甘くなかった。
パートをしてお金を稼ぎ、時にはコンビニのおにぎりで夕飯をすましても、子供にお小遣いをやり、好きに遊ばせた子供のほうが、全うに社会に順応している。早くも家庭をもち子供をもち、両親の近くに家を買い親孝行している。
うちは、子供に全力投球したのに、学歴はついたものの、1人で生きていけるとなるとくものこを散らす様に家と親から離れていった。
1人に至っては高校時代荒れ狂ったあげく、今は音信不通。
ほかの2人も余程のことがない限り連絡すらない。
早くから子供預けて働いた人の勝ちである。それなりにへそくりもできてるだろう。
わたしはなんにもない。
残るのは、虚しさと老後不安だけである。
いまさらだが、結婚なんかするんじゃなかった…