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表現手法オタクによる『メロウ』解釈ノート
初めまして。最近いろいろ忙しくてツイートもコメントもできてないですがオダマキというジェムファンの者です。
すでに多くのジェムファンの方が水科葵さん(以下、みずしー)のメロウの様々な解釈、感想noteを上げられています。メロウのMV公開後からしばらく時間も開いてしまいましたし、今更!?二番煎じでは!?と思われるかもしれません。
しかし、この記事はCG、音楽、動画、ダンスなどの表現手法にスポットを当てていきたいと思います。メロウMV、一つの作品としていいんですよね~!!!
表現手法にスポットを当てるといいましたが、私は芸大みたいなところでしっかり学んだクリエイターではないので、内容は完全にオタクの妄言であるという点をご了承ください。
(私は「こう表現することで、直接言葉で表さなくとも意味やイメージを伝えることができるんだ!」ということに感動を覚える人間で……しかもその感動を言葉にしてしまうという無粋さ……読むに堪えない記事と思います……なんか申し訳ないです……でもこの感動を共有したくて……)
はい、まず冒頭ですね。ジェムカンのMVはほとんどCGですよね。「よし!みずしーの新曲のフルMVだ!」という気持ちで見ると開幕突然の実写にぐっと目を引かれるのではないでしょうか?
開幕に実写の画を置くことで没入感を高めているのではないかと感じました。このMV、開幕以外実写がないですよね。(いやもしかしたら超美麗リアルレンダリングCGかもしれませんが、そうだとしても他のシーンとデフォルメ具合に差をつけているのは確実です)そのあと泡に飲まれて視界が白み……
海の底からの美しい海を見上げるシーンになります。実写の泡と連続で出されることで一瞬実写かと錯覚するような、しかし先ほどの実写と対照的にカラフルで幻想的な世界に入ったような感覚をもたらし、視聴者を海の底にいざなっています。
歌いだし、ラ~ という歌声が遠くから聞こえてくるような加工がなされています。ここから後のシーンではピントを移り変えて視線を誘導していますが、ここではみずしーにピントが合ったり合わなかったりと、遠くからぼんやり見ているような感覚をだす小技が効いています。
ここではピントが手前の岩から奥にいるみずしーに移り、視線が奥に引き込まれます。
以上の感覚を味わったなら『海面から海の底の世界に飲み込まれ、遠くから聞こえてくる歌声に惹かれ、岩影の奥まった場所にいるみずしーを見つける』というストーリーにもう参加しているわけです。
手に持っている木の枝にも注目しましょう。ほとんどの人が「これはマイクに見立てているのだろう。手に届かないものにあこがれているのだろう」と考えると思います。『夢見る歌姫の卵』が、手に枝を持たせるだけで表現できるのです。
歌詞の通り「ゆらりゆらり」漂ってから、回転しながら向かって左に進む振りです。
突然ですが、映像にはもっぱら左から右への方向があります。人間はどうやら右が進行方向だと感じるバイアスがあるようで、ゲームでいうとマリオのようなゲームは基本的には左から右に進みますし、短距離走や競馬のゴールの映像も左から右です。
進行方向だけでなく、左は弱い、危険、ネガティブ。右が偉い、安心、ポジティブというふうにも意味づけられます。落語や舞台では、客から見て右側は上手であり、身分が高い人、建物の内側を配置します。宇宙戦艦ヤマトは地球を離れ危険な旅に出る方向では必ず左向き、地球に帰ってくるときは必ず右向きに描写されているそうです。
(実は宇宙戦艦ヤマト好きです。リメイク版しか見ていませんが……)
もちろんすべてに当てはまるとは限りません。ときめきドリームラインは船を左からも右からも撮っています。映像の向きというよりも、ステージとしていろんな方向から撮っている部分が多いですし
これヤマトのオマージュだったりします? もしかしたら未知に飛び込む、夢に向かって突っ走るドリームラインを表しているのでは!?(オタク特有の早口)
メロウに戻りますと、「変わらない毎日繰り返してる」「ひとりぼっちはなれっこだから」とネガティブな部分で左に進み、左に語り掛けています。
「ひとりぼっちはなれっこだから」と語り掛けた(ように見える)一匹のクラゲはひとりぼっちのメタファーとしてMV通してずっとここにいます。これはみすじーがたびたび配信でおっしゃっている、「見返してやろうと技術を磨いていた学生時代、そしてその時代があったから今の水科葵がいる」を表現しているんだろうなと推察します。
滲んだ声……泣かないでみずしー……でも海にそっと伏せないで時にはあらわにしてもいいんだよみずしー……
「遠く霞ゆく視線の先に何が待っているの?」みずしーの前に広がる広大な世界。でも岩や逆光に隠れて遠くが見えません。
はい!顔がいい!
と、ここで初めてみずしーと視聴者が正対します。「どんな表情でどんな色をしてるかな?」とみずしーが未知に向き合うという表現かなと思います。ここから音楽、動画ともに大きく展開していきます。
先ほど左右に意味があるといいましたが
衣装を揺らめかせながら右にステップしていきます。気づいてしまったかぁ~!この気持ちもう止められんよな~!
そして音楽でも、ここまで基本的にピアノのみで(アクセントにぽわぽわしたシンセなどは入っていますが)ここからシンセが参加していき、徐々に楽器が増えていきます。ひとりぼっちだった世界がどんどん広がっていっていることの表現ではないでしょうか。
デュン、ぎ~ん~い~ろ~世界~
銀色世界が広がっていきます。みずしーがおっしゃっていた、音だけで世界が広がってく感覚、というのはまさしくここの表現なのではと考えています。
さきほど書いた「デュン」はサビの歌いだしのタイミングがワンテンポ後だよということを文面だけで伝えようと試みた結果です。歌いだしのタイミングがどういう効果をもたらすのか、ほかのパターンと比べながら見てきたいと思います。
まず歌いだしと楽器が出るタイミングが同じ、基本形です。JAM GEM JUMPをはじめジェムカンの全体楽曲に多いのがこのパターンです。王道らしく、サビでの盛り上がり、安定感があります。
そして次に多いのが、楽器よりも先に歌詞が出てくる曲。ジェムカンの曲はこっちのほうが多い気がします。もっとも典型的なのが同時期に出た長谷みことさんの『少女聖戦パラドクス』です。サビに入る前に
と楽器も画も一瞬静かになって歌を引き立てています。似たような使われ方として『形而境界のモノローグ』では「I wanna fly」のフライのところから楽器が始まっていますし、もっと静かな『メッセージ』でも「ありがとう」のと~から楽器が始まっています。気持ちが前に出ている、抒情的な印象になります。
そしてその反対の歌いだしが楽器の後に来るパターンは珍しく、ジェムカンでもメロウ一曲のみかなと思います。先ほどとは逆で、先に音に包み込まれてから歌が手を引っ張るというか、叙景的な感じを得ます。
振りでも手、足を大きくとって世界の広がりを表していますね。
さっきまでの枝が透明のマイクになっています。周りの銀色世界とおんなじ色というか質感。これは現実ではないということもわかります。銀色世界は歌手になるという夢の世界なのでしょうか。
そして二度目のデュンと同時に現れる空飛ぶクジラ。幻想の世界だということが鮮烈に印象付けられます。このクジラの解釈は先駆者P田太郎さんのnoteを見てなるほど!と思ったのでリンクを張らせていただきます。ここではざっくり『あこがれや夢の象徴』とします。
脚きれ~ねぇ!あなた!
ここで衣装について触れたいと思います。このような前が短くて後ろが長いスカートを『フィッシュテールスカート』といいます。フィッシュテール、まさしくみずしーがイメージしていた人魚と重なりますね! さらに思ったのがこのスカート、前に足を踏み出しやすい形になっているのではないか!!!と思いました!思っただけです!
1ページめくり、みずしーの『メロウ』の物語が始まっていくわけですね。仲村渠さんがおっしゃっていた曲全体のテーマである「水科葵の歩んだ道」、かつ「何かに向かう人への道しるべ」になる軌跡をこの本が象徴しています。この「メロウ」の振りを覚えておいてください。
あ!さっきまで何もなかった遠方にクジラが見えます。夢が形を持ったのでしょうか。
1番とは逆に右に展開していきます。はぇ~、1番では「変わらない毎日繰り返してる」の『繰り返し』を表していたターンが、今度は『踊る姿』を表してるのか~。
楽器も弦楽器、管楽器などオーケストラチックな楽器が増え、1番とは比べ物にならないほど鮮やかになっています。
ここで歌詞の文字に着目したいと思います。このMV通して、右に縦書きというスタイルです。多くのMVは文字を動かしたり、下に横書きしてる気がしますよね。
同じ仲村渠さんが手がけたみずしーの「いのち」カバーでは文字が右から流れてきます。時折「鼓動」の文字がドクドクするなどのアニメーション(キネティック・タイポグラフィと呼ぶらしい)も混ぜられています。
歌いだしのところでも言いましたが、メロウは感情を伝えるというより世界観を描き出している感じがありますし、歌詞の文字もそれに伴って前面に出てこないようにシンプルにしているのでしょう。そして縦書きであるのは詩のイメージが出るからかなと思いました。
かといって全く文字が動いていないかというとそうではなく、
「希望」の文字が光り輝いていますね!
と思ったら「希望」の文字が乱れ始め……
降りるはずのない雨に打たれます。ここ「降る」じゃなくて「降りる」なの語感の調整でしょうか? 天才ですよね~
ここなんで「降りるはずのない」のでしょうか。これも先ほどのP田太郎さんのnoteで考察されていまして、それを引用させていただくと
私は"雨"というのはアイドルとして失敗する事ではないかと考えています。当然アイドルや歌手として歩み始めなければ、そもそも失敗することはありません。それを"降りるはずのない"と表現しているのではないでしょうか。つまり、夢を追いかけたいが悪い未来ばかり考えてしまって一歩を踏み出せない状態。
確かに海の中には雨が届きません。雨が降るはずがないのです。未だただの女の子で海の底にいるのに「海の上に出れば雨に打たれてしまうかもしれない」と考えてしまうということですね。
ここよく見たらみずしーの手が震えています。お客様の中にみずしーを抱きしめる奈日抽ねねはいませんかー!?
溺れる。これも海の中ではないことです(人魚なら)。息ができないとしたらMVで覆っているような泥(?)でしょうか。海の上に上がるどころか海底に足を取られてしまいました。
「魔法の言葉」みずしーがおっしゃっていたような、誰かに贈られたり、ずっと胸にしまわれている言葉。自分の力となるような言葉を「魔法の言葉」としています。
ここの右手の振り「1ページめくり はじまるメロウ」のメロウとおんなじ振りです! 「何かに向かう人への道しるべ」である『メロウ』は魔法の言葉でもあるのです!!!!という解釈です!!!!!
銀色世界が今度はオレンジに染まりました! パキッ!(UOを折る音)
いやほんとにきれいですね。画もそうですが音楽も1番のサビと2番のサビを交互に聞くと全然違うことがわかります。1番のサビは透き通るような繊細な印象で、みずしーの歌声も透明感があります。2番は楽器の数が増え、音が分厚いですし、みずしーの歌声もとても力強くなっています。
そして集まるめざし軍団。
めざしパーカーはジェムカンの中で比較的に早い時期にでた被服グッズ。初期のイベントでは多くのジェムファンがめざしパーカーを着て、全国から応援に駆け付けました。
この魚の群れはそんなファンの象徴かもしれませんね。(めざしパーカー再販お願いします!!!!!!)
力強いまっすぐなロングトーンからの心を揺さるビブラート。その余韻を引っ張るコーラス。心地よい高揚感とともに目を閉じようとすると……
「……願いとともに みーちるー⤴ せーかいー⤴」
え……まだ来るの? もう一回上がるの!?
「響き⤴わーた~れ~⤴!!!」
上がった~~~!!!
と初耳の時になってまし、今もなります。
集まるめざしと12色のときめき。
この光の当たり方のみずしーを俺は見たことがあるぞ……そうだライブだ! ライブ会場の暗がりの中、ライトを浴びるみずしーだ!!! ここは……DMM VRシアター……?
アアアアア……アアアアアアアアアアア…………
ありがとう