(問題に反応する)時間ですよ
ジェンダーをとりまく問題。番組やイベントの司会を通りすがりにやっていると、どうしても重たく取り上げてしまいがちな話題である。マイノリティとして虐げられてきた人たちの存在、男か女か。白か黒かをはっきり出さなくてはいけない時代は確かにあった。とはいえ、過去のことを声高に、かつ一方的に話をされても会話にならない。現在形でまだ制度的な問題があるにせよ、具体的にどうして欲しいのか冷静に教えてもらわないと、反応ができない。男性すべてが現行のシステムを全肯定しているわけではない。バランスのおかしいところが確かに偏在している。どうにか会話の糸口はないものか。ずっと考えてきた。
ミュータントウェーブという三人組が、ラジオ番組に出てくれた。トランスジェンダーの抱える現状を明るくYouTubeなどで明るく発信している。一方的に問題について詰めてくるスピーカーが多い中、この「明るく」がとてもありがたい。「で、実際どうなの?」踏み込んだ話ができる。そう伝えて、宣言通り僕は一歩踏み込んだ話を展開した。
「(男性の)チャラい後輩みたい」と、三人の振る舞いを見て伝えた。元々女性だった彼らにこれを伝えることが多少ためらわれたけど、僕はウェルカムのつもりで発言した。性別に関する違和感を感じ始めたときの話を最後まで聞いたあと、「とはいえ、女風呂入れて得したと思わなかった?」と聞いてみた。宣言通りの、踏み込んだ話だった。オンエア中はたのしそうな雰囲気が流れたが、実際はどうだったのか。変に傷つけていなかったか。気になったから、放送終了後にメールでその真意を確かめた。メンバーのひとり、おおちゃんが丁寧かつラフな言葉遣いで返信してくれた。
結果は、ぜんぜん気にしてないし、大歓迎。むしろ踏み込んでもらってありがたいという反応だった。女風呂も、当時はさほど意識していない。自分の身体が女性であることを受け入れていたことが大きい。いまは戸籍が男性だから、女風呂に入ると捕まる。そうなってくると、女風呂入りたいなーと考えるときはある。と、感覚を補足してくれた。ジェンダー問題については、声高かつ大袈裟に活動する人たちの存在も否定はしないけど、自分たちはひとりひとり違うのが世界の前提としてあって、その入り口にトランスジェンダーである自分たちがなればいいという考えで活動していると、真摯に伝えてくれた。生放送で踏み込んで、そして改めて連絡をとって、本当によかった。
会話とは反応だ。リアルタイムな反応なき交流に、連続的な関係は望めない。「なぜそんな質問をするんだ?」「どんな気持ちで彼ら(彼女ら)が生きてきたと思ってるんだ?」「ステロタイプ的な物の見方で残念だ」など、会話をはじめようとするたびに、会話の当事者ではない第三者が大きな声で抗議をしてくる。腹を割った話ができないまま時間が終わってしまう。それではいけない。少なくとも矢面に立って、固有の存在を肯定しようとする人たちと対峙するときは、しっかり反応を続けたい。声高に抗議をしてくる人の中にだって、正義はある。また別の固有の問題として扱って、マイクを傾けたい。匿名かつ条件反射でただ大袈裟に反応した人に対しては、会話がいったん終わるまで少し黙っててと伝えたい。