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やじろべえ日記 No.51 「重石」後編
涙が止まらない。
私はしがないキーボード弾きである。名乗るのは当然後回しだ。
何しろ私は今涙が止まらない状況だ。セッション仲間である浅井さん,戸村さんとセッションしていたが,一向に改善せず,泣きたくもないのに涙が出てきてしまうという粗相をやらかしてしまった。だが,自分の感情を吐き出せない人に自分を出す演奏は無理だという助言から,今までのことを洗いざらい話すことにした。
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「市村さん,結構苦労してたんだなあ。」
「初対面の時からいろいろ悩んでいる感じはしてたけど…これは確かに嫌になるわ。」
「大学入って音楽サークルに入ったはいいものの」
「セッションしても翌日演奏が変わるから固定グループを組めず」
「イベントも出られない」
「ヘルプ要因にはなれるけど,本所属って感じではなくなった」
「会費も払ってるのにね。市村さん,よく耐えたわ。グループ結成への取り組みが15連敗はそりゃあ心に来るものがあるよ。」
「おれだったら3連敗した時点でたぶんサークル抜けるわ。15回も粘ったの純粋に尊敬するんだが。」
「いえ…結局サークル抜けてますし…早い段階で見切りつければよかったんですよ。」
浅井さんと戸村さんに洗いざらい話してしまった。セッションをしても翌日には相手にされなかった現実を。
世界には罪のないいわれで急に殺されたり,災害の被害にあっても助けてもらえないという日々を送っている人がいる。紛争に巻き込まれている人がいる。それは知っている。それでも自分にとってこの現実がつらくならない理由にはならなかった。
「もっと早く抜けりゃあいいのにって俺の今の立場ならいえるけど,コミュニティの狭い学生じゃあきついわ。」
「いえ,私も戸村さんの言う通りだと思います。実際抜けてからのほうが充実してますし。」
「ただこれがあるとなかなか自分の出したいものというよりはセッションすること優先になるよなあ。」
「なんか自分を否定された気分になるからね…僕も記憶があるし。」
「そうだったな建成。お前も一緒に組める人いなくて苦戦したたちだもんな。」
「そうなんですか?」
「そうだよ。町の連中は大方ユニットやグループ組んで動いていたけど俺は気ままにたたくのが好きな奴だったし,浅井は浅井であまりその町の連中に好かれる歌じゃなかったから相手にされなかったしで。それで寄せ集め集団で音楽やってた時期がある。」
「陸人とはそのころからの付き合いなんだ。」
図らずも二人の歴史も聴いてしまった。
「まあ,俺らのことはおいおい話すとして…市村さん」
「はい?」
「最後にもう一回だけセッション!今なら少なくとも自分を押さえつける演奏はしなくて済むんでない?」
「…え?」
「結局市村さんってさ,そういう負の感情とかそういうものを見せないように努力した結果あのふさぎがちな誰かに無意識に合わせてる演奏になったんだと思うよ。」
「それもそうだな。今なら,少なくともこれ言ったら行けないかも,あれ行ったら駄目かも,みたいな演奏はせずに済むと思う。」
「よーし決まり!じゃあ市村さん,すきに初めていいよ。俺らは俺らで入るから!」
ここまで来たら仕方ない。乗ろう。
「わかりました。」
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2人は一向に微動だにしない。ならば私が仕掛けるしかない。
最初はノリのいいグルーブで。と言ってものりやすさは今回重視はしない。この二人だって私の演奏を散々聞いているはずだ。自分のできるところで適当に乗るはず。とくに戸村さんはこういう時は行って来るのがうまい。
予想通り4回目の演奏でフィルインしてきた。しばらく同じ動きにしようかとも思ったがこれなら予定変更だ。叩きつけてやる。
叩きつけてたたきつけて,向こうのテンションも上がってきた。私はまだ辞めない。終わらせない。何が何でも歌を引きずり出す。
だが歌はまだ聞こえない。仕方がないからメロディーを弾く。かなり鮮明に。私からメロディーを奪ってみろ。と言わんばかりに。
そうこうしてたらドラムが勢いづいてきた。仕方がない。負けないで行こうと思ったけど今は沈黙を保つ歌手との共闘だ。最高潮まで飛び立つ土台を作ったらしばらくドラムに投げる。
ドラムが自由に,そして派手に動き回る。しなやかに刻むスネア,タムの勢いは止まらない。
最後にフィルインを入れたところで私は合流した。和音が響く。1つ,2つと。
そして,私はある程度和音を出し切った。これでもまだ歌は聞こえないか…
そう思ったら,歌が来た。
ドラムもキーボードも出し切った。ここからは余韻とともに歌が響く。歌はしばしば主導権を握る。この歌も例外ではない。
だが主導権は徐々にドラムに戻る。こちらも負けてはいられない。そうしているうちにドラムは佳境に入った。歌も力がこもってはきた。だが私はそっちの方向にはいきたくない。
ドラムが止んだ。いや違う。ハイハットとシンバルだけになってる。
これならあれが使える。…アルペジオと高音の刻み。これで唄はさらに洋々としてくれないか。してくれ。
聴こえてほしい歌が聞こえた。この歌は最後の一音まで天井を包んだ。
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「…今,市村さん,合わせに来なかったね。」
「途中で,『私はこっちに行きたいの!』って駄々をこねた感じになったね。」
「…私も,なんだかかなりわがままを言った気がします。」
「そうだよ,それだよ。すごく振り回された気がしたもん。俺が欲しかったのはこういうの!いやあ,振り回されて演奏変えるの好きだからうれしいんだよねえ。」
「陸人ってつくづくドMというか変わってるよな。」
「うるせー。建成だって嬉しかったんでないの?今の市村さんの演奏。」
「まあね。すごくよかった。」
「ありがとうございます。」
これで私の課題は終わった。あとは。
「あとは伏見さんと合わせればOKだけど…」
「市村さん,伏見さんと最近連絡取れてる?」
「そういえば私もとれてない…」
「あ,伏見ちゃんなら今連絡しといたよ,明日これそうだって。」
浅井さんと私は振り返る。
「陸人,お前いつの間に伏見さんと連絡先を?」
「初対面の時に交換したよ。ついでに4人のグループチャット作っといたから承認よろしく。明日もここでいいのかな?」
「ああ,いいよ…」
やはり戸村さん,ちゃらいな。
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