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職員室通信vol.4「僕の家はどこ〜?」
お久しぶりです皆さん。僕は無事に生きています。
なんだか色々うまくいかないな〜と思いながら日々を過ごしていたら、昨晩逃げ出していました。逃げ出した先は4期卒業生が住んでいるシェアハウス。
今日は一旦逃げ出してみてわかったことを書いてみます。みんなの様子というよりも僕の心模様がメインになりますね。しばしお付き合いいただけると。
「こっちが家でいいじゃん」
昨晩卒業生の住むシェアハウスに逃げ込み、わーわー喋る僕に対して、大爆笑されたり、「そらそうだ」と言ってちゃきちゃきとご飯をよそってくれたりと、一緒に暮らしていた頃の懐かしいリズムで僕を相手してくれました。
みんなとだってこれくらいの時期は大変だったんだぞ!!!と言ったら、
大変だったから今あるんでしょ。何言ってんの。と言われ大人しくなる僕。本当にありがとうみんな。
さて、散々いじられたりされて嬉しかったわけなんですが、
現在一緒に運営をしている卒業生から
「こっちが家でいいじゃん」
とさらっと言われました。そして今でもそれが深く刺さっています。
何が対等か?
運営をしながら一緒に暮らしていると、頑張って対等でいよう、同じ目線でいよう、そうじゃないとみんなに距離を感じさせてしまう。
とどうしても思考してしまう。
結果僕がこの数週間無意識のうちに思っていたのは、
頑張って家族でいよう
頑張って同じ暮らしのメンバーでいよう
ということでした。
でも家族的なつながりがあるのって結果でしかない。
そもそも卒業生たちともそういうつながりを目指していたわけじゃない。
みんな突然同じ屋根の下にぶち込まれて、しゃあないから一生懸命共に生きることに向き合っていた結果、今があるんだなとようやく思えました。
ということで、皆でより良い暮らしを考えてるなら僕の立場やスタンスなんてなんだっていい。
みんなは初めての田舎の共同生活で学ぶのが役割。
僕は皆の学びを学び合いにしてより良くしていくのが役割。
立場は違うけど、みんなで共に豊かに生きていくのを目指しているのは対等だし変わらない。
価値観や立場が違う中でどう共存していくのか?
そういえば4期の時もこれくらいの時期にこの問いが生まれてたな〜笑
今回は立場を無理に合わせようとした結果、なんだか全体を見失ったり難しい難しいと頭を抱えてしまったのだなあと思いました。
違うのが大前提というのを忘れずに。(これでも短期プログラムの運営の時に比べたらマシになってきている方だと思う)
心理的Home物理的Home
さて、僕は大人しく心理的Homeを卒業生の家に置くことにしました。「毎週土曜は帰ってくる」と言ったらどうぞどうぞと言ってくれたので甘えます。
ここまで書いて思ったけど、僕の周りには心理的Homeが溢れている。
運営チームもだし、職員室もだし、マジの家族も友達も。
自分が今住んでいるシェアハウスを無理に心理的にも物理的にもHomeだって思おうとするからガタがきたので大人しく一旦物理的Homeと置くことにします。
なんだかこれだと寂しい気もしますが、この気持ちを隠していたらそれこそ対等じゃない。4期生だって途中まで、なんなら卒業式までヒヤヒヤものだったもの。焦らずじっくりじっくりと、言い聞かせます。
入学から一ヶ月経過です!あと三ヶ月みんなよろしくね〜。
学び「良い関係性という結果を求めてしまうジレンマ」
かの有名な組織の成功循環モデル。より良い結果を先に求めると関係性に亀裂が入り、思考が進まなくなり行動も起きず結果的に望まない結果になる。
ので、関係性から構築することで良い循環が生まれ良い結果が出ますというモデルに関して。
組織の成功循環モデルbyダニエルキム
僕はよくやってしまいがちなのですが、
「良い関係性」という「結果」を求めていると、関係性は進みづらいというジレンマ。
今回でいうと、僕は「家族的なつながり」「学びあえる、なんでもいいあえる関係」を求めた結果、僕含めみんなの歩調を見失っていたのかもなあ。と。
*この記事は2020年11月15日に投稿されたものです。