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「LGBTではないフツーのひと」に考えて欲しいと思う10のこと(2018年版)+動画あり

「LGBTではないフツーのひと」って、誰だろう?
「フツー」って、どんなことを指すんだろう。

そんなことを思いつつも、でも、「LGBT」と「フツーのひと」は分けて考えられてしまうことが多くて、日常的にもやっぱり、自分のことを「自分はLGBTではないフツーのひとだ」と思っている人はたくさんいるっていう実感があります。

この文章は、そんな人たちへのお手紙のようなものだと思ってください。

※この文章の内容は、私が自分の生活の中で感じたことを基にしています。私は「LGBT」や「クィア」の代表ではないので、違う考えの人はたくさんいます。私の言う通りにして誰にでも同じように接するのではなく、いつでも、相手との関わりの中で、何を言うべきか、どう言うべきか、決めてくださったら嬉しいなと思います。それは、友達や知り合い、仕事の仲間、近所の人などとして、他人と接するときに普段からみなさんがやっていることと同じなんじゃないかなと思います。それに、誰だって間違えることはあるんだから、事前に言葉を選ぶことよりも、間違えたと思ったり、相手が嫌だと言ったりしたときにちゃんと考えることができる人が増えたらいいなと思います。

※今から、「〇〇とは言わないでください」という表現がたくさん出てきます。でも、「LGBTではないフツーのひと」にはそんなことを一切言わない人がたくさんいるのを私は知っています。逆に「LGBT」や「クィア」の人でも、言ってしまう人がたくさんいることも知っています。だからこれは、「LGBT」「クィア」を代表して「フツーのひと」に向けて書いたお手紙というよりは、私個人からの、みんなへのお手紙です。自分のことを「LGBT」や「クィア」と思っている人にも、届いたら嬉しいなと思います。

0. 基本編

「10のこと」とタイトルにありますが、その前に「基本編」として地雷度の高いものを紹介させてください。こんなこと分かってるよ、という人ばかりだとは思います。でも念のため、ざっくり目を通していただけたら嬉しいです。

● カミングアウトしたとき、「襲わないでね〜」と言われると悲しくなります。人は誰しも性暴力の加害者にも被害者にもなり得ます。信頼している家族や友人、先生とかから性暴力を受ける人はたくさんいます。LGBTだからといって加害者になる確率が高いということはありません(むしろLGBTは、「フツーの男性」から被害を受ける確率が高いという統計すらあります)。誰もが加害者になり得るからといって、出会う人すべてに「襲わないでね〜」と言ったりはしないですよね。

● T(トランスジェンダー)に限らず、LGBでもときどき、「男と女の両方の気持ちが分かるでしょ」と言われることがあります。いわゆる「オネエキャラ」の芸能人なんかがそういうことを言ってきた歴史があるので、それが浸透してしまっているのだと思います。でも、やっぱり、女性だから女性の気持ちがわかるとは限らないように、LGBTも、自分の気持ちしか分からないんじゃないかな。「女の気持ち」「男の気持ち」というものだって、すごく多様ですもんね。

● トランスジェンダーはもちろんのこと、女装をしたり男装をすると、結構「男より男っぽい」「女より女っぽい」と褒めてもらうことがあります。きっと「そう言えば喜ぶかな」と思って言ってくれてるのだと思うんですが、パス度(表現している性別の人間として見られる度合い)が高くないと自覚しているトランスジェンダーは「あぁ、やはり別枠なんだ」と思ってしまうかもしれません。また、人によっては「男」や「女」を目指していない人もいます。なので、褒め言葉としては、相手を傷つけてしまうリスクが高めなんじゃないかなと思います。もし、相手の男っぽさや女っぽさに「すごいなあ」と思ったら、頭の中で、「女っぽいとか男っぽいとかは、自然なものじゃなくて、みんなが作って、信じてるものなんだなあ」と感じてくれたら嬉しいです。

※また、ときどき周りにいる女の人をバカにしたり笑ったりするために「女より女っぽい」という話をする男性がいたりします。LGBTや男装・女装する人たちを利用して女の人を悪く言うのは、やめてほしいと思います。

● トランスジェンダーに限らず、「心は男なんでしょ」「心は女なんでしょ」と言われることもたくさんあります。でも、「心の性別」って、自分でもよく分からないものです。確かに、自分は男だ、自分は女だ、と強く感じてる人はいます。でも、そうじゃない人もたくさんいます。だから、「心の性別」がどっちかというよりは、どちらの性別として生活したいかを尊重してもらえたら嬉しいなと思います。また、レズビアンに「心は男なんでしょ」と言ったりゲイに「心は女なんでしょ」と言う人もいますが、「恋愛は異性とするもの」という思い込み自体を一度振り返ってもらえたらいいなと思っています。

● トランスジェンダーの人の体に興味を持つ人はとても多くて、なかでも「もう手術してるの?」という質問をする人は少なくありません。でも、初めて会った相手に「包茎ですか?」とか「乳輪の直径何センチ?」とか「胸何カップ?」とか、あまり尋ねないと思うんです(自分より下に見ている女性に対してこういう質問をぶつけるセクハラ男性はたくさんいますけど…)。トランスジェンダーだからって、その人の体は個人のプライベートなものですから、あまり不躾な質問をしたら嫌な思いをさせてしまうかもしれません。

※自分も手術を受けたいと思っていて、経験談を聞きたいという場合もあると思います。その場合はまずネットで情報を探して、それでもわからないことがあれば他の当事者に正直に相談してみてもいいかもしれません。

● LGBをカミングアウトすると、いきなり「どんなひとがタイプなの?」という質問をされることがあります。もちろん、LGBであることをすぐに受け入れてくれてるんだなとは思いますし、特に嫌な気持ちになるわけではないんですが、でもLGBだからって、そしてそれを相手に伝えたからって、「さぁLGBの恋愛事情について何でも聞いてください」という気持ちがあるとは限りません。『え、まだ恋の話をするほどあなたとは仲良くなってないんだけど…』と思われることもあるかもしれません。もし興味本位ではなく雑談として(あるいは目の前のLGBに惹かれていて)恋の話をしたいなと思うことがあったら、最初に自分のタイプを話すとスムーズに行くかもしれません。

● LGBT全体もそうですが、特にゲイ男性に対しては「性病とか怖くない?」と心配してくれる人もいます。でも、LGBTでもクィアでもそうじゃなくても、誰でも、性感染症(いわゆる「性病」のことですが、現在は性感染症と呼ばれることが多いです)のリスクが高いことをしてる人もいますし、リスクの低いことしかしない人もいますし、あるいは全然セックスをしない人もいます。LGBTだからといって性感染症のリスクが高いと思っていると、「LGBTではないフツーのひと」と思っているあなたは油断して、性感染症にかかってしまうかもしれません。「性病とか怖くない?」と言われると、私はむしろ相手のことが心配になってしまいます。

※それとは関係なく、性感染症についての知識や意識が乏しい人というのはたくさんいます。性教育できちんと扱っていないから、みんなあまり知らないまま大人になってしまうのだと思います。LGBTとか関係なく、もし友人が全然性感染症のことを考えないでリスクが高いことをしてることを知ったら、その時は、「心配してるよ」とかの、あなたの気持ちを言ってもいいかもしれません。

● 相手がゲイ男性だとわかると「アナルって痛そう」とか、アナルセックスに関することを言う人がときどきいます。「掘られちゃう」とかの揶揄ではないだけ少しはマシかもしれませんが、でもやっぱり、「ゲイはこういうことしてるはず」という思い込みが強いんだなあと感じます。ゲイ男性でもバイ男性でも、アナルセックスをしない、興味ないという人はたくさんいますので、どんな性生活を送っているかについては、できるだけ最初から決めつけないで話をしてほしいなと思います。

※自分もアナルセックスに興味があって、それについて知りたいと思っているなら、体は個人差が大きいですから、誰かに聞くよりもネットで調べた方が安全だと思います。

● レズビアンに対して「女同士ってどうやってセックスするの?」と疑問を持つ人は少なくありません。きっと、ペニスがヴァギナかアナルに挿入されないとセックスとは言えないという社会通念があるからなのかなと思います。でも、セックスをそんな狭い定義に押し込めなくてもいいのになあと思っています。人それぞれ、いろいろな楽しみ方があって、それでいいんじゃないかな。いずれにしても、「どんなセックスをしてるの?」という質問は、どんなに仲が良くてもあまり気軽に聞ける質問じゃないと思います。レズビアンだから、ゲイだから、バイだから、トランスジェンダーだからという理由でそんな質問も聞いちゃえる、という気持ちがあるとしたら、そんなことないよ、私たちだってプライベートなことを根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だよ、と伝えたいです。

※それに、セックスレスの男女のカップルがいるように、セックスレスのレズビアンのカップルもいます。「女同士ってどうやってセックスするの?」なんて聞かれた日には、その場では適当にごまかしたとしても、家に帰ってからすごく気まずくなることうけあいです。やめてあげてください><

※女同士のセックスがしたいけどどうやるのか分からないなら、今はネットに情報がたくさんあります。それでもわからないことがあったら、正直に他の当事者に悩みを話してもいいかもしれません。

● 関東圏だけかもしれませんが、LGBTであることを相手に伝えると「今度二丁目連れてってよ!」とお願いされることがあります。私個人は新宿二丁目に行ったことが両手で数えられる程度ですし、それも友人に連れられて友人のよく行く店に付いて行くばかりでした。多くのLGBTが、新宿二丁目には行ったことがなかったり、あっても全然詳しくなかったりするんです。なので、もし行ってみたかったら、普通にひとりで飲みに行ってみてください。あまりディープな感じじゃなく誰でも気軽に入れるお店がたくさんあります。カフェみたいなところ、クラブみたいなところ、バーみたいなところ、いろいろあって、別に入るときに審査があるわけでもないです。ふらっと寄ってみたら、素敵なお店に出会えるかもしれませんよ。東京以外でも大きな都市には似たような地域があったりするので、調べてみると意外と近くにあるかもしれません。

※もちろん、そうして行ったところでLGBTのすべてが見れるわけではありません。そこにいる人たちも多様ですし、そこにいない人たちもたくさんいます。あと、もし万が一知り合いに会ってしまった場合でも、他の人に言わないでくださいね。本人に対して「見たよ〜」とか言うのも、あなたはちょっとしたからかいのつもりで別に差別したいとかじゃなくても、相手にとっては、自殺を考えるきっかけにすらなるものです。

● 新宿二丁目に詳しくないことを伝えると、逆に「じゃあ今度連れてってあげるよ!」と言う人もいます。「近所にできたバー、行ってみたいと思ってるんだよねー」とか言った時に、たまたますでに何度も行ってる人から「じゃあ今度連れてってあげるよ!」と言われるのは、よほどその人が嫌いでもない限り嬉しいことです。でも、新宿二丁目に行ってみたいと思ってるLGBTは、実はあまり多くないんじゃないかと感じています。むしろ「苦手」「嫌い」と言う人もいるくらいです。なので、一緒に二丁目に行きたいなと思ったら「行ってみない?」と普通に誘ってくれたらいいなと思います。

● LGBTであることを伝えると、「レズビアン/ゲイ/バイ/トランスの友達いるよ!」と教えてくれる人がいます。きっと、「あなたを私は受け入れるよ」とか「おかしいことじゃないよ」とか、そういうことを伝えようとしてくれているんだろうなとは思います。でも、正直……反応がしづらいです。タバコに火をつけたら「タバコ吸う友達いるよ!」と言われたみたいな、「だからどうした」という気持ちが少し生まれてしまいます。目の前のLGBTの人とその「友達」は別の人間で、性格も、考え方も、趣味も、何もかも違うかもしれません。むしろあなたとの方が共通点があるかもしれない。「友達」のことを持ち出す必要はないよ、って言いたいな。

ここまでが、基本編です。すごく長い前置きでしたが、読んでくれた人、ありがとうございます。お疲れ様でした。もしよかったら少し休憩してくださいね。

では、以下に本題の「10のこと」を書きます。

1. 自分や、家族、知り合いも、LGBTやクィアかもしれません

もしかしたら、あなたの周りにはうんと前からLGBTやクィアがいたかもしれません。あなたには言ってないのかもしれません。まだ言えないのかもしれません。「自分の周りにはいない」と思って話していると、気付かずに周りにいる人を傷つけてしまうこともあるので、「誰だって、LGBTかもしれない」というのを頭の片隅に置いておいて欲しいなと思います。

それに、あなた自身もまた、今までずっとLGBTやクィアだったかもしれません。いつか「そうだったんだ」と思う日が来るかもしれません。あるいはいつの日かLGBTやクィアになることだってあり得ます。性のあり方は必ずしもずっと一定ではないですし、「L/G/B/T/それ以外」に綺麗に分別できるわけでもないですから。もしそういうことがあったら、あなたがそんな自分の性のあり方を肯定できる心持ちでいれたらいいなと思います。

2. 私とあなたは、結構同じです

「そっちの世界では〜」「そっちの世界のことは〜」という表現を聞くことがときどきあります。でも、その「世界」ってどこにあるんだろうといつも疑問に思ってしまいます。私たちはみんな、同じ世界に住んでいるんじゃないのかなあ。朝眠い目をこすりながらゴミをゴミ捨て場に持って行ったり、走って駅に向かったのに電車に間に合わなくて息切れしながら職場に遅刻するって電話したり、夜中に人通りの少ない道を歩いていたら後ろからジョギングしてる人が追い越してきてビックゥゥウウってしたり、そういう日常を、LGBTの人もそうでない人も同じように生きているのになあ、と思います。

あなたと私の違いより、あなたと私の同じところを話しませんか? そうすれば、自動的に違うところも見えてきます。見えてきた違いから、お互いに勉強になることがあるかもしれませんしね。

3. 同性婚の話は難しいです

パートナーシップの承認を受けることができる地方条例がいくつも成立しているいま、「同性婚は認められるべきだと思う」と言う人が増えてきました。とてもいい人たちだと思うんですが、でも、結婚ってそんなに常にいいものとは限らないですよね。結婚で嫌な思いをした人、私の周りにはたくさんいます。ほかにも、結婚したいけどできないという人、結婚したくないのに結婚しろと家族に言われてつらい人、DVを受けているけど離婚したら配偶者ビザを失うことになるから離婚できない人など、いろいろな人が世の中にはいて、レズビアンやゲイ、バイの人にも結婚を望んでいない人がたくさんいます。未婚の人に「はやく結婚した方がいいよ」とか言う「おせっかい」な親戚とかっていますよね。LGBに同性婚の話をするのは、もしかしたら無意識に相手に「結婚は素晴らしい」という価値観を押し付けることになってしまうかもしれません。

※望んでいないだけではなく、結婚制度や結婚文化が苦手、嫌い、あるいは反対という人も、LGBTかどうかに関わらず結構います。私もそのひとりです。だから「同性婚が認められるといいね」と言われると、いつもどう反応するのがいいのか迷ってしまいます。

※たとえば「外国人なら日本国籍が欲しいだろう」とか「障害者なら健常者になりたいだろう」とかって、あまり良くない決めつけだと思うんです。それよりも、外国人として生きることや障害者として生きることが少しでも楽な社会を作る方が大事だと思いませんか。それに、日本国籍がある健常者だって、別にみんな幸せに暮らしているわけではないですもんね。結婚制度にかんしては、私は「結婚しても離婚してもずっと未婚でも生活が困ったりしないし、周りから嫌なことを言われることもない社会」がいいなと思っています。

4. アメリカやヨーロッパと比べても意味がありません

LGBTやクィアの話になると、「日本は遅れてるからね」と言う人がたくさんいます。でも、それって本当なのかなあと疑問を感じることがあります。というのも、「ここはアメリカみたいになったらいいな」と思うこともあれば、「ここは中国みたいになったらいいな」と思うこともあります。それぞれの国や地域にいろんな制度や文化があって、その中で性差別やLGBT差別に対抗している人たちがいます。必ずしもアメリカやヨーロッパの後ろに日本がいて、その後ろに東南アジアやアフリカ、イスラムの国がいる、というわけではありません。それになんか、そういう風に考えるのって、他の国に失礼なことな気がします。

5. 「あなたみたいな人なら受け入れられる」は微妙な気持ちになります

「あなたみたいな人なら受け入れられる」——そう言われると、私個人を正面から見つめて、「LGBT」とかの枠じゃなく人間として見ようとしてくれているのだな、と思い、少し嬉しい気持ちになります。

でも同時に、「あなたみたいな人」ってどんな人かな、と立ち止まって考えてしまったりもします。

たとえば私は、大学院まで行きました。都市ではないけど関東に住んでいます。生活していけるだけの収入があります。セックスワーカーではありません。低学歴のLGBT、農村に住むLGBT、低所得のLGBT、セックスワークをしているLGBTは、ダメなのかな? という思いがよぎります。

たとえば私は、うつ病ではありません。身体障害もなく、定型発達(発達障害がない)です。うつ病のLGBTや、身体障害のあるLGBT、非定型発達のLGBTは、ダメなのかな? という思いがよぎります。

マイノリティは、「良いマイノリティ」と「悪いマイノリティ」に分断されることがよくあります。そうすると、「良い」ほうに近い人たちは少しでもマシな生活を願って、より世間に受け入れやすい人間になろうとします。へたしたら「悪い」ほうに近い人たちを一緒に悪く言って、蹴落とそうとしてしまうかもしれません。

マジョリティがマイノリティを「選別」して受け入れようとすると、マイノリティの連帯が壊されてしまうのです。それに、マイノリティを「選ぶ」という立場に自分がいると思えること自体、マジョリティに与えられた特権なんだろうな、そこから降りてきて欲しいなとも思ってしまいます。

だから、「あなたみたいな人なら受け入れられる」という人を増やすんじゃなくて、どんなLGBTでも、LGBTであることを理由に受け入れないなんてことがないような社会を一緒に作って行きたいな。誰かが「受け入れる」か「受け入れない」かにかかわらず、私たちはすでに常に存在しているんだから。

それと同時に、うつ病や身体障害、発達障害、低学歴、地方在住、低所得、セックスワーカーなどの属性を「悪いもの」としない社会も作って行きたいですね。

6. 「幸せならいいと思うよ」って言われると、そういう問題じゃないよって思います

LGBTに限らず、世の中的に良くないと思われている属性や行為をしていると、「それであなたが幸せならいいと思うよ」と言われたりします。でも、たとえば私たちってみんな、そんなに幸せじゃないですよね。

幸せであることが何かを継続することの条件になってしまったら、人はみんな、何もできなくなってしまいます。

有名な大企業に勤めていても、清掃の仕事をしていても、実家暮らしでも一人暮らしでも、別に何も関係なく、幸せじゃない人はたくさんいます。でもみんな、ある程度は我慢しつつ、折り合いのつくところで頑張っています。それに対して「幸せならいいと思うよ」って、あまり言わないと思うんです。(セックスワークをしている人はよく言われますけど……)

幸せじゃなかったら、LGBTやクィアでいてはいけない——そんなことはないはずです。

それに、「いいと思うよ」ってなんか、許してもらってるような感じがして、私は言われて嬉しい言葉ではないなあ。だって、何も悪いことしてないもの。

7. 「犯罪じゃない」とか「迷惑かけてるわけじゃない」と言わないでください

「だって別に犯罪じゃないんだし」「誰にも迷惑かけてるわけじゃないもんね」という言葉で、LGBTやクィアの味方をしてくれる人がいます。私たちの性のあり方を肯定してくれる、優しい人たちだろうと思います。でも、「犯罪」や「迷惑」の定義はころころ変わっていて、それにマイノリティが振り回されてきた歴史があるんです。

例えば、2003年まで、アメリカには「ソドミー法」という法律がある州がありました。これは、アナルセックスや、オーラルセックス(口を使うセックス:フェラチオやクンニリングス)を犯罪とする法律です。アナルセックスやオーラルセックスが犯罪だった時代は、そんなに遠い昔ではないんです。最近も、ロシアでは「同性愛宣伝禁止法」が制定されました。

また、長野でオリンピックがあったとき、オリンピックの施設を作るために日本は外国人をたくさん集めて、働かせました。そして、施設が完成したら、そこで働いていたたくさんの外国人を「不法滞在」とかで逮捕して、日本から追い出しました。施設が完成するまでは逮捕しなかったのに終わってから逮捕するというのは、外国人労働者を都合よく使い捨てにしたことになります。法律は、政府の都合のいいように使われてます。色々なこと(ビザなし滞在とか、路上パフォーマンスとか)を違法にしておいて、都合がいいときは放置、都合が悪くなったらいつでも市民を逮捕できるようにしてるんです。

「迷惑」という概念についても、たとえば男女のカップルが人前でイチャイチャするのはいいけど、同性同士がイチャイチャしてると「迷惑だ」と言う人がたくさんいます。それを理由に公共の場から追い出される人たちがたくさんいます。

「犯罪じゃない」「迷惑じゃない」というのは、常にマジョリティの都合で定義を変えられてしまうものです。だからマイノリティは、いつ自分の属性や行為が「犯罪」や「迷惑」とされるか分からないんです。今年は大丈夫でも、来年にはダメかもしれない。だから、「だって別に犯罪じゃないんだし」「誰にも迷惑かけてるわけじゃないもんね」と言われても、不安はなくならないんです。

8. 「LGBTとかクィアとかいっても、同じ日本人」……ではないかもしれません

会話の中で相手との共通点を探して共感ベースのやりとりをすることは、とても素敵なコミュニケーションのあり方だと個人的には思います。でもときどき、『いやそこは共通とは限らないよ』と思うこともあります。「LGBTとかクィアとかいっても、同じ日本人だしね」とか言われた時です。

日本にはたくさんの外国人が住んでいます。日本で生まれたけど、日本国籍はない、という人もたくさんいます。日本語がとても上手だったり、「日本人」のイメージと合う見た目の人でも、「日本人」とは思ってない人もいます。逆に、見た目が「日本人」のイメージと違う日本人もたくさんいます。かつて「日本人」として日本国籍を持っていたのに、国の都合で国籍を剥奪され、宙ぶらりんにされた人たちもいます。

そういう人にも、もちろん、LGBTやクィアがいます。

「同じ日本人」に「見える」ということは、きっとその人はこれまでもたくさんの人に「日本人」だと思われてきたんじゃないかな。あなたまで、その人を傷つけたり、決めつけたりしないで欲しいなと思います。たしかに日本においては、多くの人が日本人だろうとは思います。でも、そうじゃないかもしれないっていうことは、LGBTやクィアだけじゃなく誰と話すときでも、頭に入れておいてくれたら嬉しいです。

9. 「○○だと、大変でしょう」と言われると内心複雑です

LGBTやクィアって都会的なイメージや海外のものというイメージがありますし、なんかエリートなイメージもあります。そういうイメージをLGBTやクィアが自分で出しているという側面もあるかもしれません。また、アメリカやヨーロッパが進んでて、日本がその後ろにいて、その後ろに他の国がある、というイメージも、あります。でも、イメージはイメージです。

LGBTやクィアでそういうイメージから離れているところにいると、「○○だと、大変でしょう」と言われたりします。○○には、「地方」「在日コリアンコミュニティ」「製造業」「(母国の名前)」などが入ります。

でも、どんなところにも大変なことってあるし、どんなところでも楽しいことがあるものだと思います。その中で、嫌なことに「嫌だ」と言ったり、少しずつ周りの人を変えたりしてる人がたくさんいます。社会運動って、そういうことの積み重ねだと思うんです。たとえば女性社員がお茶汲みを拒否したとき、そこでは女性運動が起きてるんです。

だから、外から眺めて「そんなところは、きっと酷いはずだ」と決めつけられると、頑張っている人は嬉しくありません。私たちの生きている地域やコミュニティ、職場は、「うわ〜こわ〜い」と楽しむためのお化け屋敷ではないのですから。

10. 「LGBT」と「フツーのひと」だけじゃありません

「『LGBTではないフツーのひと』に考えて欲しいと思う10のこと」というタイトルでここまで書きましたが、10こめは「『LGBT』と『フツーのひと』だけじゃありません」です。

私は、「LGBT、そうでなければフツーのひと」という二者択一(ふたつにひとつ)が嫌いです。

そもそも、「フツーのひと」も「LGBT」も、色々な性的なことをしたり、したいと思ってます。したくないと思ってることも、みんなそれぞれあります。本当に、多様です。そこに「性的指向」と「性自認」という二つの基準を無理矢理当てはめて、全ての人を無理矢理分けるから、「LGBT」と「フツーのひと」がいると思ってしまうんです。うまく分けられない人のことは、無視してしまいます。

そして、本当は多様なのに、カテゴリーに分けられて、「LGBT」が差別を受けています。

「フツーのひと」とされやすい人たちは、国とか世間とかにとって都合のいいことをすることが多いように思います。結婚すれば扶養義務が生まれて国の負担が減りますし、出産をすれば人口が増えます。育児や介護をすれば、国や地方自治体の福祉のお金を節約できます。

だから「フツーのひと」の方が制度で優遇されてるし、「フツーのひと」であるべきだという規範があります。

※「フツーのひと」も、この規範に苦しめられてますよね。特に女性の負担はとても大きいです。

そもそも「L・G・B・T」とかいうカテゴリーは、差別とセットです。初めに「L・G・B・T」の人がいて、彼ら・彼女らが差別されるようになった、というのは順番を間違えています。

例えば「同性愛者」という言葉も、19世紀の終わりにアメリカで「ああいう人は同性愛者」と、全く違う種類の人みたいに言い出して、それから病気扱いしたり、犯罪者扱いをしてきたという歴史があります。

「性的指向」と「性自認」に注目するのは、ここ百年くらいの流行りなのです。

「同性とセックスするようなやつらは、何かおかしいに違いない。自分たちとは違う」という、差別的な考えが先にあって、それから「同性愛者」というカテゴリーが生まれたんです。

※もちろん、その後の様々な運動の中で、自らカテゴリーを受け入れたり使ったりしてきた歴史もあります。

だから、私は、「LGBT」と「フツーのひと」という分け方が嫌いです。

最近「LGBT『じゃないけど』、LGBTの味方です」というポジションとして、「アライ」という言葉が使われてます。でもこの「アライ」って、前提に「LGBT」と「フツーのひと」という二者択一の考え方がありますよね。

私がこれまでに会った人たちには、周りから「アライ」と思われそうな人がたくさんいます。みんな、色々な考えや思いを持ってLGBTやクィアの運動をしたり、毎日の生活の中で性の規範に違和感を感じたり、それに対抗しようとしています。

そういう人たちを「アライ」と呼ぶのは、私は、失礼なことなんじゃないかと思うんです。性の規範に違和感を感じてることは同じなのに、「彼ら・彼女らアライ」と「私たちLGBT」に分けることに、どんな意味があるのだろうとも思います。

だから、もしあなたが性差別やLGBTの問題に関心がある「LGBTではないフツーのひと」だとしたら——これを私が言うのは傲慢なことだけど——あなた自身の思いや考えを大事にして、「フツーのひと」や「アライ」なんていう勝手な呼ばれ方に負けないで欲しいと思っています。

私自身、自分が「LGBT」の枠にすっぽり入るとは思っていません。ただ、周りからは、そう思われてると思います。私も、自分に向けられる勝手な呼ばれ方に負けないように頑張ります。

終わり

最初に言った通り、ここに書いた10このことは、私が自分の生活の中で感じたことを基にしてます。私は「LGBT」や「クィア」の代表ではないので、違う考えの人はたくさんいます。私が言う通りにして誰にでも同じように接することは、よくありません。いつでも、相手との関わりの中で、何を言うべきか、どう言うべきか、決めてもらえたら嬉しいです。

自分を「LGBTではないフツーのひと」と思ってる人より、自分の方が偉いとか、知識があるとかも、思ってません。みんな、それぞれの人生の中で、色々なことを経験して、学んでいます。私も、たくさんの人に色々なことを教えてもらいましたし、今でもたくさんの人から色々なことを教わっています。私の知らないこと、考えが浅いところ、たくさんあると思います。

だから、この「10のこと」を、「LGBT」や「クィア」を代表して書いたつもりはありません。自分が感じてきたこと、大切にしてる人から聞いたこと、ネットなどで目にしたものなど、自分の経験の範囲で書きました。だからこれは、「クィアとして」「LGBTとして」の立場からではなく、私というこの社会で生活してる者として書いたものです。

また、上で書いた通り、「フツーのひと」や「アライ」と呼ばれる人たちにも、様々な思いや考えがあると思っています。それよりも私の思いや考えの方が大事だとか、優れてるとか、優先すべきことだとか、思ってはいません。少なくとも、そう思ってはいけないと思っていますし、思わないように気をつけています。それでも、偉そうな部分があったかもしれません。気づいたことがあったら、是非教えてください。そもそもこの文章を書いたこと自体が、「10のこと」を「教える」というスタイルの文章ですから、傲慢なことかもしれません。

それでもこの文章を書いたのは、 「フツーのひと」や「アライ」と呼ばれる人たちと、性の規範に違和感を感じてる人同士として、もっと一緒に考えたり、話したり、動いたりしたい、という思いがあるからです。

もちろん、それを実現するには、「クィア」や「LGBT」の立場の人もたくさんやるべきことを抱えてると思います。例えば、LGBT関係のグループに初めて来た人に「レズビアンですか?」とか平気で訊く人が結構います。

1.から10.までは(もしかしたら「基本編」も)、自分を「LGBT」や「クィア」と思ってる人にも当てはまることがあります。だから、この文章は、自分を「LGBT」や「クィア」と思ってる人にも読んでもらえたら嬉しいです。