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Petrosky Tomio先生の感想:Club Q オン会【哲学対話「心はどこにある?(オンラインでも心はつながってる!?)」】 (2020-11-26) はいかがでしたか?

「感想」

今回は、Petrosky Tomio先生(テキサス大学/物理学者)による感想です。

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講演者の加藤さん、取り仕切り役のMaiさん、興味ある催ありがとうございました。今まで経験したことがなかったのですが、哲学の専門家の方から哲学対話についてどんなものかと言うことを聞くことが出来て多くのことを教わることが出来ました。大変楽しいオン会でした。

新鮮だった事柄として、

*哲学は難しいことを語り合う学問では無い(それって全面的に同意しますが、歴代の哲学者への皮肉かなとも取れて面白かったです)

*哲学は反省と批判から成り立っている。ただし、ここで反省とはrefrection(反射)の訳であり、批判とはCritic(確かめる)の訳である

*哲学は結論と根拠の立場を逆転させて、根拠の是非を論じようとする

*哲学では哲学の歴史を研究することが、そのまま哲学自身を研究することにもなり得ると言う点で、他の学問とは際立った違いがある

*哲学対話では正解を求めない(あるいは、正解が無いことを暗黙に了解している)

*哲学対話は「話し合い」では無い。なぜなら「合う」必要が無いからだ

*哲学対話では、初めの課題から話がどんどんずれて行っても構わない

*数人で行う哲学対話では、発言を一切せずに人の話を聞いているだけでも良い

等々の多くの表現に出会いました。これらは、多分皆さんが薄々感じていたことを明確に言語化して見せてくれており、流石長年学者として哲学を分析してきた方だと玄人の有り難みを再認識しました。

今回は初めの課題が「心」でしたが、それを契機として話が四方八方に広がっていきました。しかし、加藤さんの手綱捌きで適度に初めの課題に引き戻され、最後に再び「ロボットには心があるのか」と言う問題が出てきたのも新鮮でした。特に、この辺りで今回の参加者の中に数人おられた情報関連の理系の人たちが相当刺激されたように思えました。(このことをうちの家内に話したら、「おいおい、それって情報科学の人たちだから反応したんじゃなくて、今の世代の人たちは漫画やSF映画の影響を受けているんでそんなことに反応しているんじゃないの」ってな無粋なご意見が返ってきて、それもまた面白い視点だと思いました)

私個人としては、アリンコなどの昆虫と言わず、植物が成長の過程で一方の側面を人為的に不愉快な環境に設定すると、それを避けるように成長して行くのなど、すでに植物にも心の萌芽が存在しているのでは無いかと思えました。

哲学対話は必ずしも一回の催で終わる物ではありませんので、例えば今回の最後の話題の「ロボットと心の問題」などももう一度語り合ってみたい課題だと思いました。

また、哲学が正解を求めないにも拘らず、言語による論理性を重んじる点で、他の学問と共通した点があると言う加藤さんの指摘が印象的でした。その言葉に刺激されて、次のようなことが頭に浮かびました。それは、芸術は言語による論理性とは親和性があまりないよう思えるのに、学問と芸術は創造的な営みという点では親和性がある。だから、芸術と哲学、哲学と学問、学問と芸術という具合に対で並べてみると、全体が一つに収まらない面白さに気が付きました。こんなあたりを取り止めもなく話すのも面白い哲学対話の課題になると思いました。

是非、この哲学対話の催しを続けていただきたいです。

あと、このオン会の続きの懇話会も脱線に次ぐ脱線で大変楽しかったです。

追記:

芸術と哲学、哲学と学問、学問と芸術という関係を考えているうちに、こんなことも思いつきました。

哲学って自然言語を使って論じられていますので、数学のように論理が時系列的に出てきます。一方、絵画などの芸術は各部分が空間的に収まるところに収まっているのかという空間的な論理で出来上がっています。ですから、絵画や彫刻や工芸品を時系列的な言語で分析してもの意味があまりない。そうではなくて、その作品を同時刻に全体を俯瞰して、各部分が収まるところに収まっているかどうかの論理を使って把握しようとする。

ところで、物理学は数学を使って論じられます。そして、数学は、AがBを導き、BがCを導き、、、という具合に言語と同じように時系列的に並んで出てくる論理構造を持っている。だから、絵画のような空間的な論理とは随分違った論理です。しかし、物理学者が何かを発見するときは、このような数学的な時系列的論理を使って発見するのではなくて、ある事象の全貌を俯瞰して、その事象に今までの研究者の経験を重ねて、収まるところに収まっているかどうかという空間的な論理を使って新しいことを発見します。そして、その発見したものに対して後出しジャンケンで時系列的な数学の論理を使って記述するのが普通です。

さて、私が思いついた哲学についての問題は、哲学の認識の把握にも物理学者がするように、空間的な論理を使って何かを把握することがあるのか。それとも、自然言語を駆使して時系列的な論理を使いながら哲学的な認識を導き出しているのか。もし、哲学の中心が哲学対話であるならば、哲学はどちらかというと時系列的な論理の把握が主体となるようにも思えます。

こんなことも皆さんと論じてみたいですね。

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ミラー 七恵さんからのコメント

>哲学の認識の把握にも物理学者がするように、空間的な論理を使って何かを把握することがあるのか

物理学的論理と、芸術の基になる想像性との関連性について、アインシュタインが深い言葉を遺していますよね。

Imagination is more important than knowledge. Knowledge is limited. Imagination encircles the world.(空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む)

とか、

Logic will get you from A to B. Imagination will take you everywhere.(理論はAからBへと導いてくれるだけだが、想像力はあなたをどこへでも導く)

想像力を駆使して作り出される芸術から、それなしではたどり着けないかもしれないもっと広い世界が見えてくるのかもしれなく、それがはずみとなって新たな物理理論が生まれるきっかけができるのかもしれないと妄想してしまいます。(・・・また脱線してしまったかな)

Petrosky Tomio先生からのコメント

私の先生だったプリゴジン教授の墓碑には「驚きは創造性の源である」と刻まれています。それに対して、私は「脱線は創造性の源である」としたいです。

ミラー 七恵さんからのコメント

Petroskyさんの、植物にも心の萌画があるのではないかとのご指摘にバクスター効果を連想しました。

科学がもし、本当に植物とコミュニケーションを取る術を見つけた際には、人間は何を食べればいいのか・・・それこそヴィーガンの次は?光合成か、Breatharianかっ!?って・・・

はい、申し訳ありません。何度も討論の話の腰を折って脱線させては加藤さんに軌道修正していただいたのから何も学んでいませんね、私は…。

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Petrosky Tomio先生ありがとうございました。

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投稿日:2021/09/13


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