Petrosky Tomio先生の感想:Club Q オンライン勉強会「ノーベル賞2021のお話&北大名誉教授・チューリッヒ工大 F. Jastac 先生の 第3回「科学技術」とまとめないで!ー技術はどう発展したか?ー」はいかがでしたか?
「感想」
今回は、Petrosky Tomio先生(テキサス大学/物理学者)による感想です。
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中村さんの回答に関して、今回もこの勉強会に参加した私の理解とはズレているところがあるので、それをNakamura Tetsukiさんへのコメント欄ではなくてここの回答欄に書かせてもらいます。
私の理解では、今回のノーベル物理学賞が「気象モデル」に与えられてしまったことで、ノーベル物理学賞が科学賞ではなくてノーベル技術賞に変遷してしまったことを憂いていると言うのがJastacさんの今回の講義の趣旨だったと理解したのです。
この勉強会の基本的趣旨は科学と技術を一緒にしないでほしいというものですから、Jastacさんにとっても深刻な問題だったのでしょう。私自身、昨今のノーベル物理学賞が科学への寄与ではなくて技術への寄与にしばしば与えられる様になってきて、物理学って技術ではなくて科学じゃなかったのかよって、憂いていたのでした。
そして、この今回の勉強会の話題は、前世紀から今世紀へと移るときに仕切りに話題になった「科学の終焉」という問題と直接絡んだ問題でしたので、技術者でなくて科学者の私にも大変興味ある話題でした。
今回は「技術はどう発展したか」が主題でしたが、次回はどうやら「科学はどう発展したか」が主題になる様です。ですから、今回の問題や、果たして科学は終焉したのかという問題につながるとても面白い勉強会になると、私は今から楽しみにしています。
私自身は、「科学の終焉」とは旧来の既存の思考法に基づいた物理学が終焉に向かっているという特別な意味を指すのなら、その表現に賛成です。しかし人類の発展を振り返るとその思考法が終焉に向かっている時期には、その延長上にはない全く新しい思考法が創出されてきたのでした。そして今まで想像だにできなかった世界が目の前に現れてきた。いわゆるパラダイムシフトです。そして、物理学でも複雑系の物理学の中にそのパラダイムシフトが音を立てて起こっているというのが現時点での物理学の状況なのだと思っております。ですから、そういう意味で、今後いつの時代になっても科学の終焉はないと思っております。
その点に関しては現在の科学分野で以前とは何か違っていることが起こっているであろうと直感なさっておられ様に見えるNakamura Tetsukiさんの思いと多分重なってるのではないかなと私には思えるのです。
生産的な発言に基づく喧々諤々な議論は学問にとって好ましいことです。次回のこの勉強会でそんな荒れた会になると益々この勉強会が光ってくるように思えます。
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Nakamura Tetsukiさんのコメント
Tomio先生に書いていただいて、私がJastac先生の話を誤解して受け止めていたことに気づき至りました。ご指摘ありがとうございます。気候モデルは技術だと言われていた訳ですね。つまり今年はノーベル技術賞が2つ出ていて、科学賞が該当なしだったかのごとくだと。しかもその片方の技術賞が政治的な意味合いを帯びていて、むしろノーベル財団がどこかのビジネス的な意図を忖度した可能性がある、と。そうだと思えば由々しき話です。
ところが、私には気候モデルが技術の話だということが少し釈然としません。Jastac先生の第一回の講義の際に、技術とはクライアントのためのものだと定義づけておられた訳ですが、気候モデルは(特に最初期の受賞対象になったようなものは)クライアントがおらずに、ある種純粋な真理の探求であったように思うのです。確かに、その後このことに目をつけた邪な人たちが色々集まってきているのは私も知るところですが、これは相対性理論を原爆に応用しようした人たちが集まってきていたのと似ている気がします。相対性理論も気候モデルも最初は純粋な科学的な研究であったと思うのです。そうであるが故に、私は自分の回答で「ノーベル科学賞が気候モデルに対して贈られたことは喜ばしい」と書きました。
気候モデルが科学なのか技術なのかということについてJastac先生がどう言及しておられたのか、少し失念してしまっております。もし私がまた大事な話を聞き逃していたのなら、ご指摘いただけるとありがたいです。
一方でTomio先生にも、科学におけるパラダイムシフトが起こりつつあることについて賛同の意見をいただけたことは何より心強いです。
また次回以降、いい意味で場を荒らすことができればと思います。
Petrosky Tomio先生のコメント
そもそも日本で「科学技術」とこの二つをくっ付けて理解していることを見ても、科学と技術の違いって何なのかが一筋縄ではいかない問題であることを示していると思えます。
そして、科学者として生きてきた私も科学と技術は違うことに気づくのに随分と時間がかかってきました。
ご自身でも紹介してくださったように、Jastacさんは先ず工学博士の学位を取り、その中で自分の思っていた理学的な世界観とのずれを感じて、改めて理学博士を取られた。そして理学的な研究をなさっているうちに、我が意を得たりと、益々、科学と技術の違いを意識するようになったとのこと。
そして科学と技術の違いに関して、私より遥かに歴史や文献を調べ、日本の科学と技術観、ヨーロッパの科学と技術観、米国の科学と技術観の違いを克明に分析され、それを逐次発表されてこられた。
私もQuoraに投稿されたJastacさんの分析を読んで、科学畑一辺倒でやってきて段々と築き上げられてきた私自身の科学と技術観との重なりの多くに感銘し、Jastacさんの分析の深さから数多くのことを学びました。
Nakamura Tatsuki さんも仰っておられるように、果たして「気候モデル」は技術なのか科学なのかと迷うことはあり得ると思います。なぜならこの問題をどの切り口から眺めるかで、どちらとも取れるかもしれないからです。
私の切り口は、この問題は、一つの世界観である物理学としてこの世界の成り立ちの根源はなんなのかという問いに関する問題ではなくて、既に確立したニュートン力学を如何に巧妙に使って、我々の生活に直結した好ましい情報を得ることができるかという、技術者ないし工学者特有な思考がその裏にある様に思えるのです。別な言い方をすると、この問題は古典力学とは何かという物理学の基本的な問題を考えているのではなくて、既存の確立した法則の巧妙な技術的応用に関する問題だと思えるのです。
これは今回の勉強会でも私が少し触れた惑星系の運動を論じる天体力学者たちの発想と似たところがあります。すなわち、天体力学者もニュートンの法則の是非を問いかけているのではなくて、この法則を金科玉条のものであるとの前提に立ち、それを如何に巧妙に使ってみせるかの技術的な話がほとんどになっております。
Jastacさんはモデルである限り、それはモデルに依存した情報しか出てこないと言っておられました。そして、そのモデルに関して正確で巧妙なことが言える様になっても、それでこの宇宙のあり方を理解できたことにはならないと言っていたように記憶しております。そして、物理学とは、この宇宙のあり方を問う学問だったはずです。
原爆の問題はそれとは同類であると思えます。すなわち、量子力学と相対性理論によって見えてきたこの宇宙のあり方の巧妙な技術的な応用が成し遂げたものです。そしてノーベル物理学賞は原爆の応用の寄与に対して与えられたものではないのです。その応用を可能にした、この宇宙に関する物理学の基本法則の解明に対して与えられてきたのが今までのノーベル物理学賞の主流だったのです。
Nakamura Tetsukiさんのコメント
Jastac先生のおられないところで、Tomio先生とこんなに楽しく意見交換していていいのかと少し咎める気持ちになりつつ、止めどもなくなっております。
Jastac先生の定義に則りつつ、私なりの勝手定義を使わせていただくとすると、科学は技術の根拠です。科学とは因果的結果をもたらす普遍的法則性のことですが、技術としてクライアントがとある結果を求める場合にその普遍的法則性を利用するのです。人類にとって重要なのは技術です。技術こそが人類に恩恵をもたらします。しかしその技術は科学の上にしか成り立ちません。
科学: 前提や環境 + 作用 → 因果的結果
技術: 因果的結果 ← 前提や環境 + 作用
この定義だと、技術がエセ普遍的法則性に基づいていると求める結果が得られないことになり、困ります。なので技術者は科学者に正しい法則性を析出させることを(暗黙裡に)求めますし、待っていられない場合は技術者が科学(理学)の領域に出ていって自ら正しい法則性を探ります。
気候モデルを私は科学だと捉えるのですが、理由は上記の図式を私が大前提としているからです。つまり技術的に地球温暖化を食い止めたり冷涼化させたりすること(のみ)が人類に恩恵をもたらすことな訳ですが、どのような方法が理に適っているかを検討する根拠として科学が必要です。実は最新の気候モデルは地球温暖化防止の手段として二酸化炭素の排出削減の有効性を示唆していません。私はこのテーマについて小林さんのお考えに全面的に賛同するのですが、小林さんは技術として「ジオエンジニアリング」を支持されています。(私は小笠原西ノ島がカルデラ噴火を起こすことが結果論的ジオエンジニアリングになるのではないかと期待しています。)
結局、地球は温暖化しているのでしょうか、それとも氷河期に向かっているのでしょうか?に対する小林 雅史 (Masafumi Kobayashi)さんの回答
ではなぜ小林さんや私がジオエンジニアリングを支持しているかと言えば、最新の気候モデルに基づく予測解析が二酸化炭素の排出を止めたとしても温暖化を押し止めるのは難しいと示唆するからです。まさに改良されたモデルに基づく予測が技術の根拠となっています。これは図式上はまごうことなき科学だと言えます。ニュートン力学の応用になっているかどうかは関係がありません。とにかく技術にとって根拠となりうるものが科学です。
小林さんも言われるように、自らにとって好都合な結果を我田引水的に導くシミュレーションは科学ではありません。ただそれは、科学ではないというよりももっと邪な詐欺であり、言語道断です。ただ、だからと言ってモデルやそれに基づくシミュレーションを非科学と言って切り捨てるのは穏当ではありません。元来モデルとは、モデル仮説を改訂しつつ立て続けて、それに基づくシミュレーションを不断に行い、出てくる結果の尤度を評価して、現実を記述しうる最尤モデルを探し出すような使い方をすべきものです。不断の改良があれば、最も尤度の高いモデルを見つけ出すことができるはずで、最も尤度の高いモデルがあればそれを根拠として技術的設計と実践が可能となります。
私が思うに、地球温暖化対策の現場は今後技術者が中心的役割を果たしていくべきだと感じます。つまり実践的な地球冷涼化を実行可能な手段を講じて実現させるということです。IPCCはおそらく科学者の集まりでしょうから、技術的発想や行動は難しいでしょう。しかしIPCCが技術者に対して信用に足る科学的知見を供給する役割分担を果たすなら、技術によって温暖化回避が実現できる可能性は高まると思います。
ノーベル財団は最新の気候モデルに対してでなく、最初期の気候モデルを打ち立てた研究者に科学賞を贈りました。このことは暗に、モデルの尤度を高める活動は不断にせねばならないということをも同時に示しているとも言えます。このように考えれば、今年のノーベル科学賞はパラダイムをシフトさせるということに関してとても有効に作用するのではないかと私は思います。
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回答は以上です。勉強会の開催予定はコチラ↓です。