#20 合格率をどうとらえるか ~昇段審査の都市伝説
今回は合格率についての話から進めてみます。
都市伝説云々より、今回は「考え方」について触れています。
■上昇し続ける合格率をどう思うか
◾️良いこと?悪いこと?
六段、七段の合格率が上昇傾向にあります。
常に追いかけているわけではないので正確にはわかりませんが、最近は六段、七段とも30%に届きそうな数値です。
ちなみに、これを書いている直近にあたる2023年4月29日(祝)の六段審査の合格率は28.0%、翌日30日(日)の七段審査は28.8%。
七段のほうがわずかに高いですね。
はっきり思い出せないのですが、7年前の七段審査が13%、そこからさらに6年前の六段審査も13%くらいだったと記憶しています。
(これは私自身が受審したときの合格率です。)
その直後くらいからの合格率は、上下はありつつも平均的に見ると20%に近づき、超え…そして30%に近づこうとしています。
ちなみに、15年ほど前の七段審査の合格率はたったの6%!ということがありました。なんて恐ろしい世界なんだろうと思ったものです。
合格率の上昇が良いことなのか、悪いことなのか、私にはわかりません。
ただ、ごくごく個人的な見解としては…どちらでもいいと思っています。
もちろん頑張っている人が合格すればそれは嬉しいことです。
ただし、隣の人の段位が変わっても自分の稽古には大きく影響しないからです(よし、自分も頑張ろう!と思う機会にはなりますが)。
◾️パーセンテージでマウントを取る話
それこそ10%に届かない合格率だったころの審査というのは、それこそ厳しかったのかもしれませんが…過去にこんな人に会ったことがあります。
「自分のころの七段審査は厳しかった。今はかなり合格率が上がり、審査がラクになっているからレベルが違う」
要するに、自分のほうが上だと言いたかったようです。
ことあるたびにそんな話をするので、ちょっとウンザリした覚えがあります。
いったい段位ってなんなのでしょう。
◾️合格は熟した実の如く
かつて昇段審査とは、自分の御師匠から力量を認められ「そろそろ受けてみてはどうか」と言われて受けるものだったと言われています。
また、「熟した柿の実がポトリと落ちてくるようなもの」「取りに行くのではなく、授かるものだ」というように捉えられていました。
それが今は、年限が明ければ誰もが受審しにいくようになってきています。
もちろん「何が何でも合格しに行く!」という強い気持ちを持つことは大切なことですが、この変化と昇段審査の都市伝説には、実は密接な関係があるものと考えています。
■授かるものは自然に。取りに行くものはテクニックで。
昇段審査の都市伝説のひとつの側面は「合格のためのテクニックの模索」です。
受審者の剣道の底上げが目的だったはずの先生方の教えが、その一文一文だけが形骸化し、伝言ゲーム的な変化を見せ、都市伝説化したものだと私は考えています。
振り返ってみれば、私が四段審査を受けた25年以上前には既にその傾向は出てきていました。
未だに根強く残っている上にそれをひっくり返そうとする人のほうがはるかに少ない状況です。
情報化は進む一方ですので、このままではこの先もっと極論の方向に進んでいくかもしれません。
これが昔のように段位が「先生に見極められ、授かるもの」だったとしたらどうでしょうか。
日ごろの稽古の様子を先生がしっかりと見てくださった上で受審を勧められる。さらに、先生自身も自分の判断に責任を持たれていたことでしょう。
(※今の先生が無責任、という意味ではありません)
そこに合格のためのテクニックというものが入り込む余地はほとんどないものと思われます。
これまでに私は「初太刀を外しても合格できるから大丈夫」「相手に打たれても合格できる」というような、捉えようによっては初太刀などを軽視しかねない表現をしてきました。
しかし、その都度注釈を加えているように、そういったことは日ごろの稽古で積み重ね、自分の剣道に定着させておくべきであり、実際の審査でそれがうまくいかなくても定着したものは審査員がしっかりと見極めてくれますよという意味で述べてきたものです。
初太刀を大切にすることも、相手に簡単に打たせないような剣道をすることも、自分の剣道の底上げには不可欠なわけです。そのことは審査員の先生方はわかってくださいます。
つまり審査員の視点というのは、実は25年、30年も昔から大きく変わっていないのかもしれません。
◾️そして都市伝説へ…
第三者に認められ、自然と落ちてくる木の実のようなものに効率性が立ち入る要素はなさそうですが、自分で取りに行くものだったらどうでしょうか。
効率性やテクニックを模索しにいくのは自然なことなのかもしれません。
ただ、中にはその模索がかえってマイナスに転じるケースもあります。
それが昇段審査の都市伝説を生み出しています。
■合格率は毎回50%!?
さて、合格率の話に戻します。
なんらかの事情で受審を見送った審査会の高い合格率を見て「受ければよかった!」と思ってしまう人もいるでしょう。
逆に「今回は合格率が低かったから仕方ない」と思うこともあるかもしれません。ちなみに私はどちらも思ったことがあります。
また、こんな話もあります。
●合格するのはだいたい4人のグループのうち1人くらいだから、その1人にならなくてはいけない
●(たとえば)合格率10%だとしたら10人に1人に入らなくてはいけない
しかし、その合否の相関関係はあまり当てにならないことは多くの人たちが知っているとおりです。
なぜなら、年代によっては4人中3人合格するケースもあれば、前後10人見回しても誰も受かっていないというケースもあるからです。
それでもやはり人は合格率が気になるものです。
でも私は、あるときから合格率は常に50%だと考えるようになりました。
審査には自分自身が受かるか落ちるかの2択しかありませんし、周りのことは関係ないからです。
「そうは言っても、自分の会場の自分の年代は、レベルが高くてそのなかの上位に入るのは無理だった。運が悪い」
そういう考え方もできてしまうかもしれません。
実際、そのような声は何度も聞いたことがあります。
そんなことはあまり気にせず、例えば「4人に1人しか受からない!」と決めつけるのではなく「自分のグループだけ4人に2人受からせてしまえばいいんだ!」と考えればよいのです。
グループ間での比率というのはまず当てにならないのですから、十分に理屈として通ると思います。
■結局合格に何が必要か?
合格率というのは、結局のところ自分自身の合否においてはたいして参考になりません。
6%でも30%でも、受かる人は受かるし、届かない人は届かない。
それだけのことです。
たとえば合格率が20%の審査では、80%の人が不合格になっています。
100人のうち80人が不合格。そう考えると、どんなに合格率が上がったとはいえ、厳しいことには変わりませんね。
ではそこで合格に必要なことはなんでしょうか。
私はとにかく、「目立つこと」が第一だと思います。
立ち合いを終えて仲間から自分自身の感触はどうだった?と聞かれたときに
「とりあえず無難にまとめたと思う」ではダメ!です。
無難にまとめたと思っている人が8割不合格になっているからです。
では、目立つために何が必要なのか?
そのことに触れていくとやっぱり長くなるので、とりあえず今日はこの辺で…
いや、もうちょっと書いときます(笑)
私はネット上で技術面での具体的な示唆というものをするつもりはありません。
経験から得た考え方や提案は続けていくと思いますが、(公の場で)技術指導、テクニック指南ができるほどの力や資格というものが、自分には備わっていないと思っているからです。
今後もそういうスタンスで書いていく予定です。
では今度こそ、この辺で。