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#51 受動から能動へ〜私の四段審査

初段から七段までに計22回受審した昇段審査において、特に大きな印象を残しているのが、4回受審した四段審査と11回挑戦した六段審査です。
中級として都道府県で開催される四段、上級として全国審査となる六段。どちらも私にとっては次の段階への入口となる審査でした。

■能動的な剣道へ

高校3年間での剣道は、とても有意義なものでしたが、部活動という学校生活の一部である以上、いつも自分の意志で剣道をしているとは言えない、受動的な一面は多分にあります。
ちなみに、小・中・高・大学と卒業の節目のたびに剣道から離れていく人が多いのは、受動という拘束から放たれるからだと思われます。

私は大学では剣道部に入らず、町道場で稽古を続けました。当時はほかにやりたいこともあったので
「剣道は高校までに身に着けたものをキープできればよし」
という程度にしか考えていませんでした。
さらに大学生活が始まると、さほど剣道をする気力もなく、入門した道場から足が遠のき「お元気でしょうか」とハガキが届き冷や汗を流した記憶もあります。
少し真面目に剣道を始めるようになったのは、その後しばらく経ってからのことです。

「部活動」という強制的に継続している状態がなくなり、やらなくても周りから何も言われない環境で再開した剣道は、自分の意志のみで続けるということの再確認でもありました。
「ほかの部員も受けるから」「時期が来たから」と受けていた昇段審査も、これからは自分の意志で受けるかどうかを判断することとなります。
そして自分の意志で挑戦した初めての審査が四段審査だったのです。

■取りに行った段位

誤解を恐れずに言えば、三段までは基本がしっかりしていれば合格できます。30年前と現在、三段の合格率は大きく変化してきていますが、私の高校時代、その地方の三段審査は、しっかりと構え正しく打突ができていなければ関東大会以上の大会に出場しているレベルの高校剣道部員でも不合格になるというものでした。
余談ですが初段のハードルも高く、中学1年の初挑戦時、小学時代にチームで県大会ベスト4くらいまで勝ち上がった経験のある選手でも当たり前に不合格になるというもので、例外なく私も一度不合格になりました。上京後あるところで「初段に落ちたことがある」と話したらかなり驚かれ、言ってしまえば笑われた経験があるほどです。
(注:当時の初段受審可能年齢は中学1年でした)

話を元に戻しましょう。三段までは、さほど苦労なく合格したとしても四段はそうはいきません。合格の要素に自己表現ともいえる「攻め」「技前」「理合」が加わるからです。自分の意志ではないものに動かされながら、決まったことを正しくなぞるだけでは合格には至らなくなってくるのが四段審査だといえます。

■初の四段審査

「四段は難しいよ」とはいろいろな人から言われていました。
18歳で高校を卒業し、20歳で四段に挑戦する資格を得るまでの間、幸いにも入門していた町道場が基本を大切にする指導をしている環境にありました。そのため、同世代の大学の剣道部員に試合は勝てなかったとしても「それなりに基本を大切に剣道をしてきたし、昇段審査なら太刀打ちできるかもしれない」という楽観的な気持ちも幾分かありました。
自分の所属が…ということなどはあまり考えるにも至らず、初めての四段審査は東京ではなく、出身の県で受審しました。
初の四段挑戦。私の出番は、3組目の4人グループでした。
周りは当然体育会バリバリの勢いのある受審者ばかり。打突力は凄まじくかつ正確で「打ち損じたらそこで終了」なのではないかというような厳しい立ち合いが続いていきました。
明らかな実力の差を見せつけられながら、迫ってくる自分の出番を前に「同等な受審者として審査されるにはどうしたらいいんだろう??」とうろたえました。

■「ならう」だけでは合格できない

私は「とりあえず無駄に打たない」ことにし、カッコつけて、虚勢を張ることを決め込みました。しかしそんな簡単に事が運ぶわけがなく、なんら手応えなんてものもよくわからないまま、終了。もちろん不合格でしたが、合格者との差がありすぎてあまり悔しくもありませんでした。

不合格になり、審査というものに初めて壁を感じた私は、改めて四段合格のために必要な実力を着けることを目標に稽古を続けることにしました。
そこではじめて「剣先での相手とのやり取り(技前)~攻め崩し、技を出す」ということを学ぶことになりました。道場にロクに通っていなかったのですから、はじめてなのは当たり前です。
高校時代にも「攻め」というキーワード、必要性は耳にしていたはずなのですが、あまり深みを感じておらず、私が理解している「攻め」とは相手との距離を詰めたり、前に積極的に出ていくことくらいでしかありませんでした。

「攻めとは何か?」
言葉にするのは簡単かもしれませんが(いや難しいんですけど)、体現するとなるとなかなか大変です。どの段階になっても攻めるということは大きな課題であり続けます。
私にとって四段審査は、昇段審査というよりは「攻める」「技前を考える」ことをこの先理解しようという意欲があるのかを問われる機会だったと言えます。

■30年前にも都市伝説

初めての四段審査ののち、3か月後に東京、その2か月後に出身県で受審しました。あちこちで受審して落ち着きのない奴だなあと今なら思いますが「とにかく一日でも早く、審査に挑戦したい」という気持ちだったのでしょう。この短い期間においても、いろんな人から助言をもらいました。
「自分は返し胴1本打っただけで合格した」とか。逆に
「胴は評価されないから打つな」とか。
「大学の剣道部員ではない受審者はその時点で(内容を観ずとも)不合格になる」と言われたとき、若い私はかなり動揺しました。
四段では「初太刀を外したら不合格」みたいな厳しい話はあまり聞きませんでしたが、それでも「相手に打たれるようでは受からない」と言う話は結構聞かされました。30年前のことですが、今と大して変わりないですね。

不合格が続き、4回目となる東京審査を迎える頃になると、道場で丁寧に指導をいただけたこともあり、自分でも「何とかなりそうな気がしてきた。あとは相手次第」という感触を得ていました。
相手次第だろうという他責はよくないと、今の私が別の投稿にそう書いていますが、何しろ他責以前に実力のなさを痛感するところからスタートしているので、それに比べればちょっとは進歩していたのかもしれません…

東京の審査では、貼り出された受審者一覧には所属と名前が掲出されます。若手のグループは○○大、▲▲大…と続く中、おおよそ最年少から40人くらいまでの受審者の名前は、自分だけが所属地区名が付いていました。
肝心の相手は二人とも強豪大学の部員。何てツイてないのだろう。今回も無理そうだな…若干落ち込み気味に会場をウロウロしていると、やっぱりいろんな声が聞こえてきました。
「表から竹刀を抑えに行けば相手が抑え返してくるからそこを裏から回って打ち込めば合格する」
「渡りのコテメンを打つと不合格になる」
「引き技を打ったらバツがつくから絶対打つな」
「相手に有効打突を決められたら不合格」
「返し胴は入れたほうがいい」
当時の私は、「都市伝説」なんて考え方すらなかったので、そんなことが聞こえれば不安が増えるばかりでした。
結果的にこの4回目で合格できたのですが、なかなか興味深い立ち合いの中身は次稿に譲ります…長すぎるので。

◾️今回の後書き

私の場合、高校卒業=部活動の卒業であり、自分の意思で剣道を続けることを決めた再出発点にまず立ちはだかったのが四段審査でした。
四段審査は「受動から能動」への進化への第一歩だと今でも思っています。
私のような年回りではないタイミングで四段を受ける機会を得られた方も、同じような壁にぶつかった経験のある方は案外少なくないのではないかと思います。つまり四段以降にまた剣道の奥深さが見えますし、その先年代、キャリア、段位が進んでいくとまた違う奥深さが見えてくるのが、剣道が生涯修行である所以ではないでしょうか。
私自身がそうだったのですが、高校まである程度真剣に剣道に打ち込み、いったん解放されると剣道が全てわかったような気になってしまうのです。
今の時代は四段を受けようとする前の時点で習得したことをSNSなどで発信できてしまいますが、実際にはその先に更なる難しさがあるのです。
そのため、ある程度の年齢になっている方は情報の選択には気をつける必要があると感じているのですが…
そのことはまたの機会にして、今日はこの辺で。

30年前、四段審査で身に着けた胴。今も愛用している高城永眞号の呂色塗


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