#14 任運自在 ~剣友という師との出会い~
2023年4月2日、私が人生の師と仰ぐ剣士が現世から旅立ちました。
私は先生のことを「歩くパワースポット」だと感じていました。行き詰まり、落ちこむと連絡して会いにいき、エネルギーをいただいていました。
稽古もたくさんつけていただき、端くれの私のことをいつも「剣友(けんゆう)と呼んでくださっていました。
いろいろな思い出があるなかで、先生との最初の出会いのインパクトは格別でした。
■八段に合格された先生だ。
2009年の秋の審査のあと、とある先生の八段審査合格体験記が専門誌に掲載されました。その内容が興味深く、ぜひ稽古をお願いしたいと案じていました。
その先生のことは存じ上げていたものの、なかなか稽古をお願いするタイミングがありませんでした。それもそのはずで、先生は元には立たずに懸かる稽古をされていたからでした。
2010年4月24日。
先生が久方ぶりに道場に稽古にお見えになりました。
これはお願いしなくてはと意を決し、礼式のあと急いで面を着け、真っ先に稽古をお願いしに行きました。
力みの全く感じられない、素晴らしい剣道でした。
ついつい対峙しながら先生の構えに見とれてしまいます。
いつまでも、いつまでも構えあっていたい。
「一緒に良い空間を作り上げましょう」
そういわれている気がしました。
稽古をしていて、こんなに澄んだ気持ちになったのは初めてかもしれない、と感じていました。
ついつい先生の構えに見入ってしまうのですが、それでも極力まっすぐに、自分から攻め込み、仕掛けていくように心がけました。
■初対面10分足らずで連絡先を教えてくれる
終礼のあと、先生にあいさつに行きました。
「あなたの剣道はいいですよ。まっすぐでこちらも素直な気持ちになる。
今度○○の稽古にもいらっしゃい」
それが初めての会話でした。
初めての交剣直後にも関わらず、ここまで力を与えてくれるとは、なんてありがたいんだろう。これもまた剣道の素晴らしさだよなと、少し舞い上がるような気持ちで一礼し、立ち上がりました。
私の後ろには、先生からの言葉を頂戴すべくズラッと剣士が並んでいました。
そのまま道場の掃除をしてから人の波に飲まれたように私は道場を出て、身支度をして玄関の靴に手を伸ばしてから顔を見上げると、そこに先生がいました。
道場の玄関から最寄り駅、4つ先の駅まで先生とご一緒しました。
「今度ぜひ○○の道場にいらっしゃい」
―本当にいいんですか?
「どうぞどうぞ」
なんとその場で電話番号まで教えてくださいました。
稽古が5分。その後の挨拶に2分。
つまり初対面で10分足らずというところで連絡先まで教えてくれたのです。
これはなんとしても行かないと…
―先生の八段審査合格の談を拝読しました。
私は六段審査に挑戦しているのですが、もう何度不合格になっているかわかりません。
「六段ですか。何の問題もないでしょう。あなたほど強い受審者はいませんよ」
―そんな。とんでもないです。
「…そう思い込んで稽古するのです」
―なるほど…先生はイメージを描くことを大切にされていたそうですね。
「そうです。まず、朝は4時に起きて坐ります。それから『○月○日の審査で八段に合格しました』と口に出しました。
『します』ではなく『しました』です。過去形です。
そして完璧な立ち合いと、合格後の自分もイメージしました。
私は普段から呼吸とイメージを大切にしています。
立ち合いを頭の中で意識することをよく行うことは普段の稽古と同じくらい効果がありますよ。
稽古に臨むときは、面を着けながら般若心経を唱えています。
列に並んで待つときも唱えます。
そうすることで段々と肚(はら)ができてきます。
周りから見ると馬鹿げているようなことでも、自分が良さそうだと感じたら必死になってやってみることですよ。
普段の生活も稽古です。
歩いているときから意識することです。
生活がおざなりなら剣道もそうなってしまいます。
必死にやっていれば神様が必ず力を与えてくださいます。
考えて出す技はまず決まりません。攻め込んだらあとは自然と動く自分に任せるんです」
専門誌で読んだときに「すごい徹底ぶりだなあ」と思いましたが、本人から直接聞かせていただくと伝わり方がまるで違います。
よいイメージを持ち続けること。
来るなら来い!という覚悟を持って臨むこと。
この日をきっかけに先生との交流が始まりました。
■一緒に合格して帰りましょう、と口に出す
ところでこの時点で私は六段審査に10回不合格となり、次の11回目がおよそ3週間後に迫っていました。
何度も不合格になりながらも直前の1、2回は自分でも手ごたえを感じつつあった頃でした。
11回目の審査の直前、私は先生に言われたことを実践することにしました。
「立礼 蹲踞 立ち上がり 発声にいたるまでの呼吸に最も集中し、その後持続した。
誰よりも大声を出し、あとは自然に任せた。
形も問題なく普段通りに立ち合えたのが良かった」
当時書いていた稽古日誌に審査の前日にそう書き残してから、当日を迎えました。
「大くん、今度審査だね」と色々な方に言われると、いつもなら「いやあ…」とごまかすのですが、今回は「はい」と毅然として答えるか、場合によっては「合格してきます」「合格しにいきましょう」と言葉に出しました。
会場に着き、知人から「今回は合格できるよね」と言われれば、いつもなら
「とんでもない。私はまだまだ力不足ですよ」
とか
「ムリムリ。君は合格できるよ」
なんて控えめに答えていたのですが、その日の朝は、まず家族に
「今回は合格して帰ってくるから」
と伝えて家を出ました。
会場で仲間に会うと
「一緒に合格して帰りましょう!」
と返しました。
私の出番は第一会場、午前中の大トリでした。
自分の出番の直前、全国規模のある大会で優勝した選手の立ち合いが今一つでした。
決して感心することではありませんが、舞台も整って自分が「目立てるチャンス」とまで思えました。それまでの自分だったらその時点で「あんなにすごい選手が苦戦するのに自分が上手く行くとは思えない」と落ち込んだことでしょう。
ほかの会場の審査は終わり、静まり返った広い体育館の中で第1会場、私のグループ「136」の立ち合いだけが行われました。
今回はこうしようと決めていたのは「立ち上がって発声したらあとは自然に任せる」ことでした。
「必死にやっていれば神様が必ず力を与えてくださいます。
考えて出す技はまず決まりません。攻め込んだらあとは自然と動く自分に任せるんです」
その先生の言葉を信じることにしたのです。
自分の立ち合いの内容は覚えていません。
あとで映像を見てから「ああ、そういえばばこんなだったな」と思い出すような程度でした。
結果、その審査でようやく目標の段位を授かることができました。
■任運自在
真っ先に伝えなくてはいけない人がたくさんいるのはわかっていましたが、一番最初に報告をしたのは、このときはまだ出会ってからは交流の日が浅い先生でした。
先生はとても喜んでくださいました。
「あなたはもっと自分の剣道に自信を持っていいですよ。
私はあなたの剣道は素晴らしいと思っています。
自分のすべきことをして、あとは流れに身を任せていれば、あなたなら大丈夫ですよ。
これからもどんどん交剣しましょう」
自分の剣道を信じること。
前向きでいること。
最高の自分をイメージすること。
「任運自在」という言葉を後日頂戴しました。
その時私は先生の家に招かれ、お手製の鍋料理を御馳走になっていました。
「あなたは私の弟子でもないしもちろん部下などでもありませんからね。
剣友として、何か気になることがあったらどんどん指摘してください。剣友とは、お互いに高め合えるから楽しいんです」
今週末。たくさんの友が先生のもとに集まることと思います。
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