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#68 部活動がなくなる? ~剣道の良さを見直す~

突然でてきた?部活動がなくなるという考え方

◼️部活動の地域移行

最近、「部活動の地域移行」が話題となっています。公立中学校における部活動は今後廃止となり、それに替わる活動は学校外での地域でのクラブ活動などに委ねられるというものです。その動きについて明確な表明を行った自治体が話題となり、いろいろな衝撃を受けている人も多いと思います。
ただ、実は部活動の地域移行に関する話は、昨日今日急に出てきたものではありません。平成30年頃には国の関係省庁から「部活動は、地域、学校、競技種目等に応じた多様な形で、最適に実施されることを目指し、将来的には部活動を学校単位から地域単位の取組にし、学校以外が担うことも積極的に進めるべき」という方向性が出されています。さらに言えば、筆者が大学で教育関連の授業を受けていた際に「将来的には部活動はなくなっていく」という趣旨に触れたことがありました。これはもう、30年近く前のことです。
そして、令和5年度以降、学校の部活動に地域の指導者が参加する「地域連携」が導入されるようになり(※それ以前からある外部指導者の招聘よりも踏み込んだ形のもの)、段階を経て令和12年度以降には公立中学の部活動が完全になくなり、代替の活動は地域に移行するというスケジュールが出されています。
なお、このスケジュールも年々延伸した「緩やか」なものとなっており、移行が簡単なものではない、という実情の大きさを感じさせるものとなっています。
部活動の地域移行については、文部科学省~文化庁/スポーツ庁のWEBサイトなどを参照すると詳しく、わかりやすい述懐がありますので、気になる方は、この私の拙い説明よりもサイトを参照されることをお勧めします。

◼️地域移行の狙いについて

大きく以下の4点があります。
①教員の働き方改革のため
②地域活性化、世代間交流を促進するため
③中学生の活動選択肢を拡大するため
④質の高い技能指導がなされるようにするため

剣道に関わっている人たちは、これは簡単に納得できるものではないと考える人のほうが多いのではないでしょうか。特に部活動でガンガンに剣道に打ち込み、都道府県、全国での上位を見据えて活動しているような人たち、そして剣道具を販売している業界の皆さん、などなど。

私もnoteでたびたび書いているのですが、「剣道」をはじめるきっかけと継続する手段というものはとても重要であり、それが学校の部活動といえます。学校での活動の一環として、自分が何をしようかなと考えたときに「剣道」という選択肢があることが重要なのはご存じのとおりです。学校というある意味では受動的な場で身を置く場所に剣道があるから「とりあえず剣道を始めてみようかな」という人もいるでしょう。これがなくなってしまうということは、打撃ともいえるかもしれません。学校の授業が終わって、一度帰宅して「じゃあこれから剣道しに行こうかな」と考える人はほんの一握りといえましょう。
「いやいや、私の身の回りでは珍しくないよ」という人もいるかもしれませんが、それはあくまでもその人の身の回りでの出来事だと考えたほうがよさそうです。

部活動には部活動の良さがあるのに…という思いを抱く人は少なくないと思います。剣道の世界はいよいよ危機的状況ではないかと考える人もいるでしょう。私もそう思います。
ちなみに、この部活動地域移行の流れによって危機的状況に陥るのは剣道だけではありません。むしろ総合的な目でとらえると「剣道はまだ恵まれているほうだな」という状況なのです。もっと競技人口が少なく、地域にクラブ(剣道で言えば道場や剣友会など)がないジャンルのものはほぼ危機的状況であり、スポーツはまだしも文化系となるとさらに大変です。文化系で言えば、吹奏楽や合唱などは地域に受け皿があるほうですが、演劇や茶華道…などなど、その他の活動は剣道の世界で抱かれる不安の比ではないような状況が待っているというのが、私個人の感覚です。(ちなみに、私の本職は文化系関連で、部活動地域移行に関する動きにも少々関わりがあります)

部活動による良い部分もたくさんあると思いますが、あまり良いとは言えない部分もまた多くあります。今般の部活動の地域移行に関してはさまざまな意見があると思いますが、私個人は背景を理解しつつ、地域移行後の在り方を考えることが肝要であると思っています。
たとえば「部活動を廃止するのには反対!署名運動をして住民の声を集めよう」。声を上げよう…という動きがあったとしても、それでもこの動きは避けられない状況に世の中が流れているからです。廃止反対という声の一方で、歓迎であり、そのほうがメリットが多いという声もあるのです。

ではどうするのか

さまざまなアイディアを持つ人が世の中にはたくさんいますし、その議論は別の機会に譲りたいと思います。私が述べるのは概念的な話にすぎませんが、「あらためて剣道の本質を考え直す」ことに取り組むことができないだろうかと思案することがあります。

◼️「試合のための剣道」を見直す

小中学生が活動する世界で剣道が盛り上がるのはやはり「試合で勝ちあがること」でしょう。そして今、その勝つための手段がどんどん可視化され、データ化されています。データ化というのは、数値的なものとは限りません。Youtubeなどで見られる一本集のようなものもデータです。
データとは、誰にでも理解できる客観的なものであり、その客観できるものが「試合に勝つためのもの」となっています。人はデータの結論に着目し、結果を急ぎがちになります。その結果、背景にあるものについてはどんどん考えなくなっていきます。データを追いかけて取り入れることが、剣道の向上といえるのかどうかを一考する必要があると思いますが、試合の世界にいる子どもたちやその親御さんがこれに納得できるかどうかは何とも言えない状況です。
ちなみに最近、イチロー氏と松井秀喜氏の交流や対談の様子が話題になりました。両氏は「メジャーリーグもすべてデータ化され、考える野球というものがなくなりつつある」ことについての意見を述べられていました。それと同じことは野球に限らず剣道でも…ほかの世界でも起きていることだと思います。

◼️剣道の奥深さを見直す

剣道の世界にある一つひとつの物事には意味があります。
それは道場という空間に足を踏み入れることから始まります。
道着袴を身に着け、防具(剣道具)を身に着けることにも意味があります。
道具一つひとつにも意味があります。
少し前に話題になった「作法」、これもいうまでもありません。
ここに書いたことを一切顧みなくても実は剣道はできてしまうのですが、それだけでは生涯取り組むものとして継続する動機は、薄れてしまうと言えます。

◼️剣道ならではの可能性を見直す

剣道は、老若男女を問わず打ち込むことができる武道です。
昔から伝わっている基本を正しく身に着けることで、誰もが上達できますし、自らの力をもってさまざまな環境で稽古ができます。
基本を身に着ける必要性については、色々ありますが、私はその必要性を「いつでもどんな場所でも周囲と協調しながら永く剣道ができるようになるため」だと捉えています。
審判の旗をあげるためのインパクトのある動きが基本から逸れてしまうということは、その必要性を逸することになりかねません。
基本こそがムリ、ムダ、ムラがない動きであり負担も少ないはずなのですが、昨今の勝つためにデータ化された動きがそれとイコールにならないということは、いずれ限界が訪れてしまうことになるといえます。

◼️個々の剣道の目標を見直す

剣道をするということは稽古をするということであり、稽古の意味は「古(いにしえ)を稽(かんが)える」ことです。
剣道をすることが、「いにしえをかんがえる」ことでありそれが体系化されていけば、「目標は全国」でもなくなります。
剣道に関する本を読み、道具や作法の意味を知り、基本を大切に稽古を積み重ねることで、体力増強だけではない精神的な深さも学ぶことができるでしょう。学びを深めることに重きを置くものに変わっていけば、剣道を始めようかなという人も増えていくのではないかと思いますが、この軌道修正にはエネルギーが要りそうだなとは思います。

◼️継続することの大切さを知る

継続することで培われるものは人それぞれ感じるものがあるはずです。
私は、継続することで可能性が広がり、さまざまな分野の人たちとの交流が図り、共生ができるようになると考えています。続ける=辛いこと ではない、継続の魅力についても剣道をとおして一考するのもよいのではないかと思います。

今回のあとがき

私も高校までは「部活動」の世界で生きてきました。
大学では剣道部に入っておらず、その後町道場を中心に剣道を続けてきました。部活動で剣道をしていると、その世界こそが中心であり、地域に目がいかなくなりますが、この町道場での剣道を続けていくなかでは「部活動」に委ねなくとも剣道の奥深さなどを知り、技量も向上できるのだということもまた知ることができました。
剣道そのものがそうであるように、幅広い視野と客観的な視点を大切にし、剣道そのものの魅力をわずかでも発信することができたらよいなと思いつつ、今年も書き続けていきたいと思います。
申し遅れましたが、2025年もどうぞよろしくお願いいたします。

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