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#33 生地胴=ジーンズ論  番外

生地胴の歴史について連載している最中にふと思い立ち、漆器職人さんをたずねたときの話です。

◼️拭き漆から拡がる

私は、生地胴の普及に最も大きな影響を与えたのが拭き漆であることは間違いないと考えています。
拭き漆といっても、透度のあるものから黒や茶色など、色の濃いものも存在します。その塗が胴に用いられるようになると「一体どこまでが生地胴なんだ?」という疑問が聞こえるようになりました。

この連載に手を付けた理由の一つは「いま生地胴と呼ばれるものは全てつながっているんですよ」ということを明らかにしてみたいと考えたからでした。
色々書いているうちに改めて剣道具とは切り離すことのできない「漆塗」、特に「拭き漆」についてもっと知りたいと思い、長野県塩尻市の木曽漆器を手掛ける職人さんを訪ねるに至りました。

お話を伺い、あらためて漆塗というものはとにかく手間がかかるのだということがよくわかりました。
また、いくら頑張っても化学塗料や樹脂には出せない艶と深みがあるのだなと感じました。

拭き漆そのものには、剣道具のそれ以上にバリエーションがあります。
日常生活において、拭き漆の存在は当たり前の風景として存在しています。

◼️漆器職人をたずねて

職人さんに話を聴いてみました。
「刷毛などで生漆を塗り、余分な漆を擦り込むようにしながら拭き上げる工程を数回繰り返すのが拭き漆塗です。そのため、素材の風合いは最後まで残ります。
下地を塗り、中塗〜上塗と重ねることで艶が出るように仕上げていく本漆塗とは明確な違いがあります。
色がかかっていてもやはり拭き漆塗ですね」

■拭き漆?拭き漆塗り?

お気づきの方もいると思いますが、この日2か所の職人さんの話を聴きましたが、ご両人とも「拭き漆塗り」と称されていました。
「刷毛で塗って、拭く仕事だからやはり塗りですよ」と。
拭き漆でも、拭き漆塗りでも、そんな細かいことはどちらでもいいじゃないですか…というニュアンスはなく、「これは漆を塗っているものだから」と信念を込めて話されているのが印象的でした。

おそらく違う地方の職人さんの中には「拭き漆なのだから【塗り】と呼ぶのはおかしい。その言い方は間違っている!」という人もいると思います。

しかしそうでない人もいるわけで…これはもう誰かがジャッジするというものではないんだろうな…と考えるに至りました。

◼️探訪レポ

私は、縁あって剣道具の塗りを手掛ける職人さんとも交流がありますが、あえてそういう「色」がなく、ほとんど剣道とは関係のない職人さんの話を聴きに行きました。
単なる剣道具への興味とは全く違う視点で話を聴いた方が、思い込みや先入観を度外視できると思ったからでした。
以下、画像で探訪の様子をお伝えしていきます。

奈良井宿の街並み。
漆器屋さんが並びます。
ちなみに私が足を運んだのはここから少し離れたところにある工房とお店でした。
ここにも漆器屋さん
真ん中の茶色っぽいのが「生漆」 表面が泡立ったようになっていますが、実際は透明です
生漆に色を混ぜることで拭き漆にもバリエーションが生まれます
鉄粉を混ぜると黒の漆になったりします。 皆さんにはお馴染みかと
綺麗ですねえ…
塗り上げた漆器を乾燥させる「室(むろ)」。 天然の漆は、一定の湿度と温度が保たれているところでないと乾燥しません。 不思議ですよね
朱色系の漆のバリエーション。 職人さんの手の近くにあるのが「本朱(ほんしゅ)」と言います。日本人には馴染み深い色です
漆を塗るための刷毛です。
毛の部分は…人毛!
新品の刷毛。 少しずつ木片を切り落としながら使います
拭き漆のいろいろ
これも工法としては「拭き漆」
こちらでは「拭く」「擦る」という物を落としていく表現をきらって「富貴漆塗」と字を当てるそうです。
塗か塗りではないか?は本文へ。

◼️今回のあとがき

生地胴に関するグループの管理人ゆえに「これは生地胴と呼べるものかをジャッジすべし」という声が集まることがたびたびあります。
私はあくまでもユーザーであり作り手ではないので、作り手がこれは生地胴だと言ったものを「安易」には否定したくないと考えています。

剣道具に限ったことではありませんが、文化芸術、工芸などの世界はもちろん正しく認識すべき事象はあるものの、その解釈にはある程度の遊びがあります。
地域性や流派などによる違いは豊かさにも繋がり、また新しいものを生み出していきます。
その背景を知らないままに本来の魅力をかき消してしまうようであれば考えモノですが、大本を理解した上での解釈であればそれを否定することにはあまり意味がないと思っています。

今回訪ねた職人さんは伝統工芸士として歴史的な建造物などにも関わられていて、懐の深い方でした。
たまたまこの方がそうだったのかわかりませんが、仕事に誇りを持ちながらも振れ幅を許容する大きさも感じたものです。

私は別の記事で剣道や剣道具の知識に関して優劣を比較したり、上下を見出すようなことに加わるつもりは一切ないことを謳っています。そう考えるに至ったのは、この探訪での出会いがあったこともひとつの理由となっているのです。

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