理解と憧れ

「憧れは理解から最も遠い感情だよ」

僕は藍染惣右介のこの台詞をよく反芻する。

初めてこの台詞を読んだ時、僕は意味を理解できていなかっただろう。この台詞は経験によってしかわかり得ない。歳を重ねるにつれ、言葉の印象はより鮮明になっていく。

昔は有り余る好奇心だけが推進力だった。「理解」することによって「憧れ」がそうでなくなってしまっても別に気にしなかった。失望もまたエンターテイメントだと持っていた。

あまりこんなことは言いたくないが、今は好奇心だけが自分の活力ではない。いろんな要因が有線イヤホンのように絡み合い、僕を構築している。

知らない方が良いこともある。それは日々を快適に過ごすための処世術と言える。

では、命題の反証。理解した上で憧れは成立するか。

YES。しかし、決して多い数ではない。

どれだけその貴重なものに出会えるか、それをこれから意識していかなければならないことのように思う。


田舎スローライフ



以前より僕は田舎スローライフをテーマに掲げている。アンチインターネットの最終目標だ。

立ち並ぶコンクリート、有象無象の人間、溢れかえる情報。なんだかんだ5年ほど池袋界隈に住んでしまった。圧倒的な疲弊。僕はただミニチュアダックスウンコになりたいだけなのに。

僕の掲げるテーマに対して、藍染惣右介の台詞を引用する人がいる。けれど、残念ながらそれは該当しない。

僕は田舎スローライフを十全に理解し、田舎スローライフもまた僕に盤石な信頼を置いている。相思相愛。そこには塵ひとつ入り込む余地はない。

ワズキャンは言った。「望郷を旅の先に持つ奈落の子供達」と。まさに僕の話だ。



徒歩五分圏内にコンビニと本屋とサイゼリヤがあり、Amazon配達が翌日に届き、家に虫が出現しない、海辺の田舎町に住みたいなぁ

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