リアル・コミュニケーション
仕事を辞め、海外を放浪して、何が変わったか。
ある物事は明瞭化され、ある物事は暗雲に覆われた。全ては鳥海山の天気のように移ろいやすく、結局のところ、何もわかっていないのと同義なのだ。
今後の生き方について考える。
当然、東京に住んでサラリーマンをやる以外にも生き方はある。
例えば、漁師。北海道のカニ漁で荒稼ぎして、港町に大きな庭のついた豪邸を建てる可能性。
選択肢が永遠と伸縮している。
なんにせよ、英語を勉強しなければならない。リアルコミュニケーションの必要性が掲げられている。
随分と長い間、虚無的苦悩を抱え続けていた。
大抵の希望は勉学の先にある。それは箱庭から眺める青空のようなものだ。
前進する意思が僕を英語学校へぶち込んだ。
はっきり言って語学学習なんてちん毛を一本一本ピンセットで抜くようなものなのだ。
流石に多少の向上は見られる。でも、語学学習に終わりなどない。
1ヶ月通って得られたのはその果てしなさだった。この退屈な努力はいつまで続ける必要があるのか。そこに雨を待つ河童がいる。いや、鏡に映る僕だった。
途方もない道程を悟ってもなお進み続けるのは多少の活路が見い出せたからかもしれない。
勉学は恐ろしいほど退屈だが、異文化交流は楽しい。それは今回の英語学校で講師と会話して改めて実感できた。
継続、継続、継続。それだけです。