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大人になる力

北陸新幹線が福井敦賀まで延伸され、めでたく開業しましたね。
能登復興の足掛かりになりますように。

シムの祖父の郷里は福井県でした。
家はとても貧しく、小学校高学年になると学校をやめ働くことにしたそうです。
遠く兵庫県にある服の仕立屋に丁稚奉公。
一人で汽車に乗って兵庫に行き住み込みで働いたと。
洋服の仕立て作業は誰も教えてくれず、兄弟子たちの手つきを見よう見まねで必死に覚えたこと。
福井に帰れるのは1年に一回お正月。1年のお給金をもらって汽車に乗って福井に帰ること。
駅を降りても山の上にある家まではとても遠く陽が暮れてしまうこと。
途中にあるお墓では人魂が浮かんでいるのをよく見て気味が悪かったこと。家の灯りが見えてくると幼い弟たちが「お兄ちゃーん、お兄ちゃーん」と遠くからでも手を振って待っていてくれて涙が出たこと。
お給金を親に渡すと涙を流して喜んでくれること。
そしてお正月が終わると家族と別れて兵庫まで汽車で一人向かうこと。
小学生が。

夏休みの夜、隣り合わせの布団で寝そべりながら、幼い自分にとうとうと話して聞かせてくれました。
「ヒロくん、おじいさんはなあ、ヒロくんみたいに小さいころはなあ」
仏様のような柔らかな静かな口調で聞かせてくれるそのお話はまるで日本昔話。
少し涙ぐむ声だったかもしれません。
苦渋にじむ声だったかもしれません。
いや自信に満ちた自慢げな声だったような。
僕も幼く、その感情と心の内を察することができていませんでした。
ただただ優しい声だったことを覚えています。

学校教育も親による教育も満足に受けることができなかった祖父ですが、生き抜く力、そのたくましさを想います。
祖父に限らず日本が貧しかったころは多くのお家と子どもたちがそうやって生き抜いてきたのでしょう。過酷な時代にあっても。

時代が進みました。
はるかに幸福な時代です。教育や学習、育ちの環境は拡充されました。
でも、どうでしょう?
子どもの心身は?
その育ちは?
「ハングリーに育てることが難しい」という親御さんの声を聞いたことがあります。

充実した教育や子育て、子どもへの想いが、
案外、
意図せず、
気づかぬうちに、
子どもを子どものままに、幼いままに留めさせようとしていないか?
子どもたちには大人の手がたくさん必要だ、と。
特別に、たくさんしてあげなければ、と。
してあげればあげるほど良いのだと。

子どもは、思うよりもっともっと大人なはず。
地力と自力でできること、自ら進む力がもっとあるはずです。
私たちが思う以上にあるはずです。
むしろ、本来内在されているはずの力を減衰させてはいないだろうか?

現状の日本社会にあっては今もう一度そこを見直してみるべきだと思います。
その内に大人になりゆく力がある。
そんな存在として子どもを育てたいものです。

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