互酬性- 日本人は何を大切にしてきたのか
こんにちは。クジラ株式会社 / SEKAI HOTEL株式会社の矢野浩一です。
不動産×デザイン×建築をワンストップで提供するリノベーション会社としてのクジラ、地域にコミュニティをつくるまちごとホテルを運営するSEKAI HOTEL 二社の代表です。
この危機を日本はどう乗り越えるのか?
ついに日本でも緊急事態宣言が発表され、僕の住む大阪もそのひとつに指定された。今では毎日いろんなテレビ番組で吉村知事が感染防止のために呼びかけている。
普段「いつまで自民党にやらせるんだ」とか「維新の会は気に入らない」なんて言ってる全国もしくは大阪のおっちゃん達も今回はぜひ静観してほしいなと思う。
安倍首相も吉村知事も、小池都知事もその他たくさんのトップもみーんな命がけの毎日を過ごし、身を切るような判断・決断を下してるはず。
もはや世界全体での問題へと発展したコロナウイルスだけども、各国の対応もトップのカラーが様々で興味深い。そして乗り越えるには国単位で一枚岩となってやっていくしかない。「日本は他国より衛生の意識が高い」なども言われていたけど、僕はこの不測の事態にもう一度日本独自の強みに立ち返って、日本全体が一丸となって乗り越えることを呼びかけたい。そして1日も早く世界中に日常が戻ることを願っている。
日本が世界に誇るべきは
ユネスコ無形文化遺産である和食や、1000年を超える建造物、アニメ、四季など数えたらキリが無いくらい魅力に溢れる日本。しかし僕は、日本の誇るべき価値である独特な“互酬性”を推したい。
互酬というと広義には物理的なgive & takeを指して取り上げられることが多いが、日本では長い歴史の中で「おかげさま」や「お互い様」のニュアンスとして日常生活に互酬を体現してきている。
ここでは決して定量的な価値観では推し量れないものがある。ご近所さんとのコミュニケーションで「先日あなたに一つ助けてもらったから、今度一つ助けるね」などとは言わない。冗談で「これは貸しイチな!笑」なんて言う場面もあるけど、基本的に“困ったときはお互い様”である。
これくらいの場面であれば別に日本が誇るほどではなく、どこの国でもご近所さんと似たようなことがあるだろうが、日本人はこの互酬性を曖昧さを楽しめる独特の感性で拡張してきた国民だと僕は思う。
東日本大震災の際、多くの日本人が正しく列を作って並んでいる姿に諸外国から称賛の声が集まった。
半分空になった店の前でさえもきちんと並ぶ住民の姿に、英語圏のインターネット・コミュニティは、日本人は「冷静だ」と目を見張り、欧米諸国で同規模の地震が起きた場合にこうできるものだろうかという驚きが書き込まれている。
このような緊急事態に「名前も知らない誰か」との利害関係を考えずに「困ったときはお互い様」と考え、行動できるのは世界的な視点で見ると特異なことではないだろうか。
日本独自の“互酬”
「NOと言えない日本人」と揶揄されていた時期もあるが、日本人の持つ曖昧さを楽しめる独特の感性こそが日本の互酬を生み出している。
give & takeの視点で見ても「困ったときはお互い様」「もちつもたれつ」のような考え方は相手とやりとりする価値についても曖昧、その範囲についても(1対n)ひどく曖昧である。
およそ等価とは思えない価値のやりとりである互酬を大切にしてきた日本には、「三方よし」のような対象が曖昧だけれども社会にとって本質的な言葉もある。
「どこで働くかより誰と働くかが大切」と口にする就職活動中の学生が増えたのも、待遇やネームバリューのような定量的な指標に対する本能的な不安ではないだろうか。
そしてこの曖昧さを支えているのが“想像力”だと思う。俳句なんか見ても5・7・5の文字からなんと深い情景まで想像を必要とするのだろうか。つまり我々日本人は曖昧さを楽しめる想像力を有する人種であるといえる。
こうした日本人の「お互い様」という独自の互酬性が今も受け継がれていると思う。
社会が子ども世代に責任を持つ
今ではあまり聞かなくなった「丁稚奉公(でっちぼうこう)」というものがある。Wikipediaにはこう記してある。
丁稚(でっち)とは、商家に年季奉公する幼少の者を指す言葉。丁稚として働く (奉公する) ことを丁稚奉公といった。
現代でも働きながら技術を学ぶような場面での徒弟制度を指して使う言葉であるが、現代では丁稚奉公=ブラック企業というようなイメージを抱いている方も多いのではないだろうか。
しかし実はこのイメージには少し説明不足で、丁稚(弟子となる幼少者)を預かる商家(師匠)は、衣食住という物理的な代替報酬だけでなく、女将さんが読み・書き・そろばんなどまで教えていくのである。
この寝食を共にするコミュニケーションの中で専門的な技術や知識だけでなく礼儀や倫理観、もしかしたら将来に対する考え方や使命感まで商家が丁稚に伝えている(伝わっている)ということは十分想像できるのではないだろうか。
この商家と丁稚の価値の交換についてはすごく曖昧であり、現代的視点でいう「公私混同」だと思う。
しかし、昔の日本は商家に限らず「近所のおっちゃんに怒られる」「よその子どもを叱る」などが日常だったし、コミュニティの大人(=社会)が子ども達を育ててきたと言えるのではないだろうか。
これも日本独特の互酬性だと僕は思う。
曖昧さこそ感性
クジラやSEKAI HOTELは、今の働き方改革にはほど遠いニュアンスで動いてると思う。
休憩時間も好きなタイミングで取って良いし、社員のプライベートにもガンガン突っ込んでいくし、はっきり言って「公私混同」と呼べるだろう。
怒る時もほぼ明確なルールは無い。「人としてカッコよくない」ときに僕は怒る。
でもとにかく仲が良い。クジラ/SEKAI HOTELの役員・社員・内定者まで入れて約30名。仕事上がりにメシに行ったり、お互いの家に泊まったり、休みの日に集まったり、その辺の大学のサークルより全然仲良いんじゃないかな。
しかし、一見ネットで見かけるようなキラキラベンチャー感満載の会社だけども、日頃教えてることはかなりシビア。
”世の中は理不尽という名の平等である”
つまりは「不公平」をしっかり受け止めるように教えている。そしてこの不公平を乗り越えるのに必須であるスキルを愛嬌・要領・感性というこれまた曖昧な定義の仕方をしている。
僕は定量的に物事を見ると、幸せのアンテナがどんどん低くなるような気がする。定量的な指標は
①誰かの作ったルールの中で測る
②他人と比較して測る
でしか役に立たない。全てを否定するわけではないが、最後、人の幸せは曖昧なもの、定性的な価値観に存在するものだと思っている。
新社会人がすぐ会社を辞めちゃう理由の多くが不公平や理不尽が原因っぽいけど、そういった相談を受けるたびに学生時代は定量的なところでひどく平等だっただけだと教えてあげる。
社会において大切にすべきものはほとんどが曖昧なもので、定性的な価値観を認知するところから始まるものだと思う。
そして自分自身が仕事をがんばる動機は給与などの定量的な物を超えて、やりがいや仲間との感動などすごく曖昧かつ自分にしかわからないものであってほしいし、
1対nの“n"は家族や自分というものより、もっと広くて曖昧な“社会”を対象にしてくれることをゴリ推ししている。
僕自身も不動産業界に身を投じて18年。創業してから13年という中で自分自身の給与のためや、家族とどこに旅行に行こうかなどを追いかけてた頃よりも、収入は減ったけどもnを社会に設定した頃からの方が圧倒的に充実しているし、
スタッフに対しては、自分の失敗談を中心に公私混同の時間を過ごしながら人生において何が大切かを一方的に教えるスタンスではなくて、一緒に試行錯誤することを心掛けている。
SEKAI HOTELが目指すのは共存
緊急事態宣言が出てから、テレビでは「人通りが減った」などと放映しているが、ここ大阪でも道頓堀や梅田は確かに減っている。一方で、帰宅中たまたま通った某中華料理チェーンは店内満席だった。家で退屈な人、売り上げ減少に苦しむ人、医療関係者など心情は様々であるが、今こそ自分だけでなくもっと広い範囲のことまで願って「困ったときはお互い様」と行動してほしいし、自宅待機してほしいと思う。
SEKAI HOTELは実質、営業を自粛している。「今日の予約数は?」と聞いて「1組です」と言われる日が来るなんて思ってもなかったな。
でも話し合う時間だけはいくらでもある中で、役員・社員・新卒社員・内定者で話しているとやはり「なぜSEKAI HOTELを始めたのか」という話に立ち返る。
「地域住民と観光客がめちゃくちゃ仲良くなって、また帰ってきてくれるようなまちごとホテルにしたいよね」
地域×観光客×SEKAI HOTELの三者が対等なコミュニティを作るのがSEKAI HOTELである。“対等なコミュニティ”にこだわるからこそ、Hospitalityという言葉は使わずにFriendshipを大切にしている。
旅先に訪れただけでは味わえない、人同士の関係性こそが生む感動体験を大切にするSEKAI HOTELだからこそ、地域×観光客×SEKAI HOTELの三者は対等であり、みんながコミュニティを形成する一員。
普通のホテルであれば「いかに観光客を喜ばせるか」を考えるが、SEKAI HOTELはこんな危機的状況でさえ「どうしたら地域の人が喜ぶか」「どうしたら三者一体となれるコミュニティを作れるか」を日々考えているわけだから、とても変わったホテルだと思う。
日本人が得意とする互酬を拡張させた体験こそが、バックパッカーが求めるような旅先での人との触れ合いや共感であり、これからの時代はバックパッカーだけが選択肢ではないはず。
コロナウイルス問題に直面する前の、消費/消耗をイメージさせる観光・宿泊ではなく、SEKAI HOTELが実現したいのは共存する観光・宿泊なのだ。
まちのファンが未来をつくる
SEKAI HOTELの大切な仕組みの一つがSocial good 200である。
宿泊料金のうち一泊あたり200円がSEKAI HOTELに積み立てられて、地域社会や子ども達の未来に投資される仕組みでオープン時から続けている。宿泊することが未来をつくるというものだ。
三方よしという日本を代表する互酬のスキームをSEKAI HOTELオリジナルにアレンジしたものと言っていい。
Social good 200のお金は発展途上国の教育支援や、SEKAI HOTELエリアの街の清掃、地域の子ども向けの文化学習イベント“icoima(イコイマ)”などに使ってきた。
特にicoimaというイベントは未来の子ども達に地域を繋ぐ長期的な視点での活動である。地域の子ども達にファンとなってもらえるまちづくりを大人達が真剣に実行していかないと、地方に若者は残らないし、帰ってこない。
地方に行くと、若者が将来を考える(親が薦める)際に
・公務員
・銀行員
・地元有名企業
・稼業の後継ぎ
など選択肢が少ない事情がある。SEKAI HOTELがグローバルの入口になり、一方でデザインや働き方において都市部と変わらないトレンドを取り入れていれば、この選択肢を一つ増やせるのではないだろうか。
つまりカッコいいお兄さん・お姉さんのロールモデルを増やす目的である。
SEKAI HOTELが仕掛ける次なる互酬
そんなSEKAI HOTELは今まで以上に地域を対象として新たな互酬を仕掛けることにした。
この緊急事態にSEKAI HOTELでは地域を守り、いずれ訪れてくれるだろう未来の観光客を繋ぐことにSocial good 200のお金を全て使うことにした。
ORDINARY MARKET
https://ordinary.sekaihotel.jp/
SEKAI HOTELがオススメするディープなまちのORDINARY(日常)体験をECサイトにて販売。今夏より使えるチケットを購入する形で収益は全て地域事業者に還元し、少しでもキャッシュが地域事業者に入る仕組み。決済手数料などの費用は全てSocial good 200が負担する。
僕たちはこれをきっかけに日本人自慢の互酬が大きな和となって広がっていくようにしたい。
自分の生まれ育ったまちを応援してもいいし、旅先として訪れたまちの未来を応援してもいい。まだ訪れていないけど、未来の旅を想像して旅マエに一票投じる感覚も面白い。旅行はきっかけにすぎなくて、自分の帰りたいまちはたくさんあっていいと思う。近い将来訪れる旅先での“素敵な出会い”を一人でも多くの方にご予約頂きたい。
そして様々なファンの熱量が今度は地域住民のシビックプライドにつながっていく。
地下アイドルを応援するファンのように、有名観光スポットではない隠れ家的な自分の居場所を世界中に発掘して応援していくSEKAI HOTELのORDINARY体験。
そしてこの世界的な危機において、社会的意義を最優先に考え抜いた結果このORDINARY MARKETにたどり着いた。
地域の日常を繋いできた先輩達を支え、日本の至る所にある多彩なORDINARY(日常)を未来に繋いでいくためにも、日本人みんなに眠る“誰かのために”という互酬をぜひ発揮してほしいと思う。
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