お土産がもらえないなんて不公平だ。
「世の中不公平ですからね 笑」
ニヤリと笑う女性スタッフは、僕の目の前で誰かが買ってきただろうどら焼きの、最後のひとつを美味しそうに食べ始めた。
またしても僕は、お土産を食べることにたどり着かなかった。
クジラ株式会社を創業して14年目。
弊社には「旅先でのお土産を人数分買ってこなくていい」という不公平なルールがある。
弊社独自の慣習。
「人は多くの場合、等しく横並びに扱ってもらえない。」
という社会における事実を、弊社内では皮肉とユーモアを込めて「世の中不公平ですからね 笑」と表現している。
”未来に繋がるカッコ良いを創る”というミッションを掲げる弊社において、「どんな大人がカッコ悪いのか」をいろいろと議論した結果、
自分が損をしているという主張ばかりする人
=不公平を過度に主張する人
これがカッコ悪いということになった。
なので弊社では、不公平を楽しんでやろうくらいの雰囲気を大切にしている。
だからあえてお土産は人数分買わなくていい。
自分が生み出したチャンスでなく、他人が提供してくれるチャンスはいつだって人数分は無いし、望んだタイミングでも来ない。
椅子取りゲームと一緒で、常に人数分の椅子(チャンス)は用意されていないのだ。
世の中における不公平とは。
日々、不公平をブラックジョークにして向き合っている弊社だが、お土産を逃した悔しさからふと、「実際、世の中で主張される不公平ってどんなものなんだろう」と思った。
ググってみるとこう出る。
”判断や処置が公平でないこと、偏りがあること”
ちなみに公平については、”一定の集団において、偏らないこと”と書いており、その場にいる者全員が納得する形であれば、平等より公平がふさわしいとのこと。
そこからさらに、Twitterでキーワード検索してみた。様々な人の不公平の主張が赤裸々に書かれている。
Gotoトラベルは、利用者にとっても事業者にとっても不公平
年収300万の人も年収1000万の人も同じ待遇では不公平
企業役員の男性比率が高いのは不公平
お兄ちゃんばかり新品のおもちゃを買ってもらえるのは不公平
留学生ばかり迎え入れている強豪校と当たるなんて不公平
…etc
しかし「これって人によるよね?」と思ってしまうものが多い気がする。
いろんな人たちの主張を読んでいくうちに「チャンスが等しく与えられている場合は、不公平とは言えないのでは?」という気持ちになってきた。
大切なのはチャンスへの認知。
弊社がなんとなく「世の中は不公平」だと冗談を交えてやってきたことに、実はとても良いヒントがあった。
弊社で定義したカッコ悪い大人(=自分が損をしているという主張ばかりする人)達は、チャンスというものへの認知が間違っているのかもしれない。
特にチャンスへの距離感だろう。
チャンスは等しく与えられているのに、そのチャンスまでの距離が周囲と違うことを「不公平」と主張することがカッコ悪いのかもしれない。
同じような環境、待遇を用意してもらっても、人によって得意・不得意や有利・不利の「チャンスへの距離の違い」が生まれる。
それは飲み会における個人の性格かもしれないし、会社における先輩・後輩の経験値かもしれない。
飲み会ではお酒が強い人や、初対面の人を笑わせるだけのトーク力やコミュニケーション力を持った人が好かれるだろう。
僕はお酒が全く飲めない体質で、さらに極度の人見知りなので、社会人になってからの飲み会は本当に地獄だった。
一方で、お酒の場で上司に可愛がられた同僚が、仕事場でも上司との距離をぐっと縮めている場面に何度も遭遇している。
常にチャンスへの距離は人によって、そして場面によって違うのだ。
お土産までの距離。
”チャンスまでの距離”の違いを不公平と考えないようにすると、日常がすごくエキサイティングに感じるかもしれない。
チャンスまでの距離は、個性や場面によって各々違うわけだから、当然そこからのアクションも個性に溢れている。
お土産にそんなに興味が無い人はそもそも何もしない。
お腹いっぱいのタイミングで届いたお土産を一つ取って、自分の名前を書く人も出てきた。
僕は出張などで一番事務所不在が多いので、お土産のタイミングをなんとか予測してスケジュールを組まなきゃならない(かもしれない 笑)
みんなが違う位置からスタートし、みんなが違うテンポ、違うスタイルでチャンスを目指していく。
少し視点を変えてみるだけで、案外”違う”ということは楽しいことなのかもしれない。
そもそも子どもの頃から、“常に周囲と等しく横並びに扱ってもらえた人”なんて存在しないのだから、”違う”ということに不公平を感じなくてもいいんじゃないだろうか。
不公平だと嘆かずに、今いる自分の位置からチャンスまでまっしぐらな人の方が圧倒的にカッコ良い。
「世の中不公平ですからね 笑」
これを合言葉に、弊社はこれからも不公平を、違いを楽しんでいこう。
最後に。
それでも絶対見逃してはいけない不公平がある。それは、「チャンスそのものに偏りがある」不公平だ。
チャンスまでの距離すら実感できない不公平は解消していくべきである。
弊社が児童養護施設を対象に活動しているKUJILIKE(クジライク)は、「そもそも未成年には、大人が最低限整えるべき環境がある」という価値観のもと、実施しているCSV活動である。
技術や知識・知見が進歩を遂げるたびに生まれる不公平を、人々は常に解消しながら社会をアップデートしてきた。
世の中の全ての人が”チャンスにまっしぐら”というスタンスを取れるようになるためにも、絶対解消していくべき不公平があると思う。
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