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本当に欲しいもの

懐かしのファミコン


ニンテンドーミュージアムの紹介動画に昔のゲーム機の映像が出ていて、懐かしく思いながら見ていました。

だけど、それと同時に、少しの痛み?寂しさ?のようなものも感じていました。

私は子供の頃、親にゲーム機を買ってもらえなかったから。


私は本当に欲しいものを欲しいと言えない子でした。

親の機嫌が豹変するためにいつも顔色をうかがって生きてきたので、欲しいものを欲しいと言って親が不機嫌になるのが死ぬほど怖かったのです。

そして、家にはお金が無いと勘違いしていたので、値段の高いものはお願いできないと思い込んでいました。

誕生日プレゼントなどをお願いする時は、
「値段が高すぎなくて親が表情を曇らせない、自分が欲しいもの」をお願いしていました。
勉強になりそうなものだと親のポイントが高かったので、そういうものが多かったかもしれません。

そんな私が勇気を出して(?)お願いした、初めて心から欲しいと思ったものが、ファミコンでした。
友達の家で遊ばせてもらってとても面白かったし、友達と共通の話題ができると思ったから。
その頃の私はまわりから浮くのが嫌で、友達が持っている「流行りもの」に触れたいという気持ちもありました。

(そもそも私は人と同じであることが向いていなかったのですが、そのことを知るのは中学生になってからのことで、小学生の頃はまだ普通でありたいと頑張ってました)

代替品としてのパソコン


私の願いは母に全否定され、結局ファミコンは買ってもらえませんでした。

その代わり、ワープロが欲しかった父とファミコンが欲しかった私の両方の願いを叶える形で、パソコンを購入することになりました。
何十年も経った今でも、母はこの選択が良かったのだと満足そうに話します。

ワープロとファミコンを買うよりも値段的には高かっただろうと思いますが、その後父も私もパソコンを使い倒したし、私はシステム系の仕事に就くことにもなったので、じゅうぶん元は取れたし、きっと良かったのだと思います。

でも、心の奥では願いを聞いてもらえなかった自分が少し悲しそうな顔をしています。
「私の欲しかったものは、それじゃない」と。

代替品がどんなに素敵なものであったとしても、心から望んだ欲しいものではないから、やっぱり違うのです。


当時パソコンが家にある友達はほぼいなかったので、パソコンについて友達と会話ができるわけでもなく、ただただひとりでパソコンの画面に向き合うことになるのでした。
(当時はまだインターネットもなかった)

私は「私は本当に欲しいものは手に入れることができない」という認識をそこで持ってしまい、そのまま長い間生きることになってしまいました。

購買欲を他の人で満たす

母とは、その後こんなこともありました。

母が私の洋服を買ってきたり、母のお下がりを私が譲り受けるということが、私が大人になってからも時々ありました。
また、買ってきたものについて、安く買えたことを母が自慢する場面もよくありました。

私のために、という母の気持ちはうれしいけれど、しんどい思いもありました。
もらった服がたくさんあるので自分の欲しい服をあまり買えなかったし、高い買い物をすることに罪悪感があったりもしました。

これは母のせいではなく、断れなかった自分の責任ではあるけれど、親が自分のために買ってきてくれるなんて有難い話だから、それにケチをつけるなんて罰当たりだと思っていました。
そして、その時はまだ、母の行動が自分の購買行動に影響を与えていることに気付くことができませんでした。

たぶん、母は購買欲を他の人の物を買うことで満たしたり、買う理由に他の人を使うことによって、買うことへの罪悪感を減らそうとしていたのだと思います。
母がたまに高価な服などを買った時に、「そのうちあんたのところに(この服が)行くから」と言われたことを思い出します。

私は別に高価な服も母の服も欲しいわけではなかったのですが・・・。

負の連鎖

でも、私が自分の子供に対して母と似たようなことをしている、とある時気付いてしまいました。

子供が小さい頃、私はストレスを買い物で発散していた時期があって、その頃は子供の物を買いすぎていた自覚があります。
自分が本が好きだからということもあり、子供の本は特にたくさん買いましたが、うちの子は本を読むことがそんなに好きじゃなかったみたい。

物の選択について、子供が小さい頃はある程度親の誘導が必要な場面もあるかもしれないけれど、それは本当に子供のためなのか、それとも自分の購買欲を満たしたいだけなのか。
私もやっていることが母と変わらないのではないか、と思いました。

親から子に受け継ぐべきものは、こんなことではないはずです。
私はもうこんなことを子供に対してしてはいけない、と思いました。


自分の購買欲は自分のために

負の連鎖を断ち切りたいと思った私は、人の買い物で自分の購買欲を満たすのではなく、
「本当に欲しいものを自分のために買ってもいい」と自分に許可を出すことにしました。

それは、子供の頃に自分に植え付けてしまった、
「本当に欲しいものは手に入れることができない」という誤った認識を訂正するためのものでもありました。

本当に欲しいものを手に入れる。

当たり前のように思えるのですが、なかなか難しくもあります。
お財布との相談が必要だったり、
倹約が美徳だという考えがあると特に高価なものは手が出しにくかったり、
家族や、特に子供に良いものを与えたいという思いがあると、自分のことが後回しになりがちです。
(それらも決して悪いことではないです)

それでも、ひとつずつ、本当に欲しいものを手に入れる経験を増やしていきました。
もちろん何でも際限なく買えるわけではないし、いつでも最高級品というわけにはいかないけれど。
自分が欲しくて買った物の比率が上がっていくにつれて、目に入る範囲にお気に入りの物が増えるので、幸福度が上がっていったように思います。

去年購入した家もそのひとつ。
(自分の貯蓄で買える範囲で)妥協せずに本当に欲しいと思って買ったものでした。

また、素敵なものが手元にあると、それに見合う自分になりたいなと思います。
美容や運動、掃除、片付け、勉強など・・・、今までよりもうちょっと頑張りたいという気持ちが生まれてくるので、やはり素敵なものを所有するのはいいなと思うのです。


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