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第12章 院内学級での生活と友達

入院の初日から不安で泣いていた私に、底抜けに明るい笑顔で話しかけてきてくれたのが“エミちゃん”だ。入院初日は心配で仕方のない母が、なかなか家に帰れずに居た。話しかけてきてくれたエミちゃんに、地元の小学校でも周りの同級生とお話しすることが少なかった私は、あまり上手にお話しできない。しかしエミちゃんはそんなことは意に介さず、「私はエミコ、だからエミって呼んで!なんていう名前?」と聞いてくる。「……かおりだから、“かお”と呼んで」と答える私に、「かお!一緒に教室に行こ!」と1月8日の朝、わざわざ病室に誘いにきてくれたのであった。

同じクラスにはエミちゃんの他に、2人の児童が居た。つまり、クラスには全員で4人の児童がいた、というわけだ。エミちゃん(当時7歳)、タシロくん(同9歳)、オクヤマくん(同12歳)、そして私。この4人が、ともに机を囲む。後で聞くと、タシロくんとオクヤマくんとエミちゃん、この“紅一点”の中に“かおちゃん"が入ったことが、エミちゃんは嬉しかったらしい。

新しい担任の先生が入って来られた。名前を大きめに、黒板に書く。名前をF先生といった。最初は不安で仕方なく、ずっとメソメソしていた。実際は慣れるのに3日もかからなかったことに心底驚いたのは、他でもない自分だった。

【写真】撮影日は1989年3月18日。U病院を退院した日である。帰宅すると、宴会の準備が進められていた。祖父の膝に座って。祖父は大の宴会好きで、祭りやら盆やら正月やら…つまり、何かと理由をつけてはよく宴会をしたものである。






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