かおり( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ )੭♡

日々の記録。過去、現在、未来について。40代。

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第0章 徒然なるままに

私がnoteを始めてみたいと思ったのは、自分のこれまでの半生が、あまり一般的ではないのではないか、との考えからである。 といっても、虐待されていたわけではなく、非行に走ったわけでもなく、ましてや騙されて没落の道を辿ったわけでもない。 とてもありふれた一般家庭に生まれた私は、生まれて割りと間もなく、それはそれは周りに世話をかけ、成長していくこととなる。 未熟児で生まれた私はとにかく身体が弱く、生まれて間もない頃に気管支炎で入院、その後も肺炎、小児喘息と続き、その後10年の

    • 第14章 障がい者支援と性のこと

      私の職場(障がい者就労支援B型&生活介護)には要注意人物とされている人がいる。 私が採用された1日目に職員の方に言われた。 「彼は女の子の近くに寄ってきて、もたれ掛かる、髪の毛に触れる、体に触る等のことがあるから気をつけてね」 ・・・ なるほど、彼が要注意とされるわけだ。 採用されてからもうじき4ヶ月になる。 何度触れられそうになったか数えきれないほどだ。 触れないまでも、真横に立ち、深々と、90度くらい深々と、お辞儀をされることもある。 最初、私は内心驚きながら、それを見

      • 第13章 父と母

        人間はやっぱり、歳老いて死に近づくと、その本質が見える(分かる)と思う。 父は愛情表現や感情表現が超不得意の人だ。 例えば私が 「手芸が得意です!」 と、胸を張って言うとするなら、 父は、胸を張り 「ボクは感情表現が超絶苦手です!」 と、言うのだろう。 父と母は、よく喧嘩をした。 その内容は、必要あるのか?と思うほど、私にとってはくだらないものばかりである。 両親の恥を忍んで、ここに曝そう(笑) 私が高校生の時の話だ。 2人仲良く、ハイキングに出かけた。 丁度、

        • 第12章 院内学級での生活と友達

          入院の初日から不安で泣いていた私に、底抜けに明るい笑顔で話しかけてきてくれたのが“エミちゃん”だ。入院初日は心配で仕方のない母が、なかなか家に帰れずに居た。話しかけてきてくれたエミちゃんに、地元の小学校でも周りの同級生とお話しすることが少なかった私は、あまり上手にお話しできない。しかしエミちゃんはそんなことは意に介さず、「私はエミコ、だからエミって呼んで!なんていう名前?」と聞いてくる。「……かおりだから、“かお”と呼んで」と答える私に、「かお!一緒に教室に行こ!」と1月8日

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        第0章 徒然なるままに

          第11章 好きこそものの上手なれ

          これまでにも、いかに運動が苦手であったか、勉強が苦手であったか、ということは散々曝け出したつもりだ。しかし、今回は少しばかり「自慢話」を書いてみることにする。私の自慢のお話しなので、不快だと思った方はどうか読み飛ばしてもらいたい。 好きこそものの何とやら、だ。好きなものに精を出していくと、最初は他愛もないものばかりであってもいつかスッと形になる時がある。 私は地元の小学校でクラブ活動に所属していた3年間は、手芸一択であった。特定のクラブ活動に人数が集中すると抽選になるのだが

          第11章 好きこそものの上手なれ

          第10章 伯父と私

          先にお伝えしておくが、ここに書いている「伯父」とは、第3章及び第4章の登場人物である伯父ではない。ここで書くのは、母の姉の配偶者の「伯父」だ。つまり、血は繋がっていない。(第3章及び第4章の伯父は、母の兄のことである) 本文における「伯父」とは、全てこの伯父(義理)のことだと思って読んでほしい。 伯父は実に面白くて型破りで、奇想天外な人であった。私は伯父との楽しい思い出もあるが、どちらかというと、やり合った記憶の方が多い。このことを説明しようとすると、相当過去まで遡って説明

          第9章 N養護学校(院内学級)

          皆さんは、『院内学級』というところについて、ご存じだろうか。学校に籍を置く為に、それまで通っていた地元の小学校を形式的に転校し、退院時にまた戻る為に転入手続きをする必要がある…などの細かい話はさておいてーーー 大きく、午前と午後に授業がある。朝食を食べ終えると休憩したり、軽く身支度をしたのち、同級生らとともにN養護学校まで通う。“通う”と言っても、徒歩1分ほどだ。子どもの足でも、徒歩3分…といったところだろうか。               クラスに着いて、朝礼をし、途中、

          第9章 N養護学校(院内学級)

          第8章 楽しい嬉しい国立療養所

          その後も、日々いろんなことがありながらも、過ごしていった。O病院入退院から一年後、1989年1月6日のことだ。私は今でもこの日付を忘れない。前年末に決まっていた京都の国立療養所U病院(当時)に入院した日だ。不安障害による体調不良を、当時は身体問題だと捉えられ、検査入院して詳細を調べる、というのがこの入院の目的であった。主に脳波や心電図を取ったり、細々とした検査をしたのを覚えている。 このタイトルを見た読者の皆さんはきっと、驚かれたに違いない。入院が楽しいのか、とーーー   

          第8章 楽しい嬉しい国立療養所

          第7章 没頭すると時間を忘れる

          昔からそうなのだが…と書けば語弊があるかも知れない。どちらかと言えば、現在は昔より多少マシにはなったものの、だ。まぁ、どちらにしても大差ない。昔から変わらないのであるが、私は何事にも脇目をふらず、没頭する。本を読むのに集中し過ぎて、予定の電車を乗り遅れる、ということも、一度や二度ではない。 幼少期などは、掃除の時間も一生懸命、一生懸命、一生懸命…に掃除して、気づいたら体調悪くなっていて、保健室へ連れて行かれる、ということもあった。よく書いているが、「手芸をすると、時間を忘れる

          第7章 没頭すると時間を忘れる

          第6章 入院、退院、再び入院…

          確か、1988年の1月であったか。風邪から気管支を拗らせ、O病院に入院することになった。病名は、“気管支炎”。聞けば肺炎の一歩手前で、危なかったとのこと。風邪のつもりで受診した医院で、大きな病院で診てもらうようにと紹介状を渡され向かった先で、そのまま入院となった。 当時9歳の私は、大きな声を上げて泣くわけでも無く、バタバタと地団駄を踏んで駄々を捏ねるわけでも無く、ただ、シクシクとひたすら涙を流していたのを覚えている。母が何とか機嫌を戻そうと、「ジュース買ってきてあげる。何ジ

          第6章 入院、退院、再び入院…

          第5章 K先生と私

          小学生の時、とにかく学校を休みがちだった。長い時で、数週間単位で休んだこともある。やっと登校したと思ったら、熱を出し、早退することもまた然り。学校へ向かったはいいが、途中で気分悪くなり、そのまま自宅へUターン、ということもあれば、自宅で機嫌良く過ごして居ながら夜に熱を出し、あれよあれよという間に39度超えを記録し、慌てて病院の救急外来へ、ということもあったと聞く。母は気の休まる時が無かった、と今でも思い出した様に言う。 私は少しずつ、勉強が遅れがちになっていった。ただ、自分

          第4章 おばちゃん

          幼稚園に通園していた頃、春の親子遠足でイチゴ狩りがあった。仕事をしていた母の代わりに義伯母がお弁当を作り、私達姉妹の手を引いて遠足に参加してくれた。今でも、所々の情景が思い出せるのは、よほど楽しかった、ということだろうか。 ハッキリと覚えているのは、姉がイチゴなんかそっちのけでバッタ捕りに熱中していたり、先生が「持って帰りませんか」といただいたイチゴに、ラッキーと興味津々だった私の心情だとか、そういう類のことである。 幼稚園の送り迎えは祖母と義伯母だった。それに加え前述した

          第3章 キタとミナミ

          私の生まれは大阪市北区、俗に“キタ”と呼ばれている地域だ。大阪市でも特に、“キタ”と“ミナミ”(通称)に分けられる。“キタ”が大阪駅・北新地を中心とする大人の遊び場を基盤とする一方、“ミナミ”は難波・道頓堀界隈の若者のそれを指す。歴史を辿れば、その呼び名のルーツは江戸時代にまで遡り、“キタ”地区には当時沢山の遊郭で賑わい、大阪城下の北端に位置したことから、「北の遊里」「北の新地」と呼ばれたという。これに対して“ミナミ”のルーツは1615年に完成した道頓堀の南側に芝居小屋が立ち

          第2章 誕生

          私は、1978年11月28日午前5時頃に誕生した、らしい。 後年、母にその当時のことを聞くと、「あんたは生まれた時から大変な子でね…だいたい生まれた時間が朝の5時でしょ…」と言い始める。聞いているこちらとしては「そんなこと、知らんがな!」のひと言でも言ってやりたい気持ちだ。 生まれた時には2250グラムで未熟児だった。その為に数ヶ月もの間、保育器に入っていた私に母乳を与える為に、母は前年に生まれていた一歳年上の姉の世話をしながら、病院に通ったと聞く。 その病院通いもなかな

          第1章 モカ

          私はネコが好きだ。ネコをこよなく愛す人間だ。 ネコを見ると抱きあげたい衝動に駆られる。 確か、小学校高学年であっただろうか。 家の近くで、段ボールがひとつ、置いてあった。 そこに入れられていたのは、数匹の子ネコ。 ニャー、と鳴かずに、アー、アーと、生まれて間もない子ネコ特有の舌足らずさで、その鳴き声を聴かせていた。 近くに住む友達も私も、動物を飼える環境では無かったため、水やかつお節、時には牛乳まで持ち出して、エサをやるのが日課となった。 そして、今。ネコを飼っている。2