【短編小説】"神"の恋愛は悩ましい。 5/5 (3601字)
「神、大臣です。入りますぞ」
声をかけて執務室に入る。様々な書物を広げて思案していた神が、私の方を向いた。
「……みなの意見はどうだった」
あれから私はすべての臣下を集め、あらゆる方策を議論させていた。
「……もはや自然の選択に委ねるほかない、と」
「……気温の上昇に適応できない種は、滅びるしかないというのか」
「全滅ではありません。寒冷な北の大地にすむ僅かな植物たちは、ギリギリ耐えられるでしょう。今、あそこは0℃ほどですから」
北の大地、という言葉を聞いて、神が一瞬、動きを止めた。
「爆発の瞬間に、あなたがあの地の温度を、少しでも元通りに下げてくだされば、彼らが生き残れる可能性も増すでしょう。……もちろん、月見草も。難しい調整ですが、あなたならそれができるはずです」
「……だが、他の者たちは見殺しにするのか?」
「……それしかありません。いくら ”神” でも、この状況はコントロールできる範囲を越えていると、みな申しております」
神は、しばらく押し黙った後、口を開いた。
「……全ての植物の族長を緊急で招集してくれ」
「かしこまりました」
◇
族長たちは、みな緊張した面持ちで広間に集まった。
神は彼らを見回して、口を開いた。
「みなに伝えたいことがある。まもなく、宇宙の彼方で星が寿命を迎え、爆発を始める。そうなれば、その星は太陽の何十倍もの光と熱を発し続け、地球の気温は一気に40℃近く上昇するだろう」
族長たちの間に動揺が広がった。
「それでは生きていけぬ……!」「北の大地へ移ればなんとか耐えられるのではないか」「いや、移動する時間なんてないぞ」「なんということだ。北の大地に住む者以外、みな絶滅か……」一斉に言葉がとびかった。
「みな、聞いてくれ! 私に一つ案がある!」
神の凛とした声に、ざわめきがとまった。
「この地球を、すべて凍結する」
場はシンと静まり返った。神は続けた。
「氷は光と熱を反射する。いったん地球全てを氷で閉ざしてしまえば、気温が上がることはない。星の爆発が終わるまで……おそらく数百年、数千年はかかるだろうが……氷で閉ざし続ける」
「わ、我らはどうなるのですか! 共に凍って死ねと!?」
族長の中でもリーダー格の、楠の言葉が広間に響いた。
「いや。……今晩が勝負だ。みなできるだけ地中深くまで根を広げよ。土の中は温かい。地表の部分が凍っても、根が生きていれば、仮死状態になる」
みな呆然としてその言葉を聞いた。神は声をはりあげた。
「……植物たち、そなたらは強い! しばし耐えよ! 爆発が終わったら、私が必ず氷を解かす。爆発が長引き、私が死んでいたら次の神がとかす。全ての種族が死なずに、生き延びるのだ!!」
一瞬の沈黙の後、どよめきが広がり、そして歓声が上がった。
「おぉお!! 我らには神がついておるぞ!! 生き延びようぞ!」
「そうだ、ともにこの困難を乗り越えよう!」
みな口々に数百年、数千年後の再起を誓った。
……なんというお方だ。この方は、植物たちの生命力を信じて、賭けに出たのだ。そして、彼ら全員を優先した。
確かに最善策だ。……だが。
私は、植物たちに柔らかい微笑みを向けている神の横顔を、言葉を失って見つめた。
各部族長たちが帰り支度を始めた頃、神はコケ族とシダ族の族長に声をかけた。彼らは北の大地に移り住んでいた数少ない種族だった。
「コケ族、シダ族、すまない。そなたらは、本来、凍結しなくても耐えられたかもしれない。今日、私の話に異を唱えずにいてくれたことに、心から礼を言う」
「かまわん。好きにやれ。若造」とコケ族。「まあ、みんな死んじまうのに俺らだけ生き残っても目覚めが悪いしね~」とシダ族。
「……言葉にできないほど感謝する」
深く頭を下げる神に、コケ族の族長がふっと笑った。
「ワシらより先に北の大地に住んでいた月見草から、そなたの話をよく聞いたぞ」
「え……」
驚いたような表情の神に、シダ族の族長が「お前の決断、痺れたよ」とニヤリと笑いながら肩をポンとたたいた。彼らは笑顔で帰っていった。
「神、本当に良かったのですか?」
全ての族長が広間を出た瞬間、私は神に思わず話しかけた。
「爆発は下手をすると数千年。いくら長命のあなたでも寿命が尽きる可能性があります。そうなれば二度と彼女とは……。むしろ……当初の案であれば、月見草は、ほぼ確実に生き残っ……」
「それ以上言うな」
その横顔に一瞬だけ、はっきりと苦悶の表情が浮かんで消え、それからあきらめたように微笑んだ。
「そんなこと、彼女はきっと望まない。それに……それは、愛ではない。都合のいい何かだ」
窓から広間に差し込んだ月の光が彼のさみしそうな横顔を照らす。……胸が痛んだ。
「……会いに行くなら今晩が最後ですぞ。少しの間なら、もうあなたも凍えないでしょう」
私はそう呟いて、月見草がいる北の大地の地図を、そっと神に渡して部屋を出た。
◇
僕は大臣から思わず受け取ったその地図をしばらく見つめると、意を決して北の大地へと降り立った。彼女はすぐに見つかった。
……あれからどれくらいの時がたったのだろう。月明かりに照らされている彼女は、以前と変わらず、ため息がでるほど美しかった。
あぁ、こういうときにどう声をかければいいんだろう? 全く見当がつかない。そもそも昔、フラれているからな……。
僕は迷いながら月見草のもとへ歩いていった。彼女と目が合った時、息をのんだ。
その瞳に大粒の涙が浮かんでいたからだ。
「……嬉しくて」と彼女は言い訳をするように言った。
「僕のことが嫌いじゃなかったのか」
考える間もなく聞いていた。
「……あの時は、離れた方がお互いのためだと思ったの」
「そうだったのか……」
思わず手を口元に当てる。……確かにそうだった。あの時、僕は未熟だった。
……覚悟が決まった。彼女ならきっと分かってくれるはずだ。
「月見草、伝えたいことがある」
真っ直ぐに彼女を見つめた。潤んだ綺麗な瞳が僕を見つめかえした。
「もう聞いているだろう? 僕は君を優先して助けなかった。でも、信じてほしい。僕は君を……君のことを心から愛しているんだ」
「……わかってる」
彼女は少しばかり俯いて続けた。
「……寂しいけれど、それが本当の愛ね」
一瞬、風が彼女の物憂げな顔を揺らした。次の瞬間、彼女は伏し目がちになって、花びらを赤く染めながら小さくつぶやいた。
「……私もよ」と。
会話の文脈を何回も頭の中で反芻して、ようやく彼女の言わんとしていることを理解した。
僕は一つ大きく息を吐いた。
……これでもう十分だ。この記憶さえあればやっていける。
「ありがとう。……もう戻らないと」
寒さでだいぶ体が痺れてきている。神である僕はあまり寒さに強くない。月見草がここを耐えられるのが信じられないくらいだ。彼女いわく、根を深くまで広げているから大丈夫らしいが、相当な苦労があったのだろう。
……そうだ、彼女ならきっと大丈夫だ。僕は僕がやるべきことをやろう。
「確かに、戻るべきね。……あなたはもう、立派な神だものね」
月見草は暖かく微笑んだ。僕の大好きなその笑顔に、どうしようもなく心がぐらついて、思わず本音が口からこぼれた。
「苦しいものだな。……生きるということは。思い通りにいかないことばかりだ」
「…………そうね。でもきっと……誰かのためよ」
……あぁ。やっぱり彼女にはかなわない。
「もし……もしすべてが終わって、僕も君も生きていたら、今度こそ君をむかえに来てもいいかな」
「もちろん。待ってる」
その言葉が、僕を照らす道しるべのように思えた。
◇
翌朝。
どこか吹っ切れたような表情で執務室に入ってきた神は、さっそく地球を凍らせにかかった。圧倒的な神の御業だった。
まず地球全土に雨を降らせた。その後、光、温度、風、海流……、あらゆるものをコントロールすると、地球は端の方から凍っていき、翌日には地球全部が凍結した。
北の大地も、月見草も、すべてが凍り付いた。
◇◇◇
数十年後。星の爆発が終わった。
「思ったよりも早かったな」
神が満足そうに呟いた。
「えぇ。あなたが早く爆発が終わるようにあの手この手を使いましたからね。全く、恐ろしいお方です」
神は私の言葉に笑うと、心なしかどこか熱を帯びた瞳で言った。
「早速、氷をとかしにかかろう」
次に彼がそっと呟いた言葉を私は聞き逃さなかった。
「……やっとだ。これでやっと君に会いにいける」
◇◇◇
今からおよそ6億年前。
研究者たちはこの時期に地球が、丸ごと凍結していた可能性を示唆している。どのように地球が凍り、そしてその氷が解けたのかはいまだはっきりしていない。
だが、一つ確かに言えることは、すべてが死に絶えたかに思えた凍結のあと、植物たちがどこからか現れ、そこから類まれな広がりを見せたことである。動物、そして人類が誕生するのはそのしばらく後の話。
<完>
この長い話を、最後まで読んでいただいて、心から感謝いたします!
このように連続して投稿するのは初でしたが、皆さまのスキやコメントに大変励まされました! 本当にありがとうございます!
なお、この話はフィクションです。地球が凍結したのは実際にあったようですが、そのころにはバクテリアしかいなかったので、月見草もコケもシダもいません(笑)。
重ねてになりますが、このような不思議な世界線の話にお付き合いいただいたことに深くお礼を申し上げます!
あとがきでは、この話を創作するにあたって影響を受けたもの等々について記載したいと思います。興味がある方はご覧ください(笑)