【短編小説】炭素C (5374字)
嵐が来て、複数の木が深い森の中で倒れた。
「あーあ。これで木としての命も終わりか。なぁ、次は何に生まれ変わりたい?」
「まあせっかく木になれたんだし、次は炭かな~」
「頑張るねぇ。炭ってけっこう大変でしょ? 僕は気楽に分解してもらって、二酸化炭素にでもなれればいいかなぁ」
他の炭素たちの話が耳に入り、俺は思わず割って入った。
「おい、お前らもっと夢を持てよ」
「へ?」
「なにさ、夢って」
まるで理解できないと言った表情だ。俺は堂々と言ってやった。
「ダイヤモンドだよ!! 炭素に生まれたからには、ダイヤモンドに一回でもなりたいと思うだろ」
「えー、大変そう、ダイヤモンドなんて」
「なるのにすごい苦労するって聞くよ。僕はそこまでしてなりたいとは思わないなぁ」
「チッ。分かってないなぁ」
そんな会話を交わした後、俺らは深い眠りについた。
◇
……寝苦しいな。
うっとうしい暑さで俺は目をうっすらとあけた。周りには誰もいない。あれから数百年が経ったようだ。俺はもう一度眠りについた。
しかし、その眠りは長くは続かなかった。
………うぉぉぉ! 痛い!
強烈な痛みを感じ、俺は覚醒した。四方八方から圧力がかかり、全身が締め付けられる。おまけに周りは蒸し風呂のように暑い。俺は柄にもなく声をあげてもだえ苦しんだ。
「うるさいな」
ふと声がして横をみると、涼しい顔をした、見慣れない炭素がいた。
「ここまで残っているってことはお前もダイヤモンド志望なんだろ? それなら、これくらいの熱さと圧力、黙って耐えろ。これからもっとひどくなるぞ」
「そうなんだ……。分かった、ありがとう」
ぜえぜえと息を切らしている俺の様子を見て、その炭素が聞いてきた。
「そもそも、お前はなんでダイヤモンドになりたいんだ? こんな大変な思いまでして」
「……女の子にチヤホヤされたいんだ」
「は?」
「だから、モテたいんだって! 俺、ずっとうっそうとした森の中でしか生きてないし」
「……はあ。聞いて損した」
「そういうお前はどうなんだよ」
俺はちょっとムッとしながら聞くと、彼は真剣な顔をして答えた。
「この前、俺が二酸化炭素としていた地域は、ものすごく貧しかった。俺はそこにダイヤモンドとして現れて、みんなを豊かにしたいんだ」
「……ちぇっ、なんだよ、立派だな」
「お前の動機がへぼすぎるんだよ」
そんな風に会話をしながら、俺たちは地下深くで熱さと痛みに耐えて時間を過ごし、ついにダイヤモンドに形を変えた。目指す場所がある彼は「じゃあな」と言って、プレートの流れに乗ってどこか遠くへ行ってしまった。
そして、待ちに待った火山の噴火によって、俺は地上へと出た。
ひゃっほ~! ついに地上だぜ!! さあ、人間たちよ、誰でもいいから俺を見つけてくれ!!
◇
俺は無事宝石商に見つけられ、加工されて晴れてダイヤモンドとなった。幸運なことに、なんと指輪の一部になった。
デパートにならぶと、俺は若い女の子の視線を独占した。綺麗な女の子たちが俺をうっとりした表情で見惚れる。
そう、これだよこれ、俺が求めていたものは。耐えた甲斐があったぜ。ダイヤモンド・ライフ最高だな。
数か月が過ぎたころ、裕福そうな男性が俺を購入して、美しい女性に贈った。その女性は目を輝かせて喜び、俺をその華奢な左手の薬指にはめ、それはそれは大事に扱った。
俺を愛おしそうな目で見つめてキスをしてくれる時もあった。めちゃめちゃ嬉しかった。
でも、いつからだろう。その女性は、次第に俺を悲しそうな顔で見つめるようになった。まもなくして、それははっきりした憎悪に変わった。
そして、俺にとって衝撃的な瞬間が訪れた。
「……もう、こんな指輪、捨ててやる!!」
女性はその美しさに似つかわしくない言葉を吐き、指輪を家の床にありったけの力で叩きつけた。
指輪は床をはね、転がって虚しく止まった。女性は泣いていた。俺も泣きそうだった。この美しく優しい人のそばにずっといられると思っていたのに。
◇
その後、俺はリサイクルショップへ売られた。デパートの時よりチヤホヤはされなくなったが、それでも女の子が俺を見るときのうっとりした目は、傷ついた俺の心を満足させてくれた。
しばらくして俺はある男に購入されて、また女性に贈られた。彼女は全く嬉しそうな顔を見せずに無表情で指輪を薬指にはめた。またダメか、と俺は思った。
その女性は完全に男の言いなりだった。男の言う通りに家事をし、欲求に応えた。
ある日、思い詰めた顔をした彼女は、海を臨む切り立った断崖絶壁までやってきた。
そして、彼女は断崖絶壁の淵にある柵に手をかけ、虚空へと身を乗り出した。
……おいおい、マジかよ。死ぬつもりか?
ぎょっとしてその顔を見ると、目から涙が一筋、頬を伝っていた。
あぁ……。また俺は女の子を泣かせたのか。こんなはずじゃなかったのに。
落下を覚悟したが、何も起こらない。いぶかしんで俺は目を開けると、女性が考え直したように頭を振って柵の内側に体を戻すのが見えた。
血の気のなくなった白い指先が俺に触れた、と思った瞬間、彼女はそっと薬指から俺を引き抜くと、海に向かって力一杯投げた!
落下していく中、ちらりと見えた彼女の顔は、今までに見たことのない、心からの笑顔だった。
俺はこの人の足枷になっていたのかもしれない。そう思った。
海に落ちた俺は、波に運ばれた後、海中深くまで沈んだ。
……なんか疲れたな。俺はしばらく眠ることにした。
◇◇
「よぉ。久しぶりだな」
聞き覚えのある声に、はっと目が覚めた。声の主は、以前ダイヤモンドになるときに一緒にいたあの炭素だった。
「……あぁ、久しぶりだな。なぁ、お前はどうだったよ、ダイヤモンドとしての生活。俺は散々だったぜ。きっと、お前みたいな立派な動機があったらよかったんだよな」
「……いや、俺も散々だった。貧しい村を幸せにするつもりが、かえって俺の取り合いになって争いが起きた。多くの人が死んだよ。俺がいなかった時代の方が平和だったって多くの村人が言っていた」
「……そうか。なかなか難しいな。ダイヤモンドって」
「あぁ」
しばらく沈黙があった。俺は聞いてみた。
「なぁ、お前次は何になる……?」
「……俺は黒鉛にでもなろうかな。その方が人の役に立てそうだ」
「黒鉛? 何それ?」
「鉛筆とかシャープペンシルの芯とかの材料だよ。紙に字が書けるんだ」
「そうなんだ。じゃ、俺もそうしよ」
「……投げやりだな」
「だってもう疲れたんだもん」
「わかるよ」
彼はそう言って優しく微笑んだ。
◇◇
そうして俺たちはまた加熱され、長い年月を経て黒鉛になった。鉱山に姿を現した俺たちは採掘された後、加工されて鉛筆になり、それぞれ別の国に出荷されて行った。
俺はきっかり1ダース分の鉛筆になった。俺を購入したのは、冴えないメガネの大学生の女子だった。名前は沙羅というらしい。えらい服装が地味で化粧っけもない子だ。
ダイヤモンドだった時に周りにいた華やかな女性達と比べると、えらい違いだ。
まあ、今の俺は光輝くダイヤモンドじゃない。真っ黒い黒鉛で作られてる地味な鉛筆だし仕方ない。そう自分に言い聞かせる。
その子はアパートに帰宅するなり、鉛筆を一本、ケースから取り出すと、真新しいノートに力強くこう書いた。
「巧くんの隣に並ぶのにふさわしい女になるには?」
……おいおい、お前まさか恋してるのか?
驚いて彼女の顔を見ると、ものすごく真剣な顔をしていた。そこから彼女は「巧」に対する思いをノートに書き連ねていった。
巧は爽やかなルックスと愛想の良さで、大学では多くの女子から人気だ。対して、沙羅は、全く目立たず、本だけが友達という子だった。
沙羅は、巧が一人静かにたくさんのビジネス書を読んでいる姿、本をとても丁寧に扱っている姿を図書館で見かけて惚れたらしい。
……ふーん、そういうことか。でもお前、もうちょっとあか抜けた方がいいぜ。沙羅を横目で盗み見る。地味な顔だが磨けば光る気がする。俺はがぜんやる気が出てきた。
沙羅はしばらく考えた後、思いつくことをノートに箇条書きにしていった。巧の隣に並ぶのにふさわしい女になるには、というお題について。
・彼が読んでいる本を私も全部読んでみる。でも内容が難しいな…
・その本の感想を彼と話したい。でも話す勇気がでないな……
・彼が履修するのと同じ授業を履修する。でも情報がないな……
でも、ばかりのノートに俺はだんだんイライラしてきた。そんなの、行動するしかないだろう!!
俺は彼女のペン先を狂わせ、でかでかとノート2行にわたって書かせた。
「まずはあか抜ける」
沙羅はその文字を信じられない、といった表情で見つめ、ひとりごちた。
「すごい! やっぱり紙に書くと考えがまとまるのね!! そうよ、まずはあか抜けて自分に自信を持つことからだ!!」
……いやいや。おれがアシストしてやったんだからな。と不服だったが、悪い気はしなかった。沙羅がとても嬉しそうだったからだ。
そこからの沙羅の努力はすざましかった。まずメイクを研究し、服装を改善し、部屋のインテリアも整えた。彼女はいつも本や動画を見あさり、ノートにその内容をメモしては実践し、改善点を書き連ねていった。俺は彼女が道を外れそうだったら、さりげなくペン先を狂わせてアシストした。
例えば、「こんなに本があるから部屋が野暮ったいんだ。全部捨ててやる」と彼女が書いたときは「本は私の個性だから捨てない方がいい。本を生かしたインテリアを考えよう」と半ば強引に書かせた。
「私みたいな人が、巧くんに話しかける権利はない」と自信喪失しているときは、「努力をしてきたんだから大丈夫。まずは明るく挨拶だけでもしてみよう」と書かせた。
そんな日々を繰り返すうちに、沙羅はだんだんあか抜けていった。俺から見てもかなりイケてる女になった気がする。巧と本の話もしてるみたいだし、そろそろ付き合えるんじゃないか?
◇
ある日。沙羅がものすごく嬉しそうな顔をしてアパートに帰宅した。帰宅するなり、ノートを広げて、濃い字で書いた。
「巧くんに告白された!!」
ひゃっほ~! やったじゃないか!
俺は自分のことのように嬉しかった。
それから少しばかり年月が経ち、沙羅は巧と結婚した。俺は思った。沙羅は巧と良い関係を築き続けることができるだろうか。
しばらく使われることもないまま、押し入れの中でボーッと過ごしていたら、ある日突然押し入れの扉が空き、今にも泣きそうな顔の沙羅と目が合った。
……おいおい、どうしたよ!?
沙羅は久しぶりにノートと、まだケースの中で余っていた俺を取り出して、文字を書いた。
「巧さんが浮気をしているかもしれない」
……巧、最低な野郎だな。
俺は殺意がわいて危うく紙を突き破りそうだった。沙羅は自分の苦しい心のうちや、彼に対する非難を綴っていく。目からこぼれた涙がノートに落ちて、俺が作った筆跡をにじませた。
やっぱり鉛筆としても、俺は関わる女の子を泣かせてしまうのか。今までの思い出がフラッシュバックする。また投げられるのかなぁ……と半ばあきらめの思いを持った時。
沙羅は目に強い光を宿して、俺を強く握りしめてノートに書いた。
「今、私ができることは?」
そして彼女は、彼女が思いつく限りのことを書いていった。「探偵を雇って浮気の証拠写真を撮り、詰め寄る」「目には目を、の精神で私も浮気をする」などの過激なものもあったし、「私が魅力的じゃないのがいけないのかも。私がいなくなった方がいい?」と言った自責的なものもあった。
俺は彼女がたどり着く結論を、固唾をのんで見守った。最終的に、ノートに大きく書かれた言葉はこうだった。
「彼を、信じる。彼の浮気は彼自身の問題。私は彼を信じて、一途に愛そう」
今回は俺はアシストしなかった。
俺は沙羅を心の底から、イケてる女だと思った。今までであった女の中で一番イケてるぜ。
それからも彼女は悩みがあるとノートに鉛筆で書いた。
巧についての悩み、彼との間にできた子どもについての悩み、そして人生についての悩みまで。彼女はもう俺のアシストを必要としなかった。
彼女には、鉛筆だけで十分だったんだ。
12本すべて使い切られ、ノートの上の筆跡となった俺は、押し入れの中で今度こそしばらく眠りにつくことになった。
◇
光を感じて俺は起きた。すると、すっかりおばあちゃんとおじいちゃんになった沙羅と巧がノートを取りだして、二人仲良くそれを読んでいだ。
最初、沙羅はものすごく懐かしそうにしていて、巧は少し照れくさそうにしていた。途中で巧が涙を流して沙羅に謝った姿も見られた。沙羅は笑顔で「いいのよ」と言っていた。やっぱ沙羅、お前最高にイケてるぜ。
それからしばらくして、巧が先に天国に旅立って、そのすぐ後に沙羅が逝った。生前の意向に従って、沙羅の棺には、彼女が書き溜めた沢山のノートが一緒に入れられることになった。
さあ、次は燃やされて、二酸化炭素になる番だな。
黒鉛は悪くなかったな。なんかダイヤモンドよりも楽しかった。きっと、同じく黒鉛になったアイツもうまくやっているだろう。
二酸化炭素の次も、もう一回黒鉛になろうかな。
<完>
この長い話を、一日の貴重な時間を使って読んでいただいて、本当にありがとうございました! 削りきれず今回はいつもよりちょっと長くなってしまいました。
さて、以下はこの話を作成する上で参考にした、炭素についての豆知識を簡単にまとめます。興味のある方はお読みください!
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