弾く、撮る、調える。3人のかたち #2000字のドラマ
「あと30分くらい待ってみよう。今の光じゃ明るすぎるよ。雰囲気がでない」
涼介は、心のなかで舌打ちした。30分…かぁ。30分じゃ、光の濃さは、変わらない気がするけどな。本日は晴天なり。
「涼介、ぼやっとしてないで、レフ板 はらっといて。また後でセッティングしなおせばいいよ。風で倒れると危ない」
撮影を終えるのが30分遅くなると、時間ギリギリになる。片付けなんだかんだと、撤収にも時間がかかりそうだから、今日は、手持ちでいくか。臨場感があっていいかも。そう考えながら、風の当たらない壁ぎわへとレフ板をはけた。
「待鳥さん、今日は時間どおりあがっていいでしょうか」
聖明は、仕事に入る前から、この言葉を用意して先輩を待っていた。時間どおりとは、6時ちょうど。顧客との約束は、1時半。移動に時間がかかったとしても、5時半には事務所にもどれるはずだ。
「いいよ。いつも よくやってくれるから、今日は、直帰しても構わないよ。報告書は、私がだしておく」
ふぅーッ、助かった。日頃から真面目にやっててよかった。こういうとき、すんなり話がとおる。
奏大の周りには、20人ほどの人が集まっていた。同じ年頃の人や高校生もいれば、白髪のきれいな女性、親子づれ、仕事帰りかと思えるサラリーマンもいた。どの人も、早く始めてという面持ち。待っているのだ。
1曲めは、だれもが一度は聴いたことがあるだろう、カノン ニ長調。ヨハン・パッヘルベルの作品だ。つぎは、軽い感じでテンポよく。打上花火。涼介がカラオケでよく歌っている。そして、3曲めは、マイケル・ナイマンのピアノ・レッスン。聴く人の心を鷲掴みにする名曲だ。
音楽のジャンルで境界線を引かないことは、すでに、3人の約束となっている。ソロで弾く最後の曲は…、どうもっていこうか。全体の構成を頭に描きながら、ひと息ついた。
ポーズ。
再び、鍵盤を見つめ、ボブ・ディランの Blowin’in in the Wind. をゆるりと始めた。
今日は、はじまりの日。涼介と聖明が到着し、準備が整ったたところで、連弾を始めることになっているのだ。
18時半。7月の空は明るい。
馬車道の駅に置かれたアップライトピアノ。ストリートピアノが、流行りだす前からよく弾きに来ていた。
聖明とは、ここで出会った。調律の勉強をしていた彼は、あるとき、駅ピアノの調律を任されていた待鳥さんと一緒にやってきた。演奏後、挨拶をすると
「力強くて、静かな演奏にしびれました」
恥ずかしくなる言葉を、落ち着いた風情で、臆面もなく言うヤツだ、と思った。その後、聖明は、足繁くこの場所に通い、気分のいいときは、フォーレの舟歌やウラディミールのブルースを弾いた。
「ピアノを調える。ピアノと人とつなぐのが、僕の仕事なんだ。素敵だろう」
涼介との出会いも強く印象に残っている。
よく行く横浜駅近くの楽器店で、Puff を口ずさみながら、ラヴェルの楽譜を探していたときだ。店の奥から滑舌のいい声が聞こえた。
「SNS にアップしたりはしません。コンクールにだしたいんです。あのピアノ、APOLLOのRU388ですよね。死んだ爺ちゃんが好きだったんです。巡り会えるなんて! 何かの縁にちがいない。撮らせてください」
大袈裟なヤツだなー。しかも、コンクール、って、ピアノじゃなく、写真?
押しの強い珍客に、人のいい店長は気圧され、「い、いいですよ」とひっくり返った声で応えた。
「ありがとうございます!」
「あの、写真撮るとき、弾く人がいたほうがいいのかな。だとしたら、……瀬尾さん、譜面見てるとこ申し訳ありませんが…。こちらのお客さまが、店のピアノの写真を撮りたいと言われてまして、ご協力…」
「必要ないです。僕、人は撮らないんです」
バッサリ。
店長にしてみれば、この客にできるかぎり協力しようと決めた瞬間、常連の、しかも店長と同じく人のいいプレイヤーが居合わせた幸運を、逃したくないと焦ったのだろう。僕は楽譜をもどして、涼介のそばに行った。
「ピアノの写真を撮ってるんですか。面白いですね」
「今は、カメラマンの助手してます。いつか、ピアノだけを撮る写真家になりたくて。弾くほうは、だいぶ前に挫折して、キッパリやめました。でも、好きなんですよ。ピアノ」
涼介も聖明も、偶然と必然が入り混じった出会いで、ピアノで結びつき、つながって、いつのまにか大切な存在になった。好きなことを果てなく語り合える人を、友 と呼ぶのだ、とつくづく思う。
19時。7月の空は明るい。
ドビュッシーの 美しい夕暮れ。
聖明が、静かに歩みより、連弾で加わる。涼介が、Nikon FM2を構え、瞬間の音を切り撮る。
3人の新たなる日常の始まりだ。この先、喜びに満ちた日も、哀しみに暮れる日も、ひたすらに繰り返すであろうピアノの旋律。
僕たちは今、未来を見ている。
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