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一番好きなのは大相撲 二番目は神社めぐり 三番目は縄文!? 田中知子さんと おしゃべりして見えて来た「循環 の輪」。
クラウドボックスが出会ったひと vol.9 [対談]
田中知子(フリーアナウンサー・株式会社ちゃんこえ代表)×徳永健(クラウドボックス代表・かるたプロデューサー)
”たなともさん”こと田中知子さんは、現在むさしの-FMで地域の情報を発信するラジオパーソナリティ(毎週金曜日・むさしのライフ+)として吉祥寺界隈ではお馴染みですが、かつてはNHK総合テレビのニュース番組「ニュース シブ5時」で大相撲特集「シブ5時相撲部」を担当されていたディレクターでありアナウンサー。「あれ?見たことある?」って思われた方も多いのではないでしょうか。
そんな ”たなともさん” とクラウドボックスとの出会いは今から一年半ほど前のこと。徳永がとあるイベントで ”たなともさん” の似顔絵を描いたことがきっかけでした。
その後Facebookを通じて親交を深め、今年9月にはクラウドボックスメンバーに向けた「話し方レッスン」をしていただいたという、クラウドボックスにとって今、とてもホットな方なのです。
2024年4月に自身の会社株式会社ちゃんこえを立ち上げ、「声と言葉で世界を幸せに」を掲げながら、フリーアナウンサーとしてのお仕事はもちろん、大好きな「大相撲」から学んだコミュニケーション術についての講演やイベント開催、話し方レッスンなど多方面で活躍されています。
今回は、”たなともさん”のホームベースでもあるStand Up吉祥寺にて、これまでのことから、今、吉祥寺でのこと。そして異様な盛り上がりを見せた脱線トークまで、たくさんお話を伺いました。
【NEWS】田中知子さんと徳永健が登壇!「ミラクルウェーブ・フェス」
2024年11月17日(日)StandUp吉祥寺にて 14:00-17:00 詳細はこちら
コミュニケーションのハードルを下げることの大切さを語りあう。
田中 あ、とくさんに描いていただいた似顔絵、今自分の仕事部屋に飾っています。
徳永 わー、ありがとうございます。嬉しいなあ。三鷹のMsusashino Valleyのイベントでしたよね? 文伸(BUN-SHIN)さん主催の『議員カフェ』でしたっけ?
田中 そうですそうです。2023年5月だからもう、一年以上前ですね。
徳永 あの時はイベントに興味があっていらしてたんですか?
田中 文伸の川井社長から連絡をいただいたんです。「こういうのやるから、おいでよ」って。地下のスタジオも見学できるって聞いて、行ってみたいなって思ってました。
徳永 あの配信とか、撮影ができるスタジオ( Studio MITAKA-BASE)ですよね?
田中 はい。私、文伸さんの会社の雰囲気がすごく好きで、イベントも行けるものは結構行ってるんです。工場見学も。
徳永 工場見学!僕も行ってみたいんですよね。タイミング合わなくてもまだ行けてないんですけど。
田中 サステナブルな印刷に取り組まれていて、工場見学の最後にはノートをいただきました。しかも「三鷹跨線橋」の柄のものがあって素敵でした。
徳永 それはすごくいいなあ。ぜひ一度行かないと。
で、その文伸さんのイベントで僕は似顔絵を描いていて、初めてお話したんですよね。アナウンサーさんなんだよって川井社長に紹介してもらって。
さすがに話し方が綺麗だし、感じがいいし、人の目を見てしっかりしゃべるし。似顔絵って描かれる側は最初どこをみていいのかわからないって人が多いんだけど、たなともさんは人の目を見るってことに全く抵抗のない人で、真正面でこんなにも笑顔でいられる方はホント、レアでした。
Facebookでもすぐつながっていただけて、それで今年会社を立ち上げたということを知ったんです。ここ(Stand up 吉祥寺)で先日イベントもやってましたよね。
田中 やってました!「元力士を招いてちゃんこ料理教室!!」を開催しました。私、日頃から相撲のハードルを低くしたいと思っていて、「ちゃんこ」が入り口だったら入りやすいんじゃないかなと。美味しいし、作り方を元力士から学べて、料理をつくりながら相撲の話も聞けるし。冬にまたやろうかなと思っています。
徳永 そうそう。なんか楽しそうなことやっているなあって、Facebookから遠目に眺めていたんですけど。そしたらアズマックス(東隆志)さん(Stand up 吉祥寺のオーナー)が、たなともさんの「話し方レッスン」を始めたことを知って…。それで僕も興味を持ちまして、先日クラウドボックスへ体験レッスンに来ていただいたという。
田中 先日はありがとうございました。
アズマックスさんはここ「Stand up 吉祥寺」のPRで、ご自身のYouTubeをやってみたいということで、じゃあ「話し方レッスン」やってみましょうかってなったんです。
徳永 話し方が上手になっていく過程を、せっかくだからYouTubeでやったらいいのにって思ってましたけど。
田中 確かに〜!プロセスですよね。それ面白い。
ところで最近、吉祥寺で金髪のイケおじに会う確率がすごく高いんですよ。
徳永 吉祥寺で金髪のおじさんって言えば、僕とアズマックスさんの双璧なんじゃないんですか?
田中 まだいるんですよ。金髪おじが…。私の周りだけでいうと「流行ってるんですか?」ってくらい金髪率高いです。とくさんの金髪には、何かポリシーがあるんですか?
徳永 『吉祥寺かるた』を作る前は「クリエイティブディレクターっぽく見られたい」とか「頭良さそうに見られたい」といった下心みたいなのがあって、太い黒縁メガネにハンチング帽、坊主で顎髭がトレートマークでした。黒いタートル着てスティーブ・ジョブズ風を好んでいたんです。でも「吉祥寺かるたを作った人」として、お呼ばれして人前で喋ることが増えたので、「なんか面白そうな人来たな」って思われたいって思って、メガネを丸くして頭を金髪にしてみました。
田中 セルフブランディングですね。そういうの大事だと思います。
徳永 さっき「相撲のハードルを下げたい」っておっしゃってましたけど、僕も外見からハードルを下げたいなって思ったんですよね。たなともさんに初めてお会いしたとき、ハードルを感じないというか「この人、いきなり声かけても嫌な顔しないだろうな」みたいな安心感があったのをよく覚えてます。
田中 そうなんですか? 確かに街中で道はよく聞かれます(笑)。声かけやすいんですかね?
徳永 かるたを作って以来、ハードルを下げるってことにすごく興味が沸いたんですよ。「かるた」って、それ自体がものすごくハードルが低いじゃないですか。多分日本人なら「かるた作ってるんですよ」って言えば、だいたい同じようなものを思い浮かべることができて、どうやって遊ぶのかも知っているし、ほとんどの人が遊んだことがある。例えば「今吉祥寺のかるた作ってるんで一緒に読み札考えてくれませんか?」っていう5秒間のプレゼンだけで、どんなことをやろうとしてて、どんなプロジェクトで、どういう形で参加すればいいのかがわかっちゃう。5秒後にはみんなプロジェクトメンバーになって話ができる。「かるた」っていうものを中心におくだけで、こんなにハードル下がるんだっていう実感があって。
田中 「知っている」という安心感ですね。
徳永 安心感を持ってもらうために「ハードルを下げるっていうことは、コミュニケーションを促進する仕組みになっていく」と気づいたんです。
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「今描いたら違う絵になりそう。機会があればまた描きたいです」(徳永)
自分から動くことで何かが開く。
営業で培った自分の根っこで掴んだもの。
徳永 色々なところに載っている、たなともさんのプロフィールを読んだんですけど、最初営業職をやって31歳でアナウンサーに転身って、そんなことありえるの?って思ったんですよね。どういう流れでアナウンサーになろうって思ったのかぜひ聞かせてください。
田中 そうですよね。私も本当によくなったなと思います(笑)。私は学生の頃アナウンサー研究部だったとかじゃないので、アナウンスの練習なんて全くしたことないし。大学の時はむしろ営業職になりたいと思っていたので、アナウンサーという職業とは本当に無縁だったんです。
6年間リクルートの販売代理店で営業をやっていて、最初の1、2年間は全然売れなかったんですけど、3年目ぐらいからだんだん売れるようになって。「こうすれば売れるんだ」みたいな、現場から学んだことがだんだん自分の中でわかってきたんですね。最初は飛び込みしまくって断られまくって泣きまくって、お客様のところの扉を出た瞬間、廊下で泣きくずれるとか。ひどい仕打ちをされたという感じになって、そんなに言わなくてもいいじゃん。怒らなくてももいいじゃんって思いながら「もう、私青森帰る(地元)!」っ思ったこともありましたけど。
徳永 ちなみに何を売ってたんですか?
田中 求人情報誌『FromA』の求人広告です、まだ一冊100円で週2回出してた頃ですね。私は豊島区池袋エリアの担当で、エリア内全部まわれと言われました。
徳永 会社やお店、かたっぱしから飛び込みで!?
田中 そうなんです。「名刺獲得キャンペーン」っていうのがあって。とにかく挨拶をして名刺をもらった人が勝ちっていう。毎日会社から名刺を200枚渡されて「これがなくなるまで帰って来ちゃダメだよ」って言われるんですよ。まずサンシャインシティへ行って上から順に全オフィス回って、次にお店も地下もまわりました。そうしたら一週間後くらいにサンシャインシティのたこ焼き屋さんから「アルバイトを募集したい」っていう電話がかかってきて、一番ちっちゃい広告枠が5万円するんですけど、それが私の人生初受注でした。お客様から初めてお金をいただいたこと、忘れられないです。
徳永 そんな飛び込み営業を続けて3年目くらいでようやく起動に乗って来たと?
田中 はい。だんだん自分の営業で広告が売れるようになって感じたのは、売れることって結局「モノじゃなくて、人」ということだったんです。リクルートの営業って同じエリアで動いている営業マンが他にもいて、私が飛び込みでいったところに「あれ?さっきも来たけど」みたいなことが普通にあるんです。お客様にとっては選択肢がたくさんある。どこにしようかなと思った時に、私の印象が良かったなとか、田中さんにお願いしたいとか、そうやってご依頼いただくことが多くて。やっぱり最初に選ばれるのは「人」なんだっていう実感があって。で、それがわかったときに「商品を自分にしてみたらどうなんだろう?」って思うようになったんです。
徳永 なるほど。
田中 ちょうどその頃「知子の声いいね」って褒めてもらったり、27,28歳で第一次結婚ブームに周囲が突入して結婚式の司会を頼まれることが増えたんです。素人の私が人前で喋る機会を重ねていって、私が喋ったことで、みなさんが和んでくれたり喜んでくれることがとても楽しくて。それで、「声を出す仕事っていいかも」って思ったのがきっかけです。
徳永 でも「アナウンサーになりたい!」って30歳を間近にして思っても、すんなりなれるものではないですよね?
田中 まさにおっしゃる通りで。『アナウンサー30歳定年説』っていう言葉があるくらい、アナウンサーの賞味期限は短いと言われたことがあって。若くて綺麗で、大学卒業後の20代から30歳くらいまでが花って言われているのに、それを超えてからなるっていう(笑)。
リクルートの仕事をしながらアナウンサーを目指すのは無理だと思ったので、行く道は決まってないんだけど、とりあえず辞めたんですよ。アルバイトしながらアナウンススクールに通いまして、学生さんに混じりながら発声練習をして、オーディションを受けるための特訓をやって。それでもう日本全国、北海道から九州までオーディション受けられるところは全部受けました。
徳永 事務所に所属するとかじゃなくて?
田中 やっぱり、まずは放送局を経験したいと思ったので、「応募条件25歳まで」って書いてあっても書類ガンガン送ってました。「若く見えればいいんじゃない?」と思って(笑)。
徳永 逆境に耐えうる 根底はすでに培われてますもんね。
田中 営業をやっていたのでいくらでもフットワークありますから。とりあえず可能性があるところは全部送って。送らないと、次に進めないじゃないですか。向こうから「どうですか」って来るわけじゃないですから。それはもう営業経験でわかっていたので。書類を送ってオーディションを受けては落ちるみたいなことを2年半ぐらいやってたんですけど、3年目ですよ。
徳永 お。来た?3年目。
田中 当時お付き合いしている人がいたんですけど、3年目もダメだったら、この人と結婚しようと、自分の中で区切りみたいな線を引いたらミラクルが起きまして…。
田中 ここで最後と思って受けた地元青森のNHKに合格しました。
あれだけ受けて最後に受かったのが地元って、本当にご縁だなと思って。故郷の青森にも帰れるし、アウンサーにもなれるし「本当にありがとう」って思いました。志3年目、31歳で念願のアナウンサーになったんです。
徳永 NHK青森の「あっぷるワイド」は何年くらいやられたんですか?
田中 4年ですね。メインキャスターとして毎日夕方6時10分に「こんばんは」っていうのを4年。
徳永 いきなりメインキャスターに抜擢されたってことですよね。
田中 そうなんですよ。経験なしの31歳が(笑)。
徳永 そのあとNHK総合「ニュースシブ5時」につながるのは、東京の本局の人が見てて呼ばれたみたいな感じなんですか?
田中 青森で4年やって、親も喜んでるし、親戚も喜んでくれるし、地元の友だちも見てくれてるし、幸せな4年間だったんですけど「もうちょっと厳しいとこ行きたいな」って思い始めまして。
徳永 ステップアップしたいということですよね。
田中 はい。青森局のプロデューサーに相談したら、「『ニュースシブ5時』っていうニュース番組が本局で始まるんだけど、スタートメンバーを募集してるから行ってみるか?」って言っていただいて、面接を受けて無事採用されました。
徳永 なかなかのサクセスストーリーですね。
田中 「シブ5時」も4年間やりました。そこで大相撲にどっぷりとはまったんです。
徳永 以前からお相撲には興味あったんですか?
田中 青森って相撲の県というか出身力士も多いので大相撲の特集があったり、本場所が始まると県出身の力士の結果を「あっぷるワイド」の中で伝えたいたので、「お相撲さんってなんだかキレイだな」とか「相撲って奥深いな」みたいなことは思ったりしていたんです。
NHKで本番前ニュースの下読みをしていると、すぐそこでずーっと相撲中継が流れていたりするんですよ。
徳永 あー、よくテレビ局でモニターにたくさん映し出されているやつですか?
田中 それです。モニター全部、大相撲中継が放送されているので、自然と目に入っちゃうんですよね。で、大相撲、気になり始めてもっと知りたいと思うようになっていたところに「ニュースシブ5時」の話が来て。「シブ5時」で相撲のコーナー作ろう、相撲好きな子いないか?ってなって「私やりたい!」って手をあげて担当を任されました。
制作してみるとその特集が好評で、これは定番化しようとなって「シブ5時相撲部」という特集のネーミングも考えました。そこから4年ずっと担当任せてもらってネタ探しから取材、編集まで一貫して制作していました。
徳永 そして、今や「相撲と声の会社」を作ってしまったという。
田中 あ、そうですね。
徳永 NHKを辞めたあと、フリーランスに?
田中 はい。退職後は「むさしの-FM」でラジオのパーソナリティをしたり、司会やナレーションをしたり、プレゼンレッスンをしたりしていました。
その後お世話になっている方から、「NHKで制作していた私の相撲の取材話が面白いから、講演とかセミナーをやってみたら?」って言われたことがきっかけで、一気に仕事の幅が広がりました。
昨年は講演講師の勉強をしてノウハウを教わり、今年から本格的に「大相撲を取り入れたビジネスコミュニケーション術」の講演をスタートさせました。事業が拡大しそう!と思ったので思い切って法人化したんです。
徳永 どうですか?実際、起業してみて。
田中 超大正解でした。
徳永 思ってたのと違うみたいなこととか、後悔する瞬間はも?
田中 全くないですね。むしろ本当に決断してよかったなと。私ってちょっと不安定な立ち位置にいる方が多分安定するんですよ。安定しちゃうとそこから抜けたくなる。
徳永 そこはちょっと共感しちゃいますね。同じ仕事、毎日やってるとすぐ辞めたくなっちゃうみたいな。
田中 ちょっと刺激が欲しくなりますよね。
徳永 そうですね。変化というか、違うこと始めたくなっちゃうっていう。
田中 ちょっとボコボコしてるところにいた方が私はいいんだなと思って。今も起業して、その先の保証なんて全くないんだけど、その方がワクワクするし。
徳永 求められていろんなところへ行くのは楽しいですよね。
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営業とアナウンサー。
そこに流れているものは同じ。
徳永 営業をやっていたことで、「自分を商品にしよう」と思ったっていうのはなるほどなって思いましたけど、「最終的に買ってもらう」をゴールに設定するのと、「誰かに何かを伝える」をゴールするのとでは、しゃべりの質が違うんじゃないの?って思ったりしたんですけど。
田中 すごい深い質問ですね(笑)。
徳永 それ両方経験してる人って多分あんまりいないんで、どうなんだろう?って思ったんです。しかも両方で成功してる。営業としての売るトークと、伝えるトーク。その意識の違いってあるのかなって。
田中 NHKの時は正直「THE NHK」を求められてたんですよね。だから少しでもはみ出そうとすると修正がかかったりしました。私は営業をやっていたこともあってか「もっとこうしたい」みたいなのがけっこう強く自分の中にあったんですね。なので上司とぶつかったこともあったし、キャスト同志でもめたとこともありました(笑)。
徳永 自分をあまり出しちゃいけないっていう部分はNHKだとありそうですよね。イメージですけど。
田中 質問の答えになっているかわからないですけど、実は私、キャスター時代に役者をしているんです、青森の市民劇団に入って。しゃべるとか伝えるってことの表現を磨きたいと思って舞台に立ちました。
徳永 なるほど。ちょっと感情をのせた言葉を出してみたいと?
田中 劇団に入っていろんな役をやりながら、声を発して人に伝えるってこういうことなんだなって実感できたんです。舞台だと観てる人の反応がすぐわかるし、いろんなリアクションを生で感じられてとても面白いと思いました。で、その舞台の感覚をそのままスタジオに持ってきたらどうなのかなと、目の前にお客さんがいるようなイメージで喋ろうと思ったんです。そういうことをやっていたらだんだんと「伝える」ってこういう感じなんだって、感覚として理解することができて。そしたら周囲からも面白いとか、表情が変わってきたねって言われるようになりました。伝えることに関しては私、いろいろ試行錯誤をしてましたね。
徳永 無理に言語化すると、それまでのアナウンスと演劇を知ってからのアナウンス、どんな違いがありましたか?
田中 えーとですね、温度が違いますね。
徳永 温度。
田中 キャスターがしゃべるものっていうのは、基本誰かが書いてるものなんですよ。ディレクターが「このVTRの終わりにこういうコメントを言ってください」とか指示があって、ちょっとした言葉も文字で書いてあるんです。ニュースも記者が書いているものなので、私の言葉ではないんです。でも、字面を追いながら綺麗に伝えるだけではダメで。そうじゃなくて一回、それを自分の中に落とし込んで、噛み砕いて咀嚼して「私だったらこう」みたいなものを…
徳永 ちゃんと役作りして?
田中 それです!はい。自分をプラスするというか。「コメントにこういうことつけ足していいですか?」とか、「終わりにこういうこと言っていいですか?」とか。そうした提案が増えたり、見る角度もちょっと多角的になりましたよね。
徳永 ニュースを伝えてる最中って、カメラを見ながらしゃべると思うんですけど、その語りかけ方を変えていったんですか?
田中 最初はね、ぬいぐるみを置いてたんですよ、カメラの下に。可愛いぬいぐるみを置いて、その子がうんうんって頷いてるところをイメージすると、優しい感じになるかなと思ってやってました。あとは舞台やったり、だんだんキャスターとしての経験が長くなってくると、街を歩いているときに視聴者の方が「田中さんいつも6時のニュース見てるよ」「ニュースしゃべるの上手いね」って声をかけてくださるようになって、見ている人たちの顔が見えるようになったんです。そういう人たちが聞いてることを鮮明にイメージしながら伝えるようにしたら、周囲の温度がちょっと上がる気がします。
徳永 なるほど。それは、あれですね。デザインを作るのと似ていますね。お客様から原稿と写真もらって、「これでかっこいい会社概要作ってよ。」って言われたとき、「そのお客様の向こうにいる、パンフレットを受け取る人たちに、お客様はどんな顔になってもらいたいのか」ってところまで、想像するのとしないとでは提案できるデザインが全然変わってくる。
田中 最終的に届ける人のことを想うってことですね。本当だ。似ていますね。
徳永 仕事がちゃんと循環するようになってくると、お客様から「見たよー」っていうフィードバックをもらって背中を押してもらえるから、もう一周回って、次はもっと伝えられるようになるみたいな。そういう感じがね、似ているなと。
田中 そう、そう。私、営業職時代は求人広告のキャッチコピーを考えたりもしていたんですけど、20代のアルバイトが欲しいとか、30代の男性社員が欲しいとか、求める人材が結構多様だったので、求人広告でそのターゲティングをどう出していくかを考えた経験もあったんですね。
しゃべるのも全部そうだなと思って。「誰に届けたいか」を鮮明にポイントで想像した方が、わかりやすく伝わりやすい言葉選びができるし。
徳永 そうか。さっきの質問でいうと「広告を売る」ことにゴールがあるわけではなく、その広告を買いたいって思ってくれた人の「想い」がそこにあるから、「この人の広告をちゃんと伝える」という作業を、営業時代にやっていたということですよね。
田中 そうです。そうです。広告出したら終わりじゃなくて、その後の反響が何件あって何人面接して何人採用したかまでしっかりフォローして。採用しても終わりじゃなくて「実はもう一人営業を募集したいんだよ」とか、その先が絶対あるので、お客様との関係は長く続きます。続く会社様とは何年も何年も。外部人事みたいな感じでずっとお付き合いが続いて行くんです。
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言葉やデザイン。いろいろなモノゴトの、その向こうが見えるようになるまで。
田中 私、目指している声というのがあって。
徳永 へえ、どんな声なんですか?
田中 「背中で聞いてわかる声」。例えば、お母さんがご飯の準備をしながら、包丁をトントントントンってやっていて、テレビをつけてもすっと入ってくる声です。真正面でテレビ見てるって人ほぼほぼいないと思うので、ながら聞きとか、むしろ背中で聞いていても「ん?」って聞いてもらえる声っていうのを私は目指していて、いつもそういう声でありたいと思って声を発しているんです。
徳永 何が違うんですかね?
田中 言葉にすると安っぽく聞こえちゃうかもしれないですけど、とにかく「どこまでその人のことを思っているか」だと思うんですよね。自分本意にただ喋るだけだったら、ただ喋ればいいだけなんですよ。ただしゃべるっていうのは、自分のストレス発散のためとか、自己満足のため、自分がスッキリするからみたいな感じで声を出すっていうこと。カラオケもそうなんですけど、そういうのは自己満足のためのもの。でも、それって人に別に届けるためじゃないし、届かないじゃないですか。私は自分のためにしゃべってないんですよ。この声を届けることでその人のためになってほしいと私は思っているので。
徳永 僕、今はデザインの仕事やってるんですけど、若い頃は演劇を志していて素人なりに頑張っていた時代があって。その時に感じていたことで思い出したことがあって。舞台上に立っていても、自分のためだけに喋ってる役者もいるじゃないですか。「俺、今カッコイイ」ってことに全力を集中してセリフを言うみたいな。だけど、すごい役者は客席にも役者にも言葉がドンって届いて周囲の感情を動かすから、こちらも自然なセリフが出てくる。そういう流れを作れる人とそうでない人、すごく違ってたなって。
それはデザインを作っている今もとても役に立っていると思っていて、「どこに向かって何を伝えて、どんな気持ちで相手に動いてほしいのか」をきちんとイメージして出したものは全然届き方が違うという実感があります。
そうそう、クラウドボックスのテーマは「愛と感謝の循環を広げる」ってしているんだけど。
田中 素晴らしいテーマですね。メモしておこう(書き書き)。
徳永 愛と感謝って「ギブアンドテイク」じゃなくて、それが一周回って、自分にまた「ありがとうと笑顔」の循環が背中から帰ってくるみたいな。デザインをすることで、そうした循環ができたらいいなって思ってます。
田中 素敵。いいですね。
徳永 会社の若手には、「誰に何を伝えて、どんな気持ちになってほしいのか。なんでそうなのかっていうところまで考えないと」って伝えていて。
さっき出た話の続きになるんだけど、会社概要のデザインを頼まれたとき。ちょっとカッコよくしたいとか単純な理由だけかもしれないけど、「なぜ?」を考えて聞いてみると、若手の人が振り向いてくれないとか、社内のモチベーションが下がっているからとか、何かしら理由が出てくる。解決しなきゃいけないことや、流れを変えたいものがきっとそこにあるはずで。
田中 そこのアクションまでしっかり起こすっていう想像ができてれいば、お客様のフォローもしっかりできるということですよね。
徳永 だからこそお客様とも継続的に、長い付き合いの中で伴走していくっていうのをやりたいなって思ってるんですよ。
田中 いいですね。愛がありますね。愛が詰まっている。それこそ愛と感謝の循環ですね。
徳永 それでも若手や新人に、こちらが伝えたいことを伝えるって難しいですよね。持てる視野がまだ狭いから。たなともさんは、どんな新人時代を過ごしていたんですか?
田中 アナウンサーになって最初の1年目とか2年目って、とにかく余裕がなかったですね。2011年の3月に青森に行って。4月からの「あっぷるワイド」新キャスターのポスターの撮影をしている時に大震災が起きたんです。震度7でした。
徳永 うわー、それはなんというか。
田中 青森局も非常用の電源でなんとかなんとかやっていた感じで。その後の数ヵ月は普通のテレビスケジュールじゃなくて、基本ニュースを延々とやっている状況からのスタートでした。やっと5月末くらいから通常の放送になって生でニュースを伝えられるようになったんですけど、自分に余裕がなさすぎて、えらく緊張していました。失敗したらどうしようとか、このニュース読めなかったらどうしようとか、もうそればっかり考えてて。気にするのは自分のことばかり。
徳永 そこから市民劇団に参加するまでに、どういう気持ちの変化があったのか覚えていますか?
田中 そう、少し厳しめの先輩アナウンサーに「お前はいつも自分の顔ばっか見てんな」って言われまして。「自分のことばっか気にしてて、自分が綺麗かどうかしか気にしてないな」って。
徳永 おー、かなりストレートな。
田中 でもね、「確かにそうだな」って思ってたんですよ。そのあと劇団に参加して演技の練習をするようになって、相手ありきの言葉の掛け合いが楽しくて。結婚式の司会で、自分が発した言葉で喜んでもらえたことを思い出したり、青森の視聴者の方にも声かけてもらえるようになってきて、「この人のために頑張りたいなあ」って思えるようになったんです。
徳永 先輩の厳しい一言に「確かにそうだな」と思えたことはすごいですよね。やっぱりそれまでの社会経験で培って来たものがあったから、「人に伝える」っていう大切なことがそこにはあるんだって気づけて、視座がちょっと上がったんですね。だから見える範囲を広げることができたんだと思う。
田中 まさに私が今やってるセミナーは、しゃべった後にその人が「明日から会社の先輩に一言声をかけてみよう」、「部下にこういう一言かけてコミュニケーションをとってみよう」って、アクションしてもらうことまで考えてしゃべってまして。
徳永 確かに確かに。先日やっていただいた体験レッスンでも、受講したメンバーは声かけ方がガラッとかわりましたもん。周りも影響受けてましたよ。
田中 さっき「デザインをしたその後まで」っておっしゃってたのとまったく一緒だなと思って。「自分ができること」と「やりたいこと」に、「人のために役立つこと」をこう合致させていくと、循環していくという。
若手の人たちも、たくさんの気づきをしていって欲しいですねー。
徳永 循環してるって実感できると、仕事もやりやすくなりますよね。
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「吉祥寺×縄文!?」
好きなことで吉祥寺を掛け算しちゃおう。
徳永 地域の話でいうと、むさしの-FMをずっとやられてるんですよね。
田中 三年半になりましたね。事前取材をしたり、放送後にその方のお店に食べに行ったり、先日は農家さんが来てくれたので農園へお邪魔して芋掘りをしたりして、放送だけでなく地域の方と触れ合っています。
徳永 そこまでしてくれるパーソナリティの方てなかなかいないですよね。
田中 やっぱり喜んでくださるし、地域のつながりってすごく大事にしたいですしね。ラジオに出てくださったことは一つのご縁だなと思ってるので、せっかく繋がったんだから、点ではなく線にしたいなって私は思うんですよね。
徳永 それも循環ですね。吉祥寺に住み始めたのはどういうきっかけだったんですか?
田中 青森から戻って来た時はNHKから近いこともあって三軒茶屋に住んでいたんですけど、子どもが生まれたので引っ越そうと考えていたら、「武蔵野いいよ」って結構いろんな人から言われたんです。子育てしやすいエリアとして。
でもね、もう一つものすごくマニアックな理由を言うと、私、「相撲」の次に「神社」が好きで、三番目に「縄文」が好きなんです。
徳永 えーと、縄文時代の「縄文」ってことですよね?
田中 そうです、そうです。NHKにいた頃、縄文の特集を作ったんですけど、取材していたら「縄文人ってすごいな」と思うことがたくさんあって。「縄文人が住んでたところって?」と調べたら、武蔵野台地ということだったので、吉祥寺に決めました。
徳永 そんな人、初めて会いました…。でも縄文時代面白いですよね。
田中 面白いです。縄文は本当に深くて、縄文人の教えとか考え方とかすごい面白いんですよ。争いがないし、武器もないし。
徳永 芸術を楽しむ文化があったんですよね。
田中 そう。土偶もねとても素敵だし、素晴らしいし。
徳永 「吉祥寺×縄文」研究会とかできそうですよね。専門家の方をお招きして、吉祥寺で縄文トークとか、「吉祥寺×江戸」もできそう。井の頭公園に泉があるおかげで、吉祥寺は江戸時代から栄えていたという話を聞いたことがあります。
田中 いいですね。いろんな掛け合わせ。江戸時代って、縄文時代の考え方がまだ結構残っていて、江戸には笑いが絶えなかったそうですよ。そういった話を「コーチング」としてやってくださる方もいるんですよ。「江戸小噺コーチング」っていう。ラジオに出てくださった方なんですけど。
徳永 さすが、いろんな話がどんどん出て来ますね。掛け算で言うと、たなともさんの会社も「ちゃんこ×こえ」の掛け合わせで「ちゃんこえ」ですよね。
田中 そうなんですー。
徳永 すごくいいですよね。掛け算であるっていうのがわかりやすいし、何が唯一無二の会社であるかっていうことを、もう社名で表現できちゃってるじゃないですか。
田中 そうなんですー。私はそういった掛け合わせがとても好きなので、どんどんそういう掛け合わせを起こしていきたいなと思っています。
言葉の循環する社会を作りたいというのが、私の中にはあって、優しい言葉をかけるとその人も優しい気持ちになるじゃないですか。なるべく私は優しい言葉をいっぱい発していって、それをキャッチした人がまた次の人に伝えて広がっていくという…そうした言葉の循環を目指してるんです。
徳永 まさしく愛と感謝の循環ですね。
田中 もー、ほんとそれ。すっごい好き。なんという会社が「愛と感謝の循環」を広げるっておっしゃってるんでしたっけ?
徳永 えーと、その。クラウドボックスっていう会社です(笑)。
田中 はいそうでした(笑)「愛と感謝の循環を広げる」って良いですねえ。
徳永 ホームページにも載っけてるんですが「デザインでもっと愛と感謝を」っていうのがミッションで。デザインというのはまだ形を持っていない想いを形にして伝えることですって定義していて。
愛と感謝は「笑顔と好きとありがとう」のことで、想いを伝えることで「笑顔と好きとありがとう」の循環を広げていくことをミッションにしています。
田中 素敵〜♡。目指す姿が「ラブレターの代筆屋」でしたね。
徳永 ホームページちゃんと見てるじゃないですか。
田中 そうでした。めちゃくちゃ面白かったです。メンバーの方たち、みんなかるたになっていて。あれはどなたが?
徳永 あのかるたの絵は僕が描いてます。読み札も考えて。
田中 おもしろーい。
徳永 昔あれは僕からメンバーへのラブレターみたいなものですね。
田中 素晴らしいです。循環してますね。
ーーーいろいろと話題の枝が広がって終わった感じもしますので、また機会があったらご飯でも食べながらおしゃべりできるといいなと思います。
これからもどうぞ、よろしくお願いします。ありがとうございました。
田中 吉祥寺のイベントなどでもぜひご一緒できると嬉しいです。
ありがとうございましたー!
![](https://assets.st-note.com/img/1730874817-QEDJnZh6bBC0kGTWrRLoNHXM.jpg?width=1200)
田中 知子(たなか ともこ)
青森県八戸市出身。リクルートの求人広告代理店営業から、31歳でアナウンサーに転身した異色の経歴。営業時代は池袋で1万件以上の飛び込み営業を経験し、初対面で好かれる“マインドセット”と“コミュニケーション術”をゼロから叩き上げ、新規獲得数トップの常連となる。
31歳でアナウンサーに転身し、NHK青森の「夕方の顔」として定着。その後、NHK全国「ニュースシブ5時」では大相撲特集「シブ5時相撲部」を立ち上げ、ファン目線を大切にした企画で力士の素顔を引き出す。
「力士のあんな笑顔、見たことがない!」と新たな相撲ファンを増やし、人気コーナーに育てた。
現在は、大相撲から学んだ独自メソッド「金星(きんぼし)コミュニケーション」を講演しながら、「人と話すって楽しい!」、「勇気を出して挑戦すると道が開ける!」を伝えることをミッションとして全国を飛び回っている。
ソフトな語り口と一度聞くと安心する声に癒される人も多い。