自省録(11/28、お互い合わせ鏡)
6時半起床。今日は、9時から会議だったのでいつもより早く出勤する。従って韓国語も英語も勉強せず。
会議直前に今日の発表者から、発表することがないという泣き言?が入る。短くていいから発表して、早く終わったら二人だけで懸案事項について話そうと言う。
とは言え、実際会議をしてみたら、1時間みっちり話すことはあった。懸案だった仕事の割り振りを今回やり切った。ただ、割り振りすらすぐに出来ないことから察しがつくようになかなかプロジェクトが進捗しない。年度末までに契約できるか心配だ。
午後は急な仕事がないので、先日、韓国料理に行って食いそびれて食べたい気持ちが高まっていたビビン冷麺を食べに行った。職場からレストランのあるあたりまで距離があるので、着いた頃にはどこも満員で、やっと見つけて入った店は、韓国本場の冷麺ではなく、いわゆる盛岡冷麺の辛い奴というものだった。美味しかったけれど、やはり本場のビビン麺が食べたい。
午後はぼやぼやしながら過ごし、所管法人に、来年度に向けた気楽なブレストでもして、そのまま家路についた。
家内に、上の子が行ったはずの通学型通信制高校の体験授業のことを聞いたところ、上の子は結局時間に起きれずに、行けなかったとのこと。まだ、通学するには心の準備ができてない。完全ネット制の高校に行きたいとのこと。当の本人は、美術学校に行って不在だった。
夕飯を食べながら、家内が、下の子に、ここ最近の上の子に関する顛末を説明していた。下の子は勘の鋭い子だから、だいたい何が起こっているか分かっているのかなと思っていたが、流石に理解はしていなかった。下の子曰く、せっかく高校、入ったのに転学しちゃうなんてもったいないね。家内曰く、普通そう考えて何とか耐えようとするんだけど、お姉ちゃんの場合は、なんかもうダメなんだ。
我々と上の子は合わせ鏡だ。我々からは、不可思議な上の子の行動が見える。上の子からは、不可思議な社会の仕組みが見える。どちらからもお互いが理解できない、理解ができないから不安に駆られる。ただ、最近気づいた救いは、我々が、少なくても私たち両親は彼女を見て不安に駆られる気持ちは、おそらく彼女が社会に不安を抱く気持ちと同じなのではないかと。お互いを見つめながら不安ではあるが、少なくとも私たちの方から少しずつ彼女の独特な感性、感覚を疑似体験できているのではないかと。共感できているのではないかと。