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罪悪感とビールのはんぶんはジンジャエール。
わたしが感じる自由と「あ~しあわせっ」と飲むビールと現実の悲しみは、
目黒駅近くのbar,バーにある。
かつてのわたしの行きつけでもあり。年齢的に30代という中年のあおはるを体験した場所でもある。
そこは夫の勤務先の近くでもあり、自宅からタクシーで3,000円程度の距離。
barらしきbarが多くはナイ目黒駅周辺でわたしは探した。
【いきつけにするbarの条件】
①立地
・ 目黒駅から徒歩5分以内
・店がわかりやすい
②外観と客層
・外観がそれなりでわたしの自尊心を満たすもの,かつわたしがワンピースで飲んでも違和感がナイ
・客層が20代ではないこと,シニア世代のたまり場ではナイこと
③接遇
・店員さんが下品でない男女であること,国籍は問わない
・店員さんが,お酒をオーダーするとき以外,客であるわたしを放置してくれること
数件めぐって見つけた!というより,
家にころがっていた雑誌に掲載されていたお店で,
わたしは雑誌のその店のページを見た瞬間に,ひとめぼれ!していたのだ。
当時わたしは,自宅でこどもを寝かしつけて夫が帰るまでの間,その雑誌を見ては,「いつかわたしもココに行くんだ」と妄想をふくらませた。
その「いつか」は数年後,赤ちゃんだったこどもが,「こども」に成長し落ち着いたころであった。
上記の【いきつけにするbarの条件】は,わたしの後付けであったと思う。
【ひとめぼれしたbar】をわたしの特別な,ばぁしょ,barにするために,
わたしがあとでこじつけた「条件」だったかもしれない。
わたしの中で,いきつけのbarの存在はぐーんと大きくなっていった。
わたしのbarとのつきあいかたは,
初年度は,年に3~4回良ければ満足であった。春,夏,秋,冬...季節の変わり目に1回は顔を出す。
飲み方は,毎回カウンター席に座って店内のテレビをボーっと観ながら,
beerにジンジャーエールを加えたもの(シャンディガフ)を注文してそれを1~2杯いただく。
夫婦喧嘩のあと,傷ついている夜は,メニューにあるカクテルをかたっぱしから注文した。
もちろんおつまみなるものも注文して,食べて飲んでひとりでシアワセだった。
妻でもない母でもない嫁でもない娘でもない姉でもない義理の妹でもない,
なにものでもないわたし。最高。
「年に4回は行くんだっ!」と決めても,
寒いさむーい冬は,家にいたくなる。でも出る!
ワンピース着てコート着てヒール履いてクラッチもって。
出かけたあとは,「あーでかけてよかった!」と思い切ったじぶんを褒める。
夫は「終電で帰れよ」と認めてくれていたのでほんの少しの自由も感じつつ。
こうして「なにものでもないわたし」の時間は,じぶんで努力して確保した。
2年目になるともっと通いたくなって毎月出かけるようになった。
初年度は,年に3~4回で満足だったわたしも,そう。こどももだいぶ成長して土曜の夜は19時には就寝する。20時に外出して25時に帰宅する。この時間がタイトに感じた夜もあった。
できるだけじぶん時間を確保して「なにものでもないわたし」を満喫して家庭とのバランスをとるようになった。
雑誌で見ていってみたかったbarは,だんだん,わたしのだいじな「行きつけのbar」に進化していった。
お店の方もわたしの顔を覚えてくださり,名前も教えて距離を少し縮めたが,わたしがほしいのは「なんとなく社会のなかでひとりになれる時間と空間」だった。
店員さんもそれを察してか,距離はつめてこなかった。ことさら居心地がよかった。
3年目になると通い始めたころの高揚感はなくなり,安心感があった。おしはらいするお金(つまみとシャンディガフ代)ぶん,毎度まいど,だいじにしてもらっているのがうれしかった。
カウンター席でとなりあわせた常連さんとおしゃべりするときもあり,わたしも「常連さんです」と紹介されるようになった。ちょっと誇らしかった。
あるとき,夫婦げんかにもならないような大きなけんかをした。
わたしは夫になじられてディスられて,わたしは(勝手に?)傷ついて,かろうじて10%のこっていた夫への愛情は0%となった。
わたしは表面上は,静かに怒っているように見えても,わたしはココロから悲しみ傷ついていた。
結婚してから何度も思ったが「もう(夫がいる家に)帰りたくない」と外出した。わたしの足が向かう先は,「いきつけのbar」でもあり,わたしの「こころのよりどころ」だ。
その夜,わたしは珍しく寂しくて店内でひとりで飲んでいることが心細かった。隣り合わせた男の子と名刺交換....はしないが,なんとなく仲良くなって連絡先を交換した。
それ以降,わたしは,久しぶりに異性のともだちができたようで楽しく。生活も以前のようにツラクなくなり少し張りができた。じぶんの中の女性性を再自覚したからかもしれない。
それ以来,わたしは「ひとみしりコミュ障」の克服さながらbarに行くたびに居合わせた常連さんともおしゃべりしたり店員さんともおしゃべりしたりするようになった。
4年目になり,わたしも専業主婦ではなく働き始めるようになった。わたしの社会との接点が「毎月通ういきつけのbar」以外にできた。
視野もすこしだけ広がり,視点も変わってたのしかった。
嫁,妻,ママであるわたし,職場のひとであるわたし,役割はふえたがたのしかった。
たまに飲むひとりざけ@いきつけのbarは,それまでとちがう味わい方ができた。通う頻度はそのままで,滞在時間や終電で帰宅時間もそのままで。
男女問わず仲良しがふえて,それはまるでともだちが増えたようでたのしかった。
そんな自然な時間の流れのなか,わたしは恋をした。
いきつけのbarの仲良しのおとこのこでだれが見ても「いい子」だった。
あまり異性を感じないタイプだった。中性的でそれがよかった。
きっかけはある日のこと。
わたしは「わたしの知らない夫」を知ってしまった。ショックだった。
夫が不貞行為していること,長年愛人がいること,その愛人と再婚したがっていること,わたしとの離婚したがっていること,夫が変態であったことも。
わたしはショックを受けて家を飛び出して。「居心地の良いいきつけのbar」に行った。
朝まで帰らなかった。
といって,なにかあったわけではない。
わたしは家を飛び出るときに「今日は朝まで帰らない!」と決意して外出した。
「いきつけのbar」の常連さんでもある彼の家に泊めていただいた。ジャージもお借りしてベッドもお借りして,民泊状態でお世話になった。
仲良しの「いい子」とは離れて寝ているので朝までなにもなかった。
「民泊状態?」さながらお世話になっておきながら,
わたしの頭の中は,「夫」のことでいっぱいだった。
今思えば,少なからず夫への愛情が残っていたのだろう..3%くらい。またはひととしての「情」か。じぶんの女性としてのプライドが傷ついたことか。
朝日が昇る6時ころ,わたしは「いい子」にお礼をつたえてKMタクシーを呼んで帰宅した。
これがわたしの人生の最大の「朝帰り」。
とくになにもなかった朝帰りだったが,これはわたしの心境の変化,行動の変革のきっかけとなった。わたしも,わたしたち夫婦も,このころから大きく人生が変わっていった。
わたしは家ではお酒を飲まない。主催するホームパーティのときだけだ。
わたしが「あ~しあわせっ」とビールを飲むのは,
かつての「行きつけのbar」でカウンター席で,ひとり飲んだビールと,
自宅ホームパーティで,夫の隣でヘロヘロに酔って「もうやめとけよ」と制止されながら飲んだビールだ。
それらは,今後味わうことはない。永遠にない。
どちらもありがとう、さよなら。
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